私は見栄晴

先日、新潟県柏崎市で、一部の地区で防災無線の自動放送が4ヶ月の間流れていないことが判明したという不祥事があった。人間の命に関わる、あってはならない「ミス」である。ネット記事のコメントにも、「行政と業者の癒着があったのではないか」「しつこいほどに入念な確認をしているはずだろうに、あり得ない」と糾弾の意見が並んでいる。当然である。しかしながら私はこのニュースを読んでいて、他人事とは思えないのである。ひとりのポンコツあんちゃんが、赤の線じゃなくて、喉が乾いていたからオレンジジュースの色の線をつないでしまったのかもしれない。意図的ではなく、「うっかり」である。

いちおう免許は持っているが、私は車の運転恐怖症である。しょっちゅう普段から道に迷うし、エコバッグを通勤用カバンに入れようとして毎日忘れる。しかも数字も苦手ときた。ほとんどハクション大魔王である。私がミスる人間であると重々承知しているから、ひょんなことからワンミスで人を殺す、あるいは己が死ぬる可能性がある行為ができない。責任を持てない。というか、その覚悟について担保できない。免許を取り立てのころ交差点で事故りかけたこともあるのもトラウマだ。

だが、「私はミスりますんでよろ〜」とニコニコしている人間が会社でお給料をもらえるはずもないから、見栄を張りミスらない私を演じていた。昨年、中途で入社をして1年が経つ。即戦力として採用されているわけだから失敗は許されない。当たり前だが、能動的にミスろうとはしていないし、確認作業もする。がそれでも失敗する。失敗する原因を問われるが、まさか「失敗をしようと思いました」と答えるわけにもいかない。自陣のゴール目掛けて突っ走りオウンゴールを鮮やかに決める人間はいないのである。失敗の原因を突き詰めよ、とその資料を作成している間にも業務は溜まる。

ここ2、3ヶ月ほど、コロナ禍や様々の要因が重なり、業務が忙しかった。とある社内申請をさばく仕事も私の1つなのだが、全く手が回らなくなった。一通りは形だけこなしたはいいものの、後から計算のミスが発覚した。電子で回っていた申請を紙で出力しなおし、課内で一つ一つ再計算していく。私のミスで炎上しているが、他にもこなさねばならないことが山のようにあり、私は一旦その再計算業務からは外されていた。浜田省吾が『J,BOY』で「山のような仕事 抱えこんで凌いでる」と歌っていたが、ハマショーも血眼で電卓を叩きまくった経験から詞を書いたのだろうか。

一通りチェックが終わり、ダブルチェックよろしく、と分厚い書類の束を渡された。この連休で出て終わらせようと考えていたが、土曜の夕方ごろ、「あ、これは終わらないでやんすね」と思い、帰った。溜めていた夏休みの宿題を8月31日に悟り、開き直る感覚に似ていた。

そして日曜を迎えた。ダブルチェックのそのまたチェック、のために出社した上司が、まさかの「終わっていない」状態にしばし腕を組んだ。なぜ終わっていない状態なのか?私は「無理だから。意味ない気もしますしね」と答えた。驚くことに今年で30歳である。前々から業務負担が多いことは相談していたのだが抱えきれず、生粋の見栄っ張りでもある私は「仕事をこなしている様子」を装っていた。が、土曜の1日で「あ、もう無理だ。どうもありがとうございました」になってしまった。

無言がしばし続き、「じゃあもう帰れ」と目線を書類の束にくれつつ命ぜられた。部活ではない。会社である。できないならばできないで、なぜきちんと報告しなかったのか。正論のマシンガンで蜂の巣である。

そして私は、まさか、言われるがままに帰ったのだった。9時に出社して、9時15分に退社した。そしてこの文章を書いている。

私はすぐに見栄を張る。見栄晴である。ここで初めて吐露するが、私は大学を1年留年している。が、友人には「無事に卒業し、立派な企業に就職した」ていを演じていた。とっくにバレていたかもしれないが、ここで知った方には今まで黙っていて大変申し訳ございません。

なぜ詐称をしたかといえば、留年が決まり親からも当然叱られ、結果が追いつけば嘘も帳消しになるだろうと5年目は必死で勉強と就活に励むため。と見栄。気恥ずかしさ。未就学児の頃、「こどもチャレンジ」の、全部課題が終わった児童だけがゴールに貼ることを許されるシールを、詐称して貼り付け親に見せびらかし、中身の開示をかたくなに拒否した記憶がある。根本の性格からひん曲がっているのだ。

留年はなんとか1年で踏み止まり配属が大阪となり、転職をし、今に至る。私の中には見栄晴が住んでいる。今ここで息の根を止めるためにも、この文章を書いている。私を棚卸しするために。

基本的・根本的に、私は「ふざけたい」人間である。真面目で持続していられる時間に限りがある。時代が時代ならスーダラで済んだが、いや済まないか。ともかく、不適合なのかもしれない。性格に名前がつくならどうぞ、とも思うが、根本の解決にはならず、免罪符になるだけだ。言い訳にしか過ぎない。

親しい友人はいるが、結局は酒を飲んで、「焼き鳥は、塩でもおいしいね」など愚にもつかない与太話に終始し、無理になっちゃった話はどだい、できなかった。職場の人間や家族、彼女にも見栄を張るのだった。全て私の責任としてしまえば済むと泰然としているふりをする。そのことが、本質的には無責任である。

明日、謝罪をしなければならない。私がいい加減なあまりにご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした、以後、業務の逐一の報告を心がけるように致します。と。

だが、このようにインターネットに逃げ道を作っている時点で、私は本当に反省しているのだろうか。文章を書きながらも、お腹が空いたから冷凍の餃子をチンして食べたいな。とも脳裏にある。ふざけている。本来は、ふざけている場合じゃないが。

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