大いなる億劫

コロナが明けたら、うちで気の置けない仲間たちを集め、鍋でもやろう!と、来客用のスリッパ立てをコーナンで注文し、スリッパを百均で揃えたのが2ヶ月ほど前の話。今ではまったくそんな気も失せた。口笛を吹きながら。書きたい文章が進んでいるわけでもなく、『ハロプロまるわかりBOOK 2022 SPRING』を購入し、橋迫鈴が最近「肝油ドロップを食べること」にハマっていると学ぶなどし、充実した日々を送っている。

自分の人生を振り返ってみると、「億劫」にずいぶん縛られている。小学校5年のころ、夏休み最終週までいっさい宿題に手をつけず、計算ドリルの答えをひたすらノートに書き写したのが初めての徹夜の記憶で、テレビ東京の早朝にディルアングレイの血みどろのPVが流れており、このような人たちにはなるべく近づかないようにしようと決めた。

毎日課せられていた「ひとこと日記帳」も切羽詰まってからまとめて書いており、減りの違う鉛筆を日ごとに変えて使う姑息な手段でカモフラージュし、一括でやっつけたのがバレないようにしていた。が、ウケると思い友人にしゃべったところ、そいつがリークしたのか隣のクラスの担任が「鉛筆を変えながら、最後の日にまとめて書く人もいたようですが」と夏休み明けのホームルームでひと笑いを得ていたらしい。恥ずかしさ由来のむずがゆさと、未来のある児童を1人つかまえて、トークの材料にして笑いを取ろうとしてるのかよこいつは。との敵意や、俺は小学生だ!と守られている立場だからこその小狡い主張などが渦巻いたのを覚えている。どれもこれも、「億劫」という名の毛根のしっかりした化物に手足を絡め取られている"せい"にしている。

コロナのせいで、学校生活における花形であるところの修学旅行や文化祭が中止になってしまい、彼ら・彼女らが待ち望んでいたそれらのイベントが味わえない人生でのマイナス、悔しさを想像するにいたたまれないものがあるのだが、果たして、自分が同じ立場だったとしたら、「億劫」が勝り実家の畳の目と並行になって幸せに眠っていただろう。

「億劫」を肯定する気はさらさらなくて、皆が安心している隙をついて一撃を放ちたい欲望が常にあるのだが、目線の高さまで落ちてくるスモッグのような億劫にこめかみの血管を搾られ、とにかく振り払おうと首を振っている。

それにしても、三色弁当って、鮭フレーク、炒りたまご、豚そぼろですよね。

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