実体のないもの 2022.7.27
利用者さんのご自宅で。「あっ、今日集金でした。あー、、、ごめんなさい。小銭用意してなかったので次回頂きますね。」
カバンに財布を入れていなかったことに気がついた。財布を車の中に置きっぱなしにしていた。
いつの間にか、普段の買い物では財布を出す機会がなくなっている。ポイントカードもアプリになり、edyや Suicaといった物理カードを出す(そもそもチャージしておくのすら面倒)のも面倒で、バーコード支払いや◯◯payの類ばかり使うようになった。銀行にもいかずに、基本的にほとんどの取引はネットバンキングで完結する。水道や住民税などの自治体の支払いでさえ、いつの間にかLINE payで済むようになっていたのには驚いた。
新幹線に乗った時も、券売機に並ぶこともなく、紙の切符を受け取ることもなく、事前予約して改札にスマホをかざしたらそれで済んでしまった。
大概は、出かけるのに財布(現金)を持ち歩く必要性がなくなってしまっていた。
有人レジもめんどくせぇと思う。マスクしようかな、とか「袋は要りますか?」とか「ポイントカードお持ちですか」とか、めんどくせえ。コンビニやスーパーで、セルフレジが無いことが、その店を利用しない理由になり得るくらいに、機械化された現状が楽でたまらない。
利用者さんと話をしていて、「車買ったんですよー🚗」「どこの店で買ったの?」「ん?店?ネットでやって電話ちょっとして、あと郵送で書類送ったら納車されましたよ。そーえば車買うのに車屋に一回も行ってないですね笑」「わたしたちには出来ないねえ。変な世の中ねえ。」
そう、年代関係なく感じているだろう。いまは「変な世の中」だ。その違和感を大事にして、2019年以前の世界線に戻ることは出来ないのだから、変化を楽しむしかないじゃないか。
「お金」とは実体のないものだ。今までは「お札」「硬貨」という分かりやすい目に見えるかたちのものの流通が主だったが、今どき現金で給料を支給する会社が無いように、最近はもうデータ上の数字でしかなくなってしまっている。
日本でも、いま仮に取り付け騒きぎみたいなことが起きて、ATMや窓口に人が殺到したら、みんなの口座の残高に対して物理的な「現金」は全然足りないので直ぐにお金は引き出せなくなるらしい。1000万まで補償されるだとかそういうことはひとまず置いておいて、いまの金融システムは「肥大した信用創造」で成り立っている(ようにみえる)。預金も債券も、実体なんてどこにもないのだ。お金はみんなが「価値がある」と信じているから色んなものやサービスと交換できるだけで、人々の集合意識の在り方次第では、嘘みたいな話かもしれないが、簡単に明日からただの紙切れ、だだのデータになり得るものなのだ。
世界的にも起きている物価の上昇(=モノの価値が上がっている)、日本で顕著な「給与は上がらない(むしろ退職金なんかは減り続けている)」状況、今年から来年にかけて起きてくる「気候変動」「エネルギー不足」「食糧危機」(実際には起きはしないけど、政府とメディアが煽ってくる予定)はこの「資本主義経済」の崩壊の序章にしか過ぎないのだろう。
そういう流れを経て、ロシアではすでにはじまっているのだろうが、「金本位制」に移行するとされている。だけど、きっと金本位性はゴールじゃない。貨幣や資産、そういう概念すら変わっていくはずだ。金本位性はきっと通過点でしかない。調べている中で見つけた「エネルギー本位性」という言葉。直感であぁこれだって思った。
お金を介さなくても生まれる取引。人との交流。それは突き詰めると「エネルギーの交換」ということになる。自分自身がどの周波数のエネルギー帯でいるか、それ自体が価値となる。
価値提供をする。それは豊かさを分かち合うということ。戦後の昭和、平成で培われた「勝ち組/負け組」という意識や競争社会という観念が、徐々に崩れていった先にあるもの。
今まで(今でも少しは)、相当縛られていたんだなぁ。お金というものに。お金=豊かさの象徴。不足マインドでなく、知足マインドでいれば、そんなに心配しなくても尽きることは出来ないんだよなあ。お金のために働かないでさ、魂が色んな経験をするために「仕事」をしてその結果ついてくるもの、くらいの感覚で捉えれば良いんだろうなあ。どーせほっといても口座から自動で家賃やクレカは落ちるし、税金も納付書きたらQRコード読み取ってスマホポチポチすれば終わりだし、恐れるに足りないんだよなあ。
あぁもう随分と生きるのが楽になった。
破壊と創造、それはセットで訪れる。ずーっとこの現代の社会システムおかしいなぁどうにかならねぇか。と思っていた10代の自分に言ってあげたい。「2022年、最高だぜ!」
YouTubeできいた言葉
「こんな世の中ですが、結局は自分の在り方次第です。みなさん、気の良い人たちのコミュニティの中で、気の良いところに住んで、気の良いものを食べましょう。」
人生を豊かに生きるための最適解を得てしまった。もちろん、現時点で生活するには所得があったほうが良いから、謎のルールも受け入れて雇われて働いている。けれどもう少し先(来年、再来年)には、社会が今よりももっと変容して、多くの人が生きやすくなっている、好きなことをして日々過ごすことが出来る世界がくると信じている。
今日も幸せでした。ありがとう。
⚫︎追記
4回目のシェディングはキツいって思っていたけれど、午前中に4回目受けるって言っていた利用者さんの施術に午後イチで入る予定があって(うわぁまじか、でも受け止めよう)「よっしゃ、今日は打ちたて新鮮なシェディング受けいくぞ!⤴︎⤴︎」って駐車場で気合い入れて言ったら何もくらいませんでした。長期的な影響はまだわからないけれど、結局シェディング受けるかどうかもこっちの意識次第なのかも知れませんね。正直接種による健康被害は怖いですが、こういう経験、気付きがあって、思考や感情がアップデートされていくのだと思うことにしています。
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