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読書 Ⅰ 俳句③(後)

④『凪 三号』(金沢大学俳句会、2018)
⑤中村安伸『虎の夜食』(邑書林、2016)
⑥鷲谷七菜子『銃身』(邑書林、1996)

前半→https://note.mu/jellyfish1118/n/n35cd83ec0d67
①山田耕司『不純』(左右社、2018)
②金城果音『シンメトリー』(私家版、2018)
③『しばかぶれ 第二集』(邑書林、2018)

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④『凪 三号』(金沢大学俳句会、2018)

同じ年代として、コンスタントに会誌を出せて素晴らしいなと思う。三号目、サインとメッセージカードを選べたため、若林哲哉くんにサイン〈くちぶえの吸ふときも鳴る花曇〉を頂いた。この句はかなりいい句だと思う。嬉しい。

巻頭、岩田さんの吟行録がかなり良い。書き方がとても滑らかで、親近感があるが近すぎず、するする読めた。仲が良さそうで何より。俳句をする人が俳句以外の場所でどういう行動をとるかということに興味がある人は少なからずいるとおもうから、こういう記録も良いものだと思う。

以下、各同人作品から。

街は夜空いたビールの缶を積む 岩田怜武

単にイメージの問題だが、歌舞伎町、という感じがする。夜、ビールの缶を積み上げる。大学生が詠んでいるあたり、酒を飲み始めて大人気分を味わっているという感じだろうか。
句自体はそこまで好きではないけれど、これは誤読を明らかに誘う。「街は夜空いた」のところで、もちろん意味としては、街は夜で、ビール缶が空いた、となる。しかしパッと見ではどうしても「夜空」が見える。街は夜空/いた/ビールの缶を積む//。こう読んでしまう。これはこれで、急に主体が街に誰かを発見したみたいに「いた」が差し込まれて、嫌いではない。作者が意図したかどうかは分からないが、面白く思った。

人数と足数合わぬ夏の夜 坂野良太

一体どういうことだろうか。たとえば人数が3だったら、左右合わせて足は6無いといけない。それが合わないということは、3人なのに足が5や7だったり、足は8あるのに人が3人しかいない、などなどという事か。ホラーだ。「夏の夜」の付け方が若干ベタな気はするが、夏っぽい良いホラー句。僕だったら「人数と足音合わぬ」とするかもしれない。どちらにせよ怖い。

風のゆくほうを振り返つて立夏 敷島燈

内容自体は類想が見られるかもしれないが、夏っぽいなあと思う。「風のゆくほう」「振り返つて」という描写は丁寧で、順番通り。晩夏とはまた違った、涼しい、夏を予感させる風が吹く立夏。清々しい一句。

よくわからんままに金魚を溺死さす ツナ子

人間が悪い。人間がいつも自然をめちゃくちゃにする。飼うという行為もその一例である。よく分からないままに金魚を死なせてしまい、ああ死んだと思う。祭のあとはよくこの光景が頻発する。金魚すくいで掬って持って帰ったあと、適当にやって死んでしまう。命を軽く扱う人間である。
しかも、「溺死」なのだ。「溺殺」ではない。殺してしまったわけじゃない。悪意はなかった。勝手に死んだんだ、金魚の方から。
人間と動物のひとつの関係を、多少皮肉めいて素直に書いた一句だ。

ひだまりや汗ふく人の耳飾り 姫草尚己

汗が季語。「ひだまりや」は少し安易かなとも思うが、耳飾りがあるという発見、そしてそれがキラリと光る映像に繋がっている。少しセクシーな感じ。

自転車に咲く昼顔をほどく雨後 北條壮紀

要素過多かなとも思いつつ、すごく美しい景。昼顔が「自転車に咲」き、それを「ほどく」、そして時間は「雨後」である。詩的な、でも現実の、全てがうまく揃った時間だ。「ほどく」が上手い。

賞状の筒の鳴きごゑ春の暮 若林哲哉
水馬のもどされてゆく流れかな

〈賞状の〉、題句。スポン!というアレを「鳴きごゑ」と捉えた。賞状が鳥になって羽ばたいていくかのような。いかにも春の暮らしい。のどかな鳴き声だ。
〈水馬の〉、穏やか。「もどされてゆく」ということは、水馬はもといる地点からは目指す方向へ少なからず進んでいたということ。そして、それを詠めるということは、水馬の動きをしばらく主体が見ていたということ。観察、良い時間だ。

