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2023/04/28 教授のマジック

 やりたいことがないな〜。好きなことなら全然あるんだけど。というのも、今月入ってから2、3回研究計画書の草案を見せに行って、その全てで「全然ダメだなぁ。君は結局何がやりたいの?それが見えてこない。」と (要約すると) 言われた。最後に会った時は顔にだんだんと失望が浮かんできてる気がして、目を合わせるのも辛かった。逃げるように研究室を後にして、音楽を聴くことも無く帰った。嘘。ラストリゾートと幽霊東京の2曲をループで聴いていた。

 「結局何がやりたいのか?」んなもん無ぇよ!というのが私の答え。可能なことで日銭を稼いで生きていきたい。自己成長だのなんだのは別にしなくても良い。もちろんできるならするけど、私は生きることを頑張らなくていい範囲で生きていたい。好きなものに囲まれて好きな人と繋がって好きなことをして、それを継続するのに必要十分な義務と責任のみ負う。ただそれだけなのだ。「これ以上に、ただ命を守ることに労力をかけたくない」ということなのかもしれない。
 そんなことを研究に落とし込めるはずもなく、どうにか教授陣を騙せる「やりたいこと」を模索中。やりたいことがない人は寝ているだけじゃダメですか?ただただ寝るだけの施設とか、誰か作ってくれませんか?

 身の丈に合わない夢を見てしまった者への罰だと思わないとやってられないと一瞬思って疑問も湧いた。なんで罰だと思えば耐えられるんだろう。当然負うべき責任になるからだろうか。それとも神とか運命とか信じてないくせに、超自然的な何かのせいにして逃げているのか。罰を与える者を敵として、闘志を燃やそうとしているのか。まぁどれでもいいっていうかどうでもいいか。
 5月いっぱいは別の教授とも話してあがいてみて、それでも萌芽の便りが無ければスッパリ諦めて、就活に戻ろうかな。とってつけたようなハッピーエンドよりも、しっかり裏打ちされたバッドエンドの方が、物語として綺麗だろ。

 どんなに醜悪な様態を晒そうと、まだまだ足掻くけどね。負けるとしてもみすみす負けをくれてやる気は無い。やれることがあるうちはやるだけだ。

羊の頭を綺麗に飾る

 そんな現状とは対照的に、現在所属しているゼミでは大層な人のように扱われている。R (プログラミング言語) が周りよりほんの少しできて、プレゼンが少し上手いから、といったところか。基本顔と名前が一致しないので、毎回新鮮な気持ちで話せているというのも大きいかもしれない。(私は初対面は全然いいけど、2回目以降に会うのが嫌い。どこかの授業で関わった人を視認すると避けてしまうくらいに。)
 中身は大したことないんだけど、グラフを綺麗に描画して、「至らぬ点も含めて全部分かってます」みたいな顔して喋る。インターンと去年までのゼミで鍛えたなけなしのプレゼン力を発揮してそれっぽく振る舞う。するとなんか知らないけど褒められる。「すごそう」だから。「ちゃんとしてそう」だから。

 こういうことを羊頭狗肉と言うんだろう。まぁそりゃプレゼンもRもコミュ力も私が磨いたスキルではあるから、褒められること自体は嬉しい。ただ過剰に持ち上げられている感覚が気持ち悪い。
 研究計画書を突き返された話をすると「海月さんでも?!」と言われたが、そりゃそうだ。褒めてくださってる人も、そのほとんどはプレゼンに依るところなので、冷静に見れば分かるはず。私は羊の頭を美しく軒先にかけておくのが上手い。

 見てくれは大事。人間は見た目より中身だと言うけれど、恋愛市場では見た目という第1フェーズを突破しないと中身という第2フェーズには進めない。恋愛では全然ないけど、私は世の中で第1フェーズまでは上手くいくタイプなんだと思う。そこから先は苦労する。なまじ上手くいくので、能力が伸びないまま世界のレベルだけが上がってしまう。

 そうか問題は中身なんだ。羊の頭が悪いわけではなくて、犬の肉を売ってることが問題なんだな。それを何だ「持ち上げられて気持ち悪い」とか人のせいにして。反省しろ私。気持ち悪かったらそれを合図にして、虚飾に見合うだけの品を作ってみせようじゃない。

ウールは暖かいから有用

 ただ、持ち上げられるのも悪いことばかりではない。

 第1に自己肯定感は無限にブーストされる。褒められまくるから。中身が空虚だったとしても、褒められる分には気分がいい。
 第2に頼られる。特に初めのうち。教える側に回ると学習効率は高くなるので、勝手に成長曲線の傾きが大きくなる。理解の甘い点や忘れていた点が出れば補強する。そうすればず一歩先を歩き続けられる。裁量権の利く範囲が大きくなるのも利点。
 第3に高評価を得やすい。ハロー効果的なアレで、中身が同じクオリティのものを出した場合は私の方が高く評価されやすい。また、教えているので積極性とかリーダーシップの面に加点が入ったりする。ラッキー!

