キャリア選択の軸

最近、周りの人から就職活動が終わったという報告を聞く。

私の友人はみな優秀なので、そんなみんなが就職活動において、本人が望んだようにオファーをもらえているのを見るのはとても嬉しい。外資であまりうまくいっていなかった人が日系企業から複数オファーをもらっているのを見ると、自分に合った業界に出会えてよかったなと、他人事ながらすごく嬉しい。

ただ、複数内定をもらったとしても、結局1つの会社にか勤められないわけで(社会の趨勢を見ていると変わっていきそうだが、少なくとも現状は)、複数内定にそんなに喜ぶ余地はないのである。

では、どのような軸でファーストキャリアを選択するべきなのか?


私は自分のやりたいことを考えた時に4年生の1年間をまるまる空けておきたかったこともあり、いわゆる「外資就活」をした。このドキュメントが誰かにリーチするかもわからないが、もし22卒の人が見ることがあるのなら、自分の就職活動をそのように進めて本当に後悔しないか、ほんの少しでもいいから考えてほしい。まだ引き返せる。


少しだけ脇道にそれる。

私は、世間的に見て、就職活動は割とうまくいったほうに分類されるのではないかと思う。就職を決めた企業もいわゆる「トップティア」と呼ばれるものであるし、待遇も良すぎるくらいだと思っている。あとは、いわゆる選抜コミュニティというものに属しており、そのうちの1つが私の客観的な就活人格をカーストのトップに押し上げていた。

私は今も昔も、この就活界隈というものに違和感しかない。人としてすごく賢いと思っていた人がこの醜い沼にはまっていくのを見るのがとても悲しかった。


外資就活の特に特筆すべき特徴は、「努力したら報われる最後のレース」という点だろう。外資就活界隈には、実は自分の学歴にコンプレックスを持っている人が多い。特に東大落ちの人の執念はすごい。自他ともに認める就活戦士となり、Twitter就活アカウントを作り、就活仲間を選抜コミュニティ選考会で見つけて「ケース会」を頻繁に開催し、実際に選考が始まったら選考情報を交換し、課題の代行も珍しくない。

ケース対策の肝は、仕入れた情報の量と質、優秀なケース相手、練習回数で決まる。ロジカルシンキングの最低ラインを見たせば、あとは努力でどうにでもなる。

既視感しかない、そう、受験。


…また大幅に脱線したが、私がどのような判断軸で就職先を選んだかを、以下に書き連ねていこうと思う。

総論:自分にとっての幸福量の最大化

就職先を選ぶ軸は人によって様々であり、様々であるべきものであるが、「人生における総幸福量が最大化される」かはどのような人にでも当てはまる考え方ではないかと思う。

人が幸福に感じる事象は色々あり、1人の人間についてみても、そのような軸はたくさんある。そして、自分がどのような状態になると幸せになるのかの正確な自己認識を持つことの重要性は非常に高いし、実は多くの人ができていないのではないかと思っている。

それを考えたとき、私にとっての幸せは、自分のことを理解して認めてくれる人が周りにいること、知的好奇心が満たされること、自分の存在が社会が前に進むのに少しでも貢献できている実感、お金がないことで人が不幸にならないこと(生活費をめぐる両親の喧嘩はいまでも非常に苦手だ)、このあたりだ。粒感が若干揃っていないがいいのである。粒感はあとでそろえればよく、自分の素直な心の声を引き出すのがまず重要だと思っている。

ということで、以下の各論でそれぞれ論じていきたいと思う。


各論①:周りの人の優秀さ

私は自分の周りにどんな人がいるかをとても重視している。辛いときに一緒にいてくれる人、励ましてくれる人、自分に新たな気づきを得させてくれる人、他のフィールドで活躍して私を奮い立たせてくれる人。結局人だと思っている。

私にとっての優秀さは2軸、IQとEQの両方が高いことである。まずIQは大事である。IQがずれると会話がスムーズにできないからだ。しかし、IQがいくら高くてもEQが低かったら私にとってその人は全く魅力的ではない。(ちなみにIQの高さとEQの高さには相関があるという仮説がある。どこかのタイミングで論じてみたい)

