われを憐れみたまえ

われを憐みたまえ

Erbarme dich,   
mein Gott,  
um meiner Zahren willen !   
Schaue hier,   
Herz und Auge weint vor dir  
bitterlich.   

憐れんでください、私の神よ!
私の涙ゆえに。
私をご覧ください。

心も目もあなたの御前に
激しく泣いています。


歌手の工藤篤子さんはHP(工藤篤子ワーシップ・ミニストリーズ)の中で、福音について語り、また宗教音楽の作曲の背景も、クラッシック歌手でしか教えられない視点で、分かりやすく話されています。
https://akworship.com/


例えば三拍子は、三位一体の神を表すのだそうです。
そして♯や♭などにも、和音にもすべて、聖書の教えを表す意味がある。
これらを修辞法と言います。

しかも、そうした専門知識がなくて聞いても、これだけ見事に聖書の御ことばを
音楽と歌そのものが表している事が、本当に神様と信仰の奇跡だと思います。

私はこのところ、苦難を通っていましたが、ずっとこうした讃美歌を聴いたり、一緒に歌ったりして、深く慰められました。

祈りが聞かれていないと思われる時、
本当に親しい友にも見放された時、
仕事がうまくいかなかったり、見つからない時、
家族に問題がある時、
自分の国がおかしな方向へ行っている時、
なのに誰もそれについて話す人がいない時、
体調がおかしい時、
世の中に悪が行われているのを見ている時、
でも自分にそれを止める力が全くない時、

様々な苦しみを通る時、

私たちは祈らされる。
賛美するようになる。
聖書に答えを導かれる。
何かを通して、ただの小さな事に見えることからも、神の心を知る。
どうすれば感謝できるかを、考えようとする。
昔あった感謝な事を思い出す。
涙を流す。
神を待ちのぞむ。

自分の思うようにはならない時、
でも罪は犯していない時、
自分は今、ただの人だと知る
誰の目にも、特に輝かしいところもない、悲しみの人
だと知る

そんな時
人として十字架に掛かられた
この方の苦しみを知る

私たちの罪の身代わりとなって
死なれた方を

私たちは、時と場所を超えて
主と共に生きて死ぬ
ともに蘇らされる

この方の言われたことはすべて本当だったと知る

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

(マタイによる福音書 11章28~30)

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