 とまぁ悪いことばかりというわけでもない。GW後に提出の課題を爆速で終わらせて「終わったので参考程度にどうぞ〜」と言いながらグループに投げ込んでおく。答案だけじゃなくて解説つきで。すると「コイツ、できるぞ……!」という雰囲気を出せておすすめです。良い感じにプレッシャーがかかるので背筋も伸びる。デメリットは同僚や先輩に「ウゼェ」と思われる可能性があること。私は「うっせぇばーか」の精神で跳ね除けているが、ご利用は計画的に。
 こういう淘汰圧を自分でかければ、羊頭狗肉も羊頭羊肉になるかもしれない。もちろん無理しない程度に。自分でかけるので、外すのも割と自由自在。「これは無理です」っていうと「あの人でもか」となるし、ギャップを演出できるとなお良い。私は無理だけど。
 コツは最初のうちに演出を終わらせておくこと。簡単なうちに見せておかないと、後々難しくなっていく。成長曲線を傾けるのが早ければ早いほど、埋められない差をつけやすい。

 まぁ毎回こんな風にできれば世話ないけど。あと私には「先輩に可愛がられる力」が無いため、こうやってコミュニティに居場所を作るしかないという事情もあったりする。
 見返して思うのは、意外と負けず嫌いなのかもしれない私。自分再発見だ。

 最初に「自己成長とかしなくていいならしなくても良い」と書いておきながら、自分にその必要性をゆる〜く強いているのは自家撞着だな。相対的な長所を伸ばしていくのは積極性を持って取り組めるのかもしれない。「勝率60%無いと挑まない」というのも、ここ由来か。

 やりたいこと、見つかりました。やりたいことは私の能力の境目を反復横跳びするような難易度のことです。

そんな気持ちをぶつけてきたよ

 そのゼミの指導教官たる教授とコンタクトが取れたので「助けてください」と言いに行ってきた。「早ければ早いほどありがたいです」と書いたら「明日時間作れます」という神対応。そりゃ大人気のゼミになるわけだ。

 ぶっちゃけかなり緊張していた。それほどまでにトラウマになっていたということなのか、それともただ付き合いの無い人間と話すことに対する反応なのか。
 ガチガチの私を研究室に招き入れると、向かい合わせに (でも姿勢は斜めに) 座って、対談が始まった。事前に現状→課題→質問の順にまとめたのに、それを全く無視して話し始めてしまった。最終的にはすべて答えてもらえたけど、予定時間は30分だったのが1時間使ってしまった。半分は先生が盛り上がって喋りまくっていたんだし良いか。

 「テーマが決まらないよ〜」とか「ゴールが分かんない〜」とか「正直自信がなくてモチベーションも……」とか熱血教師だったら「甘ったれんじゃねぇ!」と言われそうな素直な気持ちを吐き出した。素直な気持ちを吐くと何故か泣きそうになるんですが、これは私だけなんでしょうか?人付き合いで素直になって傷ついてきた経験が多すぎるからなのか、普遍的なものなのか少し興味がある。
 決まらないと言っても何も考えてないわけではないので、おおまかなテーマ (教育関連) や現時点で考えているトリートメントとアウトカムのペアをいくつか並べてみた。「結構面白いんじゃん」という反応。「院に入れるかどうかという問題もあるじゃないですか」と言うと、「そんなの絶対大丈夫。自分のやりたいことをちゃんと言葉にさえすればOK」とも言っていただけた。嘘でも消えかけていた情熱が戻る。ただ教授の褒め言葉は鵜呑みにすると火傷をするので、話半分にはしておいた。

