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私の尊敬する人②

私の尊敬する人は、いつだって冷静。
その時の感情で動いたり、発言する事はない。
どんなときも穏便で、自分が思っている以上に
相手のことを親身になって考えている。
たまに不器用なところもあるが、
それも人間味があって良くて
そんなとこに愛おしさもある。


学生の頃、今とは違って完璧な人に憧れるタイプだった私は、そんな人しか認められずにいた。勉強においても、サークル活動においても、仕事においても。要領を良くこなし、友好関係も上手で、期待をはるか超える人たちを尊敬する人だと認知していた。
 しかし、そんな人たちが何かミスをした時や、人生で挫折を味わった瞬間、その人への敬意は薄れて次第に尊敬する人ではなくなってしまった。その人を助けることを出来ないのではなく、せずに見放してしまうことがあった。これは数年前の私である。

そんな私が、今の感性に変わったのは海外留学へ行ってからだ。特に意識せず過ごす日々であったが、海外で暮らすということは1人ではかなりの苦労が必要だ。資金的な問題はもちろん、大学側の援助であったり、何かしらの形で周りからの支援が必要である。
「1人では何も出来ない」
ことに気づいたことが、大きなきっかけである。


大学を卒業し「学生」から「社会人」へと進む。
学生は、まだまだ自立はしておらず、独り立ちしているようで、まだ子供だ。社会人となると「責任」がついて回る。しかし、必ず助けてくれる上司や同僚がいる。社会人となり、「周りへの感謝」を強く持つようになった。

誰にでも憧れる存在がいる。存在を目指すことで向上心が高まる。その道中は、決して楽なものではない。
見えない努力、数々の挫折がつきものだ。積み重ねて、その存在へと近づくのだ。1人で闘うのではない。
その道中では支えてくれる人がたくさんいる。

『家族、恋人、親友』

自分を支えてくれた人たちには、恩を返そう。

「相手に感謝の気持ちがあるから、恩返しができる」

私はこう思う。

当時の私は、色んなことから守られていて
本当の自分を知らなかった。こんなにも弱い人間だと。たくさんの経験を通して、自分自身の感性が大きく変わった。

私の尊敬する人は、私に対して
「プライドが高すぎる」
と、心をグサグサに突き刺したことがあった。
それがとても良かった。
相手に求めたり、1人で全てやってしまったり、何に対してもストイックすぎる私に釘を刺してくれた。そう言われてから、心の目線をグッと下げて物事を見るようにすると、足元に転がる喜びに気づくことができている。

『今日も元気。仕事に行ける。友達と遊べる』など。



私の尊敬する人は、私をどんどん
人間味のある人間へと育ててくれる。

「そんな彼に出来ることはないか?」
と自分に問うと、今ではすぐに答えがでる。

どんな境遇でも、どこへいても
見捨てず、支え続けることが私の使命なのだ

と。

#フランス留学