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100%自分の決断の結果だと受け入れる意欲を持ちたい

4月に関わらせて貰った、西陣ファンクション。
私にとって三崎口リトリートの準備以上にハードだったと感じて、ファンクションやラファエルに振り回されているような犠牲者感が度々上がった。

今みたいな状態で今後もファンクションを続ける事は無理だと感じ、賢太さんにお願いして、平安へのツール前準備の【心の観察ワーク】をしてもらった。

その時、賢太さんから言われた言葉がズバリすぎて突き刺さった。非常に良い意味で。

平安へのツール前準備の【心の観察ワーク】
①-1で
「いつもこうなっちゃうんです、私は犠牲者、翻弄される者、罪悪感に苛まれる者、いつもこうなんです。」って言っているけれど、

コースの目的と反対のように見える願望に、実は、自分が力を与えている、力を注いでいる事を先ず認めるのが大事。

そこを見ないまま、コースで幸せになりたいんですと言い続ける事はできる。
その反対の願望を見ないまま、「コースで救われたいけれど、いつもこうなんだよね。またこういう事が起きた。いつもこう感じるんです。」って自分のパターンにはまった状態を、延々と続けたいと思っている願望が僕らの中にはあると思う。

①-1 で、たくさんの動揺、不満、文句があったけれど、それは①-2にあるキャラ設定の「まさ子は、こういう設定(キャラ)」を通して感じる沢山の具体的なバージョンに過ぎない。
だから、「まさ子っていうのは、こういう者なんだ」っていう設定を凄いクリアに見ていく必要があると思う。
そして、その設定を維持するのをメチャメチャ望んでいる部分があるんだっていうこと。

だから、コースの目的とかイエスが言っている目的とは全然反対の事を望んでいる、自分が望んでそうしている、自分が望んでそこに力を与えているってっていう認識が先ず必要。

自分は被害者ではないということ、自分がそれを望んでいるから経験していて、だから自分は外側からの被害者ではあり得ないんだっていうその納得感が絶対に必要。
本当に絶対100%被害者ではない。

自分が望んだという事。
誰かとか何かに文句を言える立場でいたい。
被害者でいたいと思っている。
それも全然悪ではないけれど、
それを自分が望んでそういう立場を維持したいと思って、こういうまさ子像を維持しようとしているんだとか、まさ子像がこうであれば私は周りに向かって怒る権利があるし、不平不満を言う立場にあれるみたいな。
このまさ子像を、そのために利用できる、私が世界に向かって攻撃しても良いんだっていう事を正当化できるように。
私はこういう者だから、こう感じれると文句を言える立場にしておく事が自分に有利だと思っている部分がある。

賢:
自分が被害者でいることに魅力を感じているのは分かります?
それを止めても良いっていう欲求は感じられますか?

ま:
それはあると思う。決して幸せではないから。
いつも、外から責められる裁かれるという想定の中で生きていて、決して 幸せじゃない。長い間ずっとそれをやってきた。

賢:
本当に被害者意識から抜けるっていうことは、全部自分が望んだ結果だっていう事を先ず受け入れる必要があると思う。
1mmも被害者ではないっていうのは、まさ子が今さっき話した事全部含めて、自分がどこかでした決断の結果なんだっていうこと。
それが何か今は分からなくても。
全部自分のどこかでした決断が原因で、①-1の知覚・感情があがってきたのだとしたら、この経験の1個下の段階のところで、どういう設定を自分はしているのかというのを見たいと思える。
自分が経験していることは、どこかでしている自分の決断に原因があるんだっていうことを受け入れたい・知りたいっていうのが一番大事かなと感じる。
で、自分の中にその欲求がありながら、経験した事(①-1)を話す時って、さっきみたいに外に向かって話す感じにならないと思う。
常にその欲求(どんな動揺も自分のどこかの決断に原因があって、外からの原因ではないんだって知りたい!という欲求)があれば、24時間どんな動揺があがってきても、その欲求があれば話し方は変わってくると思う。
外側の出来事がないんだっていう、自分の心に原因があることしか経験していないんだっていうところから、①-2の設定を見ていくと良いと思う。
<続く>

平安へのツール前準備の【心の観察ワーク】




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