⑤中村安伸『虎の夜食』(邑書林、2016)

現俳協のイベントで同席したときに、中村さん本人から頂いた。とても気さくな優しい方だった。虎の夜食、気になりつつも手に入れられてなかったから非常に嬉しい。
詩や物語の部分は、句集を一つの物語へ昇華する支えになっていた。いくつか、単体としても好きなものがあったが、省略し、ここでは句のみ鑑賞したい。

小鳥来るバス来るやうにバス停に

一瞬思考が混乱で停止した。バスが来るように、小鳥は来る、(バスがいつも来る)バス停に。バスが来るように''ゆっくりと''とか、''しっかりと''みたいな述べ方なら全然分かるが、「バス停に」と言われると、急にびっくりする。もはやそれは、小鳥ではなくバスなのでは……と思ってしまう。小鳥なのだが。
いつも何かがいつも通り行われているところに、ひょこっと別のものが入ってくるということ。小鳥はそこにバスがやって来ることを知らない。ただ単に留まれる場所だから来る。主体と自然の距離感が心地よい。言語の次元で遊んでいる感覚が好い。

ある街をいつも想へり鉄線花

一ページに一句だけの句。作者(選者)としても印象深い句なのだろうか。想う人がそこにいるから、その街を思い出す、と取るのが一番スムーズかな、と思う。ふるさと、とかかもしれない。
その街で鉄線花が咲いていたのだろうか。今いる街に咲いているのだろうか。鉄線花、中央が少し派手な、色の綺麗な花。個人的に共感するところが大きく、好きだなと思った。

はたらくのこはくて泣いた夏帽子

今からでも泣きそう。就職という単語を耳にする度泣きそうになっている。働くのはこわい。なんだか何かを失いそうで、お金は得られるとしても、引き換えに、何か大事なものを……。
夏帽子の付き方が、どう受け取ればいいのだろうと考える。泣くのを隠すために、帽子を深く被ったのだろうか。誰かが励ましてくれて、帽子を被せてくれたのだろうか。夏帽子が救いに見える。

サイレンや鎖骨に百合の咲くやまひ

幻想的。「サイレン」、「鎖骨」、「百合」、「やまひ」。要素が全て詩的。鎖骨に百合が咲くというのも不思議な世界線。「サイレンや」という上五も気になる。サイレンがなれば百合が咲くみたいな、仕組みか。サイレンや百合が、何かの比喩なのかもしれない。「やまひ」も恋煩いとかを表している可能性もある。
サ、や、鎖、咲、や、とa段の韻が踏まれている。するすると光景が流れていく。美しい一句だ。

殺さないでください夜どほし桜ちる

刊行当時、Twitterでよくこの句が引用されているのを見かけたのを覚えている。夜の間じゅうずっと散る桜、その中で殺さないでくださいという切迫した言葉が響き渡る。
不思議な空間。破調がその世界を加速させる。
句集を読んでいて、この句が位置するのが、主人公と女性の関係を表す章「抱擁」であることに少し驚いた。おそらく作者とお嫁さんのことなのだろう。
近くには、〈体毛と羊毛の差やひめはじめ〉、〈木犀やむかしの白いさるぐつわ〉、〈二人を繋いで沈む手錠が売られてゐる〉などが見られる。この句も恋愛のひとつなのかもしれない。例えば、強い抱擁や、軽く首を絞めてみたりしたときに、「殺さないで」って言った、というふうに。そうすると「夜どほし桜ちる」が少し官能的に見えてきて、それはそれで趣深いなと思う。

よきパズル解くかに虎の夜食かな

題になった句。この句集全体に通じる感覚がよく現れた句であると思う。ひとつひとつはしっかりしていて、明瞭な句なのだけど、全体としてまとまり、短い話が挿入されると、ほんわりと不思議な世界を纏う。この世のようでこの世でない、でもしっかりと実感があり、この世であるとも思う。
「よきパズル解くかに」は現実的な措辞で、「虎の夜食かな」でぐんと向こう側が見える。虎が夜食してこちらを見て微笑する。なんとも強烈で、魅力的な映像だろうか。
作者あとがきにて、

