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自分の「声」を信じようと思いました。

 昨日は少し落ち気味でした。 

 このところいろいろ忙しくて疲れていたのかもしれません。

 土曜日の朝は、起きたらすぐに東向きの窓から外を見ながら他愛ないおしゃべりを録音して音声配信していたのだけど、起きたのも遅かったし、何だか気が乗らなくて、それもお休み。

 というか、朝の風景はどんなお天気であっても、それ自体が完成された世界で、声や言葉が邪魔にさえなる気がして、「おはようございます。私のいるところはこんなお天気です。皆さんはどんな朝をお迎えでしょうか。今日も良い1日を。」それしか言っていない配信をこのまま続けていても意味ないのではないかとさえ思ってしまい、さりとて他のアイデアも浮かばず、しばらく音声配信はお休みしようかなという気持ちにもなりつつありました。

 そんな時に届いた、呼吸のワークの先輩で、ご自身も対話師という独自の活動をなさっている方のメルマガに「声」について書かれていました。

 「声」にはその人の気質や傾向、感情や体内の状態、時には生命力のようなものまで含まれている。

 顔の表情や言葉は取り繕うことができても、声の中に含まれるそれらのものをコントロールすることは難しく、それを聞き取ることで相手がどんな人かが瞬時にわかったりもする。

 だから、声そのものを聴くことが対話にも繋がる...。そんな内容でした。

 自分の中から発する「声」。それはいわゆる「美声」でなくても、かすれたり裏返ったりした瞬間だったとしても、自分の今を「声」自身が正直に、そして懸命に表現しようとしてくれている。

 だったら、自分が今、出したいと思った何かを声に乗せて発することも、たとえ拙くても今の自分を表現することにはそれ自体に意味があるのではないか。

 夜にはワークの先生が、私もよくワークをご一緒した人生の大先輩が、ワークを重ねて「歌を歌ってみたい」とおっしゃったという投稿。

 それにも励まされて、もう一度自分の「声」を信じて委ねてみようと思うことができました。

 今朝起きたら、空は優しい曇り空。快晴の青空の真っ直ぐな光の朝よりも、むしろこんな私の小さな寝起きの声(笑)も受け入れてくれるように見えました。

 そんな空に向かって思い切って収録ボタンを押して、声を発してみました。

 どこかの誰かの何かにほんの少し響いてくれたら嬉しいなと思います。

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