このような人と話しているとき、私の知的好奇心は最大限に満たされる。解くべき解が難しいことも条件としてあるが、だいたいの問題とはきちんと見つめてみれば一筋縄ではいかないことばかりである。

各論②:自分の行動により社会が前へ進むこと

ここがずれると私のモチベーションは全く上がらないことについ最近気づいた。そしてそれをキャリアを選択する前に気づけたことは幸いであった。

社会というと大層な話に聞こえるが、もっと簡単なものである。私の好きなpodcastでフリーアジェンダというのがあるのだが、そこで樫田さんと矢本さんが言っていたことに非常に共感した。どこまでを自分ごとしてとらえるか、そのスコープ内で解決したいと人は願うものだが、私の場合その範囲がちょっとだけ広い。私は、人が幸せな顔を見ることが好きだ。なので、悲しんでいる人を見ると自分まで悲しくなる。少しずつでいいから、世界から悲しみが減って、笑顔が増えればいいなと思っている。

各論③:お金で不幸せにならないこと

これは②に関連することだが、すごく重要なポイントであると思う。

お金で幸せは買えない、大金持ちでも不幸せな人はたくさんいるでしょう。そういう言説が膨れ上がって、お金を極度に汚いものとして扱う社会的雰囲気があるが、それは論点をずらしている。お金は、幸せになるための十分条件ではないが、必要条件ではあると思うのだ。

お金が救う不幸せはたくさんある。日本の子どもの7人に1人は貧困であると言われている。もっと身近な例でいうと、私の父は住宅ローンのことで悩みを抱えているし、生活費の削減をめぐって母は泣く。そこその生活レベルをするのに心配がなく、ささやかな趣味ができて、たまに海外旅行に行けて、困っている人に対して手を差し伸べられるくらいの力は持っていたいのである。

最後に:Critical Reasoning

ということで、私にとっての幸せの総量が最大化される状況についての分析を行ったが、キャリア選択をする際には絶対に必要な思考過程だったと思う。

外資系企業の就職活動は、下手をすると受験レースの延長に見えかねない。私も途中までその罠にはまっていたので気持ちはよくわかる。外資系投資銀行、外資系戦略コンサルティングファームに行くことがそのコミュニティ内でのステータスで、トップティアに行けばいくほど努力が報われて、幸せが待っていると思っていた。

IBDはその最たる例だと思う。私はもともとIBDを志望していた。IBDが人気の就職先たるゆえんは、初年度から1000万の年俸、転職先の魅力、身につく財務の知識・スキルあたりであろう。確かに魅力的だ。でも、その先に「自分にとっての幸せ」は本当にあるのだろうか?

半数以上が1-2年で辞めていき、大体は心身を壊して去っていく。深夜2時の退勤が当たり前で、友達は同じ業界の人しかいなくなる。お金はあっても使う時間がないからたまっていく一方。オファーを受ける直前に、この先に自分の幸せはないと気づけたことは幸運だった。


私が陥っていた罠にはまっている人がほとんどだと思われるし、周りのみんながあたかも「正解」のように走っていると、疑うこともなくなるのかもしない。自分だけ取り残されているように感じるかもしれない。

でも、あなたのクリティカルシンキングの目は、ただケース面接を突破して内定を獲得するために使うのか?まだ間に合う。ほんの少しでもいいから、このドキュメントが人の心を動かせるものであってほしいと願う。


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ということで偉そうなことを書いたが、本気で思っていることである。

書いてみての反省は、

やはり脱線する。脱線するのが楽しいのだろうし、何かの議論をするときに、厳密性を担保するために、それをサポートする議論をさらに展開したくなるのである。

今回の脱線部分は、もし構成を綺麗に作るなら、総論・各論を述べた後に入れこめばよかったのだが、私の頭の流れは、今回書き綴った通りなのである。

脱線部分を、心のなかでぐっととどめて、総論と各論を述べてから最後に締めとして述べたら綺麗になるだろうが、それで人の心を動かす議論になるのだろうか。次は頭の中身を文字として起こしてから構成を組みなおそうと思う。