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足知者富〜塩沼亮潤さんの言葉〜

以前からものすごく気になっていた動画があった。

それは比叡山延暦寺の山の中で行われる、『千日回峰行』という修行だった。千日回峰行とは毎日歩くわけではなく、10年近くかけて1000日決まったお寺や御堂に参拝しながら歩くという修行。途中で行を続けられなくなった場合は自害しなければならず、一体なんのためにこの行を行うのか非常に興味があった。

1000日歩いた後は、「堂入り」と言って9日間眠らず、横にならず、水を飲まず、食事も食べず、ひたすら真言を唱え、夜中になると不動明王に供えるお水を汲みに行くということをくりかえす。その動画を初めて見た時、修行をされている方は誰かの支えなくしては一人で歩くことができず「肉体的にもうすぐ死ぬんだろうな」と思うのだが、目の輝きが明らかにこれから死ぬ人とは違うのある。キラキラしている、という表現が一番近いだろうか。全ての感覚が研ぎ澄まされているような、そんな「生」の煌めきを感じることができた。

どんどんこの修行について調べていくうちに、宗派が違うが、より過酷な千日回峰行を達成した大阿闍梨、塩沼亮潤さんという方を知った。険しい山頂までの道のり・往復48キロを1000日歩いた時につけていた日記が本になった著書も読み、私自身なぜか心がすっきりとした気持ちになった。

「この人に会ってみたい」

そう思ってアンテナを張り巡らせていたところ、偶然にも作家の辻仁成さんが主宰を務める「地球カレッジ」というオンラインでの授業の第一回目のゲストが塩沼亮潤さんであると知り、すぐに申し込んだ。

辻さんはパリから、そして塩沼さんは仙台の自分のお寺から、聞いている多くの人が日本からという、zoomを使っての授業。塩沼さんは過酷な修行を成し遂げた人とは思えないほど、穏やかな空気を醸し出している方だった。そして、たくさんの良い教えを伝えてくださったので、ここで私の感想とともに紹介したい。

人は必ず死ぬ

人が生まれてからすでに決まっていることが一つある。それは「死ぬ」ことだ。死に向かって私たちは「生」という歩みを続けていくわけだが、その間をどう生きるか?という問いに塩沼さんは「生きている間、精一杯生きてみる」というふうに仰っていた。使命感を持てば、辛いことも頑張れると。その使命は人それぞれ違うのだろうが、精一杯生きることの大切さをお話されていた。

私の使命はなんだろう・・・と考えてしまったが、精一杯生きてみたところに私の本当の使命が見えてくるのかもしれない。

足知者富

「足るを知るものは富む」という老子が記した「道徳教(どうとくきょう)」の一節。この言葉にはさらに前後に文脈が繋がっているそうだ。

知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽

<現代語訳>他人を理解することは普通の知恵の働きだが、自分自身を理解することは優れた知恵の働きが必要である。

力が有る者は他人に勝てるが、本当の強さが有る者は自分自身に勝つ。

満足することを知っている者は心が豊かであり、努力を続ける者はすでに志がある。

自分の本来の在り方を見失わない者は長生きをする。死んでもなお本来の自分を忘れない者が本当の長寿である。https://biz.trans-suite.jp/57630

私の走り書きのメモには、「自分のことをわかる、知る→豊かになる」「自分は足りているんだと知る」「(心が)乱れているときは、欲で動いていないか?」と書いてあった。以前こんな記事を書いたが、

これも足るを知ることの一部なんだと思う。いつも他人と比べて自分に足りないものばかりを羨んでいたが、自分はすでに多くのものを持っていて、それで十分なんだと思えた時、心が穏やかになった。こうして毎日文章で我が身を振り返り、醜い部分も誇らしい部分もさらけ出すことで改めて自分を知るきっかけとなっている。私自身、生きていることがすでにすごいと思ったし、たくさんの幸福をいただいて存在しているのだと日々感謝することができるようになった。

自分のために生きる

人間の四苦についてお話をされていた塩沼さん。四苦とは仏教用語で「生老病死」というそうだ。

生きていると、どうして?なぜ?ということに囚われることもある。その時には、

「足るを知り、許しきり、忘れ切り、捨て切り」という心が大切と仰っていた。

様々な葛藤が日々生まれ、それをスッキリさせたいと思うのが人間の生きる修行であると。私はこれを聞いていて、これが一番難しいのではないかと思った。性被害を経験した私にとって、それを許したり、完全に忘れたり、捨て切ることがなかなかできない。一生かけてそれに向き合っていくのかもしれないが、非常に厳しい修行であると感じた。いつか許せる日なんて来るのだろうか・・・・。

そう思っていたところ、最後に塩沼さんは「自分のために生きる」という言葉を残してくださった。これまで自分のために生きようと思ったことがあまりなく、どちらかというと人のためなら生きられるという感じたった私。まずは自分を第一に、毎日を精一杯生きて、楽しくすごそう!と塩沼さんはその授業を受けた生徒の私たちにエールを送ってくれた。

まずは自分を大切に。自分を大切にできてこそ人を大切にできる。

今まで本当に自分を粗末に扱ってきたので、自分のために生きることを今必死で実践していると思う。

それは案外楽しくて、気分がよくて、そして自分を愛おしいと思える。

そんな心の豊さにつながるヒントを教えてくださった。

塩沼さんは1000日歩き続ける中で、病気になったり怪我をされたり、もう一歩も動けない日も毎日歩き続けた。1000日歩くことは、人生と同じなのかもしれない。山あり谷あり。最初は険しかった道も、体が順応し、あたりを見渡す余裕ができ、そして歩かせていただくことや自然への感謝の気持ちが生まれてくるのだろう。歩くという修行が、己の弱さや未熟さを知り、自分を見つめる機会になるのかもしれない。そして「自分は足りているのだ」とある時気がつくのだろう。

自分の人生が1000日だとすれば、私はまだ半分にも達していない。これから時間をかけて使命を見つけ、自分のために生き、人生を全うしたいと思う。






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