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理不尽さを比べてみるのも。

些細なことで不満をたれることが非常によくあった。

あの人はなぜ自分に対してこんな態度をとるのか。あの人はなぜあんなふうに振る舞うのか、と。そしてふと思うのは、この世界で誰が一番理不尽な運命にあったのだろうかと。

それはイエス・キリストだ。十字架で死んだだけの何が一番不公平なんだ?世の中には酷な殺され方をされている人間がごまんといるんだぞ!という者もいるだろう。それでも筆者はイエス・キリストだと断言する。

筆者は過去に数えきれないほどの罪を犯してきた。たった一つの過ちでも後悔と罪悪感に苛まれ、心が鉛のように重くなる。そんな経験は誰だってしているはずだ。

それをイエス・キリストは、過去・現在・未来の人間の全ての罪を背負ったのだ。罪を犯した事のない者に全人類の罪がのしかかった。どんなに重く、苦しかった事だろうに彼は一切不平不満を言わなかった。

それを想像するだけで、自分が経験している辛い事なんか、彼が受けた理不尽な扱いに比べて全く辛くも痒くもないと思えてくる。そして不思議と人に対して、今までより、少しの優しさを持って接することが出来るようになったと感じる。

しかし、イエス信者になったからと言って悲しみが無くなるわけではない。この世にいる限りは悪い事や不幸な事は起きてしまう。そんなことが起きる度にイエスは休ませてくれるのだ。

この重荷を引き取って下さいと言うだけで心を軽くして下さる。そんな筆者や読者の事を常に慈しみと愛で応えてくれる存在も彼しかいないのである。

しかし、私たちの罪のために傷つき、
血を流したのです。
彼は私たちに平安を与えようとして、
進んで懲らしめを受けました。
彼がむち打たれたので、私たちはいやされました。

イザヤ書 53:5 JCB

主よ、早く来てくださいね🙏✨


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