薔薇色の明日

幸宏さんが亡くなった。
悲しくてたまらないので、カーテンを開け窓を開け放して洗濯をした。
空が曇ってて少しほっとした。

きっかけはシーナ&ロケッツの『真空パック』だ。
サンハウスを知って鮎川さんを大好きになったぼくは、YMOが苦手だった。鮎川さんがなぜYMO?と思ってた。
だから『真空パック』もはじめのうちは、できるだけバンドサウンドの曲ばかり聴いていた。だけどライヴに行くと、もちろん人力ロックンロールのバンドサウンドで曲はかっこよく、アルバムを通して聴くようになっていったんだった。そして徐々にピコピコ(昔はシンセの音を「ピコピコ」って言ってたんだよ)にも慣れていった。当初はそのくらい違和感があったし、シンセの音は苦手だった(そもそも人力ロックンロールが好きで新しいものがとても苦手だったりする)。最初に聴いたYMOのアルバムは『増殖』だったと思う。企画もののアルバムとはいえ、これまで聴いたことがない音楽で、ものすごい衝撃だった。
その頃何かの雑誌のインタビューで、鮎川さんが「エルビス・コステロ(初来日のとき!)の前座で出たとき、幸宏さんがライヴを観ていて楽屋まで来てくれて細野さんに紹介したいって言ってくれたのがきっかけ」みたいなことを言われてたのを読んだ気がする。
その頃はサディスティック・ミカ・バンドも「タイムマシンにお願い」くらいしか知らなくて、ましてや加藤和彦さんが作ったバンドで、幸宏さんがドラムを叩いてたことなんて知る由もなかった。
それにはっぴぃえんども知らなかったし、ムーンライダーズだって知らなかった。

片方に鮎川さんがいて、片方に幸宏さんがいる。
新しものアレルギーは徐々に治まり、おかげでぼくの音楽生活はものすごく豊かになった。

幸宏さんに教えてもらったとても大切なことは、音楽に潜む「切なさ」だ。その「切なさ」は、ぼくにとってとても大切な宝物だ。

「高橋幸宏」という書物のあとがきにぼくの文章も加えてもらえるだろうか。
そうだと嬉しい。


こんなこと書いていたら鮎川さんが…
1月なんて大嫌いだ


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