映画『ゴジラ-1.0』感想

冒頭、神木隆之介…敷島浩一が大戸島でなぜ機銃を掃射できなかったか。ビビりまくっていたからだけなのだろうか。撃ったところでゴジラにどれ程のダメージを与えていたかはタカが知れているかもしれないが、あそこで引き金を引けていれば大戸島玉砕には繋がらなかったのかも知れない。

それなのに大戸島整備部隊ゴジラ被害の当事者である海軍航空隊責任者の橘が、最終的には敷島に懐柔され、戦闘機に脱出機構を、すんなりとわざわざ積み、対ゴジラ戦で敷島を生き存えさせることを良しとしたのがいまひとつ腑に落ちなかった。

結局生きたいんかい、というのは、人間、それはそうだし特攻玉砕なんてものは礼賛してはならないとは思うけれど、だったらもう少し泥臭くとも格好悪くとも生きていく姿勢・格好、つまり、「死にたくない」というメッセージをよりもっとくどくなっても示して欲しかった。

銀座をはちゃめちゃに踏み躙り、放射能砲で焦土に帰すゴジラは「こんなもんどうやって勝つんだ」と戦慄した。全体的な瓦礫の色合いと、ゴジラの背鰭から発光される放射能の蒼白い光の科学的コントラストは「どうあがいたってこんなもん絶対無理」との雰囲気を演出するのに十二分に効果を発揮していたと思う。

なんだか知らないけれども米軍(GHQ)はソ連との牽制やらうんぬんかんぬんで助けを出してくれないし、国も動いてくれないから民間で何とかするしかないよね、とのドラマに導くのはわりとご都合主義かもしれないけれども、終盤のカタルシスを演出する上では仕方がないか。やっぱり、「どうやってゴジラを倒すのか」で野田博士が弁舌を振るうシーンは見せ場だし、そうは言ってもそのまま作戦がうまくいくわけないから神木くんの神風が吹いて、ともあれ一件落着と。お疲れ様でした。とにかく皆生き延びてくれてよかった。声出していこう!ゴジラ-1.0!

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