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「恥」との攻防戦

 告白します。私不審者です。
 電車の中やデパートでぶつぶつ独り言をつぶやいている人ってたまに見かけますよね?以前は私もみんなと同じように「ちょっと危ない人なのかな。目を合わせないでおこう」と見てみぬふりをしていたんです。なのに、気が付くと今は自分がその危ない人になってしまっているんです。

 仕事中の自分の言動や失敗を思い出して頭がいっぱいになって、発狂してしまうのを押さえつけようと「死ね」と言ってしまう。そりゃ完全に一人の時なら問題ない。でも私は街中を歩いている時や満員電車の中でもそれを我慢できない。まだ理性が働いているからさすがに人が大勢いる所でデッカい声で「死ね!」とかは言わないけれど、少なくとも独り言は絶対言ってしまっている。
 完全に一人の空間はもっとやばい。「死ね死ね死ね死ね!!!」とか「あーーそうじゃない!違うんだって!それはですね!!!」とか意味不明で支離滅裂な言葉を叫んでいる。うっかり知らない人に見られでもしたら本気で通報されかねない。


 どうやら私を発狂させているものは、「恥」という感情みたいです。だけど今までこんなに自分を恥ずかしいなんて思った事はなかった。
 オフィスワークになって、自分の一挙一動が知らない所でいろんな人に見られたり、ちょっとした出来事で噂をされたりするようになってから、私は今まで自分が人にどう見られるかということにどれだけ無頓着だったか思い知りました。すると今度は自分の中で「恥」という感情が瞬く間に急成長を遂げました。


 私はわりと自分と向き合うタイプの人間なので内省は得意な方なのですが、少し前までは自分の行動を振り返ろうとすると「恥」が襲い掛かってきて、自我を保つのが非常に難しかった。もういっそ獣になって天に向かって吠えることができたらどんなに楽かと思いましたよ。
 しばらくは現実から目を背け続ける生活を送っていましたが、少し気持ちが落ち着いてきたので、せめてこの発狂癖をどうにかするために「恥」と向き合うことにしました。
 以下は私が行っている「恥」との向き合い方です。











① 恥ずかしいと思った「事実のみ」をメモしていく

日々恥ずかしいと思った出来事を淡々とノートに書いていく。手帳とかスマホでも何でもいい。とにかく感情を抜きにして事実のみを書いていって、ある程度溜まったら改めて読み返す