私にとって「よきパズル」とは、永遠に解き終わらないものなのかもしれません。それでいて、もう少しで解けるのではないかという期待、あるいは今度こそ解けたかもしれないという錯覚からくる興奮を、幾度となく与えてくれるものなのだと思います。

とあり、また続けて、

 俳句を作ることによって無意識の荒野から拾い集めてきたなにものかは、永遠に完成しないジグソーパズルのピースであり、ここに他者によって並べなおされたそれらを俯瞰したとき、ひとつの完成予想図のようなものが垣間見えた気がしました。しかし、それもまた錯覚なのかもしれません。

と述べられている。「他者によって」の部分は、ほかの部分で述べられているとおり、この句集が他者(中村さんの妻)によって選ばれ構成されたことを表す。
これを考えると、「よきパズル」や「夜食」という物が、いろんなものに見えてくる。改めていい句だと思う。
虎はこれから何度閃くだろうか。いつまでも解き続けられる錯覚の中で。

〈他に好きな句〉

水鳥に交りて姉の来る時刻

連翹咲いてモロッコの首都がいへます

はるうれひ背中が咲いてしまひさう

人向き合ひピアノは背き合ひ西日

天窓があり永遠に上下あり

⑥鷲谷七菜子『銃身』(邑書林、1996)

浅学ながら鷲谷七菜子さんの句をあまり存じなかった。ずっと前に、名前を見かけて調べて、〈遷化てふすずしきことば泉鳴る〉(『一盞』H10)という句だけは知っていた。
今回並ぶ本の中で『銃身』という題名に惹かれて買った。改めて調べて、「南風」の主宰であると知る。山口草堂の弟子。なるほどなるほど、と見ていくと没日が2018年3月8日とある。自分が知らないうちに、そんな最近に亡くなっていたとは。もっと早く勉強していれば、と少し後悔した。

ちるさくら夜に沈みてはるかな貌

下六「はるかな貌」に惹かれた。「夜に沈みて」という詩的な流れから、顔がすっと現れる。今となっては有りうる流れの句であるが、おおらかな語の運びには安心するところがある。

朴咲けり雲のあかるさ遠くへ置き

朴の花は、嘘みたいにパカッと開く白い花。上を向いて笑うように咲く。「遠くへ置き」も納得できる表現。雲を遠くに位置するというのではなく、「雲のあかるさ」なのが、一段階細かい描写で良い。

水の匂ひ嗅ぎし眼を上げ妻恋ふ鹿

順番を追って、鹿の光景が述べられている。水の匂いを嗅いだ眼を上げて、雄鹿は妻を恋う。比喩が静かに行われている。最後の「妻恋ふ鹿」が、窮屈ではない。しとしとと森の奥の湖の辺で暮らしていそうで素敵な雰囲気だと思う。

花栗の闇むつちりと誰かくる

これはバッチリ決まっている句だと思う。栗の花は、しゃらしゃらと白い花で、線のように群れて咲く。若干虫のようで気持ち悪いと思うこともある。雪柳を大きくして気持ち悪くしたみたいな花。
だからこそ、「闇」というのは順当だし、「むつちりと」という副詞もまさに。ぞわぞわする感じ。「誰かくる」という不穏な予感も納得。花の季語がしっかりと詠まれているのを見ると嬉しくなる。

男郎花すつくと息つぎ坂明るし

おとこえし、花薺のようで綺麗な、白い閃光のような花。これも「すつくと息つぎ」が、もう他はないというふうにぴったり。「坂明るし」は若干甘いかなとは思うが、おとこえしの小さく輝く感じが合っている。

行きずりの銃身の艶猟夫の眼

「行きずり」とは、通りすがりの、という意味。通り過ぎた猟夫の持つ銃の、その銃身の「艶」を発見する主体。そして「猟夫の眼」を見る。どんな眼をしているのだろうか。強者の、撃ち殺した達成感でいっぱいの眼か。それでも撃たなければならない、かなしい眼をしているのだろうか。
句集の題名にもなっている句。写生というか、正確に写しこむことの強さが出ている。個人的に銃という言葉が好きで、まさに大好きな句だった。

〈他に好きな句〉

くらき沖身は陽炎と化しきれず

石楠花や影振りすててゆく峠

童女の墓かしぎ春潮縞あざやか

雪原の銃身徐々に決りゆく

草矢すぐ落ちて人恋ひおろかなる

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