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フジ子・ヘミングさんの思い出

昨日フジ子さんのニュースが飛び込んできた。

あの頃小さかった私にとって、フジ子さんは、時々ピアノを弾きに来る不思議なオーラを纏ったおばちゃんだった。

フジ子さんは私のピアノの先生の友人で、年に2~3回あった教室のピアノ発表会にふらっと現れた。
文字通り、子供たちとその父兄のための場であったピアノ発表会でフジ子さんの存在は異質だった。

フジ子さんは会場につくと、煙草をスパスパと吸った後に、情熱的なピアノを披露した。曲目はやはりリストが多かったように思う。
そのスケール大きな演奏に、子供ながらに海の大きな波に吞まれていくような感覚を感じた。
休憩所で煙草をスパスパ吸っているフジ子さんに対していたずら心に「煙草いやあよ」と(母の口癖「煙草いやあよ」を真似して)話しかけると、服についた綺麗なフリルを揺らして口の端で二ッと笑ってこたえてくれた。

当時のフジ子さんはまだまだ有名ではなく、何なら会場の父兄で知っている人がいたのだろうかと思う。
母はフジ子さんのミスタッチをよく笑っていたが、父は「あの人はすごい」と連呼していた。
私はというと、ピアノ演奏にはただただ圧倒されて良いも悪いも好きも嫌いも感じる余裕がないただのガキンチョだったが、大学生時代からの友人同士で年を取ってからもこうしてつながり続けられるフジ子さんと先生の友情に淡い感動と羨ましさを感じていた。
二人とも穏やかで猫が好きな人たちだった。

そのうちフジ子さんはピアノ発表会に全く顔を見せなくなった。
私はCDでフジ子さんの演奏を聴くようになった。
ピアノ発表会に来られていた当時は聞けなかったピアノ協奏曲がお気に入りだ。

フジ子さんや先生のことを考えると、暖かいひだまりにいるような気持になる。

フジ子さんも先生もいままでたくさんの人を魅了して、導いてきたんだろうと思う。
ありがとうございました。
あちらでゆっくりお過ごしください。

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