マーシャルアーツ・ライフ

突然だが、私は今後、マーシャルアーツで生きていくと決めた。マーシャルアーツとは、「武芸」全般を指すが、東洋のものに絞られることもある。詳細はWikipediaを参照。

では何故、マーシャルアーツで生きていくのかといえば、生きていくにあたっては、この2つの拳で守るべき明確な対象のために戦う必要があると気がついたからである。これまでの人生は、私が直接関連していない物事や人物、あるいは、そもそも存在すら疑われるもののために拳を振るわざるを得なかった。が、どうせ拳を振るうのであるならば、悪を滅ぼしたり、幹を殴って木の実を落としたり、必要のために拳を振るいたいし、「振るう必要がある」と考えるに至った。

3年前に転職も経験しており、環境が変われば根本の考え方が変わるようなものでもないとわかった。「知りまへんがな、いずれ全員死にまんがな」と心の内で考えていながら本気になんかなれるわけがないのである。お叱りを受けながら、心の中では弥勒菩薩のことを考えている。同様の内容を5年ぐらい身の回りの人間に話したりnoteに書いたりしているが、今回は骨身に沁みてそう感じている。もう通算8年も労働して諦められていないのだから、もう諦めるのを諦めた。

 

つべこべ言わずに労働に勤しみたまえ、とのご意見もあるだろうし至極まっとうだが、生きていければその手段なんか所詮マーシャルアーツだっていい。というか、生きていけなかったとしても、どれだけ納得して過ごせるかが肝要なのである。私は小説家の梅崎春生が好きだけれど、「どうせ死ぬなら、納得して死にたい」と言葉を残していて、折々に思い出す。「故人は生前、マーシャルアーツに没頭し……。」と喪主挨拶でしゃべってもらって構わない。

結局、人間ひとりが、マーシャルアーツで生きていくだけの許容や寛大さすらこの世界に存在していないわけではないだろうし、私が突如として「マーシャルアーツの使い手」を名乗り出しても目くじらを立てる者もおらず、せいぜい「ふーん。まあいいや。ラジオでも聴くか」と思われるぐらいだろう。という訳で、今後私が急に道端でローリングソバットを繰り出したとしても、ご理解いただきたい。
 

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