映画 【エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス】感想

すべての「可能性」や「偶然」を拾って作ろうとしている以上、映像や場面転換がやたらめったらに忙しくなり、精神的にかなりぐらぐらと、いい意味でも悪い意味でも揺さぶられてしまった。いま自分(筆者)が、「お、お仕事くらは〜い」状態であるので、可能性の雨霰を浴びせられるような気分になり少し眩暈がしてしまった。

ユーモアとしては、「すべてはカンフーである」のところぐらいが面白かったが、尻の穴に異物を突き挿して……。などのくだりはあまり受け付けなかった(元々、ゲイユーモア、アナルユーモアがあまり好きではないというのもある)。突飛な行動をして別次元の自分に繋がる方法自体も、さもありなんと感じてしまったが、自分の創作でも似たようなことをしているのでそこまできつくは言えない。あそこの(言ってしまえば、あまり使いたくない言葉だけれど)「大喜利力」はもう、合うか合わないかなんだろうと思う。

「マルチバース」を題材として扱っていて、「家族愛」と「無常感」をぶつけると、もうどこまでいっても決着しないと思えて、今回はあくまで、というか、家族愛に勝たせないと作品として成り立たないからそうなっただけであって、ただ難しい世界観をよくもまあまとめたものだろうと感じた。

シネマサロン「映画業界ヒットの裏側」チャンネルより

この動画を視聴しながら書いていたのだけど、パンフレットではヴォネガットの『スローターハウス5』に言及され、影響されているらしい。スローターハウス5的な「そういうものだ(So it goes)」とか、主人公たちのルーツである中国系・中国語「没法子(メイファーツ、しょうがない、これでいいのだ)」という無常そのものを乗り越えようとしたとすれば意義があるんだと思うけれど、人類はこれを乗り越えることはなかなか難しく、割り切る力のある人が強く生きていけるんだろう。娘と母親が岩と岩になって無音で会話するシーンはすごく好きでした。

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