 「できるからやる」「できるかもしれないからやる気が出る」という側面が強いんです。という話をすると、「それよりも今までは義務で行っていたものが、今初めて本当にやりたいことに出会ったからでは?」という助言をいただいた。無かった視点。今までやることはまぁ狙っていなくてもやったら「エライ」と言われることだった。でも今からやろうとしているのは別にやらなくても良いし、「エライ」かどうかは分からない。義務では無いのに、やろうと思っているのは、その通りかもしれない。
 ただ以前にも書いたように、大学院に行きたい本当の目的はMLや統計学を勉強する時間を伸ばしたいからなので、興味 (もしかしたら義務も) が別にある上で、それをやるには超えなければいけない壁が目の前にあるだけなのかもしれない。いずれにせよ、人の反対を押し切るだけのモチベーションがあるのは確かだ。

 結局は「とりあえずGWに論文を10本読もう」という具体的な行動に落とし込んで終了。他にも様々話した。RQはまだそんなに絞る段階じゃないとか、隣接分野などから方法を引っ張って来れないかとか。なんか別の教授が「あの人にはカリスマ性がある」と評していたのが理解できる気がする。「ちょっとヤバいよなぁ」と思いつつも諦めないように諭しながら導いてくれる感じ。背中で語るというよりは背中を押してくれるタイプの、そんな印象の人だった。

 終わってからは図書館に篭って論文を読む。英語を読むのが面倒で途中までになっていたやつを、その勢いで読み終えた。中身自体は理解可能なもので、英語に苦労することもそんなに無い。分からなくてもDeepl翻訳を参考に読み進めれば詰まることは無いと言ってもいい。
 ただ、そこから発展させるとなるとまだまだ難しそう。世の修士/博士課程に在籍している人や、研究者たちはこれを日常的に行なっているのか。大尊敬だ。
 全く関係ないけど、図書館籠りをする際、お腹が空いたら気分転換も兼ねてコンビニに歩く習慣がある。そこでいつもチョコスティック×6本入りのパンを買っているのだけど、今日は売り切れていた。代わりにミルクスティック?の方だけが売っていて、「あれ売り切れることあんの?!」とショック。私みたいな人が他にもいたんだろうか。

流れるような好きな曲紹介

 帰宅時は Liberty と うちょうてん を聴いていた。ちょっと久々に聴いたけど、やっぱり良い。メロディがクセになる。リズム感も聞いていて心地が良い。お金払ってiTunesとかで無限に聞きたいんだけど、どこにも無いらしく悲しい。

 楽しくなる曲。これらは私としてはそんなに歌詞を意識して聞いている訳ではなくて、どちらかと言えばリズムを楽しんでいる。(歌詞を読み取るだけの読解力とか感性が欠けているんだろというツッコミは禁止カード。) でも、Libertyの歌詞はなんかこう、反骨精神?みたいなものを感じる。なんとなく都会的な雰囲気が感じられるのも好み。

次の日だって来んのか 知ったことないのに懸命に
ここまでそっとお世話になった お友達にバイバイさ
廃れたネオンのねぇちゃんも 今見りゃ案外可愛いな
ここいるみんな久離を切って 街から出る信念さ

Liberty / ど〜ぱみん

バイバイリバティー
次はちゃんと会おうぜ 数えきれない
最低 最低 最低  だらけのこのド真ん中で
ただいまリバティー
いつかは最後に言おうぜ 宴たけなわ
欠いて 去って 消えて  実った夢のあの場所で

Liberty / ど〜ぱみん

 「リバティー」は文字通り取れば自由で、1つ目の引用部分なんかそれを目指して街を出ようとしている状況が想像できる。他の部分からもそれを目指す執念のようなものがある気はする。
 ただサビのフレーズでは2つ目の引用部分のようにその「リバティー」に話しかけるような部分がある。この曲における「リバティー」が何なのかが、解釈の難しいところだなぁと思う。

 もちろん うちょうてん も大好き。私はこっちから入った。Twitterで回ってきて、この最高なメロディはなんだ!と探したらここに辿り着いた。
 こちらは全編にわたって不遜で斜め上から見下ろしてくる感じのある歌詞。私はFlowerの声が苦手なんだけど、これはその苦手な部分がかなり活かされているような気がして、そのおかげで心地よく聴ける。トマト嫌いな人でも高級料亭の料理に混ざってたら食べられるみたいな。

 今の私には案外こういう「何も考えずただただ踊れる曲」が必要なのかもしれない。図書館で論文を読み終えて、達成感と共に家路につく。帰り道夕焼け見ながら軽い足取りでキャンパスを歩いていたら、駐車場の電気が一斉に灯って、なんかそれでまた嬉しくなちゃって、文字通り有頂天になるところだった。

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