no.6 人生年表【高校編】

こんばんは!
前回の続きを書きます。
とは言っても24歳なので、中学3年生から少し噛み砕いてみようかと思います。
今回も温かい気持ちでご覧ください!

中学3年生
それまでの生活がまるで嘘のように、ちゃんと学校に(クラスに)通い始めます。
定期テストもしっかり受けます。
しっかり赤点を取って、数学は補修クラスに入れられました。。
しかし、当たり前のことが全く出来ていなかった私が、ここまでの生活を手にすることができました。

クラスメイトの反応ですが、不登校児が教室にしっかり毎朝来るようになると逆に反応しづらいようで、何も言われませんでした。笑
むしろ私がちゃんと通っていたのは3ヶ月くらいなので、転校生が来た!くらいの感じでした。ほぼ初対面、名前も知らない子が沢山いるなあ、くらいに私も思ってました。

クラス内ではもうグループがある程度出来上がってる中に突然放り込まれるわけですが、私には幸い、地元が一緒で気が合う女の子がいました。その子が暖かく迎え入れてくれ、毎朝一緒に通って、教室移動もお昼ご飯も、1人でポツン…となることは回避できました。

中学3年の夏頃、修学旅行で人生初の海外に飛び立ちます。
行く先はニュージーランド🇳🇿
人より羊が多い と言われるほど自然が豊かな国です。
たった1週間でしたが、自分の英語力の無さや世界の広さを痛感しました。
広大な自然の中でファームステイしたり、アルパカにリードをつけてお散歩したり、現地の中学生の大人っぽさに悲しくなったり、みんなでホーキーポーキーアイス食べたり、生のハカを見て圧巻されたり。
こんな感じで1週間の修学旅行は終わります。

7日間家を離れ、家族と離れることも初めてだったので、とっても長く感じました。
特別なにか危険な目にあったりしていないですが、やはり外国は外国。文化の違いもありましたし、できる方だと思っていた英語が通じないという挫折。その中でも自分がどうしたいかを伝えなくていけないですし、好みの物を食べることすらできません。どれだけ日本での生活が安全で、おいしいものに溢れているのかも感じ、自分が日本に生まれたことを有り難く思いました。

この旅行がもとになり何か生活が特別変わったわけではなかったですが、15歳の私には『親元を離れても一人で1週間生き延びられた』という事実が少し自信になりました。

帰国後、高校への進学テストを受けます。
結果は数学24点 英語97点 国語80点
ありがたいことに、こんな信じられないくらい低い点数でも、1年間しっかり通った努力を認めてくれて進学させていただけました。
そんなこんなで無事に中学校卒業です。

高校1年
高校からはより一層しっかり通わないと、不登校はさすがに退学があるからね!と進級と同時に念押しされます。
外部生が加わり、クラス数は一気に増えました。特進クラスや普通クラス、留学科などもあり、親友とクラスが離れ、絶望します。

担任の先生は、今までも学校で教員こそしていたものの専任を持つのは初めての28歳の女性でした。
彼女は学校一のイケメンで、大人気。バスケ部の顧問だったこともあり、絵に描いたような熱血教師でした。
先生は歳も近かったので、話しやすくて何でも相談できる環境が私の高校生活を助けてくれました。

とはいうものの、進学初日の校内合宿をいきなりサボります。(面倒だったから!)
こんな感じで、この後も回数の許される限りしっかり休みます。サボります。
高校から知り合った子達とも仲良くなり、いじめも特に起きずになんとかやり過ごします。

高校2年
無事進級しました!
この頃から、仲が良かったイギリス人の先生に放課後の特別英会話レッスンをしてもらいます。とにかく英語のクラスが楽しくて、学ぶこともテストも苦じゃありませんでした。
文法がすごくできたわけでもなく、ボキャブラリーもあまりありませんでしたが、とにかく会話することが楽しくて仕方なかったです。その先生がイケメンだったというのもあるかもしれません。。。笑

2年生の夏、人生2度目の海外へ!
修学旅行で行った先はイギリス🇬🇧
前回よりかは英語力が上がっていたものの、さすがのイギリス。まっっったく、面白いくらいに言ってることが理解できませんでした!
学校で習っているのはアメリカンイングリッシュ、現地で聞くのはブリティッシュアクセントですからね。当然です。
なぜ高校の先生たちはちゃんとブリティッシュアクセントを聞かせる練習をしなかったのかが謎なくらい、全く会話になりませんでした。

でも、楽しかった。
歴史的建造物を見に行ったり
バスでストーンヘンジに行ったり
ハリーポッターでも有名なオックスフォードへ行ったり。
見たことない景色を見て、感じたことない空気に包まれて、異様なくらい綺麗な建物に入る。
マクドナルドですら、日本より美味しく感じました。
小さな町でホームステイを4日間
毎日現地の高校生たちと交流しました。
大人っぽい高校生に囲まれて、同い年とは到底思えない17歳が奮闘します。
同じ言語を話しているのに全く会話にならない、一発では伝わらない。
そんな環境でも楽しみながら1週間、イギリスを満喫しました。

帰国後、これまた何か大きな変化があったわけではないです。しかし、私は'英語'というものを何にも知らなかったんだな と思い、今までよりかもう少ししっかり勉強します。英語が話せるようになりたいなあ と思うようになりました。
今行ったら絶対もっと楽しめるだろうなあ…コロナが終息したら行きたい都市の一つです。

高校3年
さぁ、卒業まで残すところ1年!
それとなく授業に参加し、乗り越えます。
ここにきて、進学に悩まされます。
大学に進学するのが当たり前!みたいな高校にいたのですが、当然私にその道は困難を極めました。
4校ほど大学のオープンキャンパスにも行きましたがそもそも出席日数がギリギリ、やりたいことも特にないし、あと4年も学校に通うなんてもうムリだ!!!と思いました。

その時救ってくれたのは親友でした。
彼女は留学科にいたので、1年間の留学を経て帰国し、専門学校に進学するから一緒にオーキャン行こう!と新たな道を提案してくれました。
みんなが大学にAOや推薦で進学を決めていく中で多少焦りも感じていたけれど、彼女のお陰で新たな可能性が広がり、行きたいと思える学校に出会えました。

進学先が決まったので、あとはもう卒業までどうにかやり過ごすだけ!と自分に言い聞かせ、あまりサボらないように頑張ります
ちゃんと無事に卒業できました。

振り返っていて自分でも思いますが、
私の高校生活は、それまでの不登校生活とは打って変わって、全く普遍的な?なんならちょっぴり退屈な生活でした。
3年間しっかり通いつつも、世界史あと一回休んだらアウトだよ と言われるくらいにサボりつつ、友達と学校抜け出してお昼を買いに行ってみたり、髪を染めて怒られたりと、'学校に行ってなかった内気な子'とは真逆のような生活でした。

ものすごく何かを頑張った記憶もあまりない、薄っぺらな高校生活だったと思います。でも、中学〜高校卒業まで6年間の間に、2度も海外を経験させていただけたことをやはり親に感謝しています。
その2回の経験は特別大きな変化を生んだわけではないものの、今の私に変わるきっかけにはなりました。

家族のサポート、学校のサポートがあり
私は無事に『高卒』を手にできました!
あれ、思ってたより中身薄いじゃん。と思われた方、申し訳ありません。
ここまで温かくご覧いただきありがとうございました!

ここから先はもうほぼこないだ起きたことのような話。
不登校児が変わるきっかけについてもまた書こうと思います!

明日も暖かくなるみたいですね。春だな〜とほのぼのしつつも花粉症にやられながら仕事に行きます。
皆様もどうかご自愛ください。

またいつか

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