我が家の貧困との闘い!その1
わたしは、年収が1400万、妻は72万(パート)、娘が何と専門職で600万である。
この金額だけを見れば、ぎりぎり富裕層にランクインしるかもしれない。
妻が、
「あなた、マンション暮らしは楽ですが、荷物が増えて狭くなってきました、田園調布辺りに一軒家を建てたいわ」
と言い出した。
娘は、
「お友達の家は、お庭があるのよ、そういうところに住みたい、パパ!」
という。
コロナ前は、本業の他に講演の依頼が多く、講演料金だけでかなりの金額になった。
1400万+講演料金ということである。
わたしの考えでは、住宅ローンに講演料金を当てれば何とか今の生活を維持しながら新築ができるということだ。
無事、予定通り一軒家が建った。
家が広く、妻だけでは掃除が行き届かなくなり家政婦さんを雇った。
この一軒家が建った段階で、大きなミスがあった。内装家具の代金を考えていなかったのだ。
さらに、一番致命的だったのは、建売住宅と同じ気でいた。
つまり、土地と建物がセットで幾らということだ。
建売ではない。設計士に頼み図面を書いてもらい、立ててもらったのである。土地の値段が高かったせいか、それしか頭になく、建物を建てるのにかかる経費、庭造りにかかる経費が完全に抜け落ちていた。
家具は、今までのマンションの古びた年季のはいったものをもっていけばよいと考えていた。
しかし、妻と娘は、ソファー、ダイニングのテーブル、ランプ、食器、洒落たタンス、洗濯機の最新型など、新しくしたいという。
わたしもその雰囲気にのまれ、自家用車、書斎のデスク、書斎の書棚、書庫まで作った。
音楽を聴くのが趣味なので、フィンランドからスピーカーを取り寄せたりした。
部屋の割り振りであるが、夫婦の寝室(新しいキングサイズのベットをわざわざ買ったった、さらに、寝室に置くテレビ、小さな冷蔵庫、洒落たランプを購入した)、わたし専用の部屋は、さっき言った書斎と大きなスピーカーが置いてあるところをメインリビングにした。
娘の部屋。彼女も新しいベットにタンス、アンティークのデスク。
妻は日本舞踊を始めたのでその練習部屋が一つ。わたしは油絵を描き娘は焼き物をするのでアトリエを一室。
和室は、京都から宮大工から来てもらい茶室とお座敷を作った。大きな納戸も作った。
お手洗いは、1階には、リビングの近くに一つ、和室のある方に和風のお手洗いを一つ、2階には、共用お手洗いが一つ、寝室内に別に一つである。お手洗いだけで四つあるのである。いかに広い家かわかるであろう。
お庭には広く、芝生を植え、梅の木、もみじ、松、かえで、さらに庭石を入れ灯篭まで作った。
それと駐車場である。防犯カメラをいくつも設置した。
銀行からの借り入れが相当大きく膨らみ予想していた住宅ローンの金額を軽々と超えた。
コロナで副収入である講演の依頼は消えた。
専門書の依頼を受け何冊も書いたが、専門書なので売れないと来ている。
自らがまいた種で貧困に確実になった。
追い打ちをかけるように、自動車のローン、庭師・植木屋さん代金、家政婦さんの給与の支払い、公認会計士への支払いがある。
家が広いので光熱費が馬鹿にならない。
食費、衣類から倹約をする。
さらに、妻に食器洗い機は電気代がかかるので使わないように言う。
全室にエアコンがあるのだが、光熱費がかかるので扇風機を入れる。
これでは、大きな殻を背負ったヤドカリのようだ。
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