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咄嗟の勇気

職業柄…というのもありますが、これまでの人生で何度か救急車が来るまでの救助活動をしたことがあります。

ある時は道で倒れているご高齢の方、ある時はスーパーで倒れて意識がない若いママ、急に具合が悪くなった学生などなど。

のんびりしていて、全く看護師に向いていないと思いつつも、こういう緊急事態ではすぐに救命モードにスイッチが切り替わります。また、いつ何があるかわからないので使い捨て手袋を1つ、バッグに忍ばせています。

私がこれまで経験してきた中での話ですけど、こんな時なぜか医療に従事している人が助けに来てくれます。同僚はもちろん、たまたま後ろの車の方やスーパーにいた方が救命救急士さんだったということがありました。私がバイタルサインを確認して、救命救急士さんが的確にそれを消防に伝え、周りの人に指示をしてくれました。


医療従事者はお互いを全く知らなくても、『命を救う』という共通の目標があるとあっという間に連携できます。

実はつい先日も、駅で倒れて担架で運ばれていく人を見ました。駅員さんが対応していたし、お連れの人もいる様子。なので、「お手伝いは必要ですか?」と声をかけて去ろうとしました。

でもなんだか様子がおかしい。

意識がない人を運ぶのってすごく大変なので、駅員さんもふらふらになり転んでしまったのです。

連れだと思っていた人も実は他人で、その方が消防に電話をしてくれていました。そして倒れた方には危険な症状がでていることが内容を聞いていてわかりました。

これはお手伝いしないと。

担架で人を運ぶのは本当に力がいるので、女の私一人と駅員さんでは到底運べないのです。

「すいません、誰か手を貸してください!!」

咄嗟に駅で大きな声を出して、助けを求めました。

その声にびっくりして振り返った人もいたり、率先してお手伝いに来てくれた人が何人かいました。

先に電話をしてくれていた方はおそらくベテランの看護師さんだったようで、AEDを指示したりずっと連絡をとってくれていました。私も意識が遠のかないように声をかけたり、看護師さんのサポートをしました。

幸い心臓は問題なかったのと、直ぐに救急車が来ることがわかったので、ベテラン看護師さんであろう人に任せてその場を後にしました。

今回のように、公共の場で大きな声で助けを求めることは非常に勇気のいることだと家に帰ってから思いました。ただあの時は必死だったので、恥ずかしいとかはなかったです。

街で困っている人を見ると、「何かお手伝いが必要ですか?」と声をかけることがたまにあります。私がお節介な性格というのもあるんですけど、声をかける勇気はいつも持っていたいです。

私たちは救命をしてもその後どうなったかは知ることはできません。ただ、どの方も元気に回復されていることを祈るばかりです。


それでは今日も素敵な日曜日をお過ごしください。

(追記)7月25日、noteから嬉しいお知らせが届きましたよ。ありがとうございます😊

嬉しい!



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