理解できなくて、春

中途で入った職場で一年が過ぎた。様々な案件が重なり忙しいが、一年を振り返っての己の行動評価を記入して、提出する締め切りが近づいていた。今目の前の仕事を片付けるのに追われ、締め切り当日に残業して仕上げた。春から上司が新しく変わっていて、旧の上司は別の部署にいるのだが、評価対象はその人間になる。

どのように書いたものか?周囲に確認したが、普段上げている週次の報告が年単位になったと思えばいい、あとはとりあえず「よくできました」にマルをつけておけ。要はやっつけよ。と答えられた。ああ、そんなもんかね、と、似たような評価項目ばかり並ぶ報告書に全てマルをつけて理由を添えた。「コミュニケーション能力」って何。ランチでは率先しておしぼりを渡してお水を注ぐようにしていました。と書けばいいのか。

それが4月3日の金曜の出来事だった。土日を挟み、THA BLUE HERBの『未来は俺らの手の中』を聴きながら鼓舞しつつ出勤。パソコンを開くと、旧上司からメールが届いていた。読むと、提出した評価書が隅々まで赤を入れられた状態で帰ってきており、「パソコンを持って帰っていないのであれば、土日で会社に出てきて、修正をしてください。一年の評価に関わるから君の為に言っています。云々。」という内容だった。

社用スマートフォンは持たされているが、勤務時間外、ましてや週末に開くことはない。この土日は、新玉ねぎを人が死ぬくらい入れた豚汁を作って七味をかけたり、『海街Diary』を観て「夏帆のバイト先の店長、レキシで嫌だな、と感じていたけれど、原作だと妊娠させられるらしいじゃん。ますます気分が悪いぜ!」と憤慨していたりだったから、よもや出勤指示が出ているとは夢にも思わなかった。そんなに急を要するならば電話を入れるべきだし、このご時世に「会社のきまり」の為に電車に乗って出てこい、と命令されている。

時間遡行の能力がないから、月曜日に週末の出勤命令を知り、どうしたものだろう、と腕を組んだ。「ダイブ!」と叫んでパソコンのモニタに頭から突っ込むしかないんじゃないか。とにかくどうしようもないので、「週末に社用のメール読みませんから。意味ないですから。残念!」と返信した。

朝、そんなやり取りがあったところに、月曜の定例朝礼の時刻となり、わらわらとフロア内の課員が集まり出した。ほぼ全員がマスクを着用している。役員がコロナに気をつけてください、と部下たちに伝えている。密集状態である。「ライオンは危ないから、刺激しないようにしてください」とライオンの檻の中で集まって伝えるだろうか。

目の前で繰り広げられている光景や、先ほどのメールの「理解の追いつかなさ」を食らって、正しいと自らが信じる行動とあからさまに正反対で、距離のかけ離れている状況に身を置くと、しばし呆然となり考える力を失ってしまうと気がついた。えっ、「変」じゃん。何でですか。意味ないっすよね。と切り出すタイミングを一瞬逃すとあっという間に彼方に過ぎ去ってしまう。皆が逃し続けて、今の世の中になっている気がする。反射でアゴを狙えるように研ぎ澄まさなければならない。京都、今日すごくいい天気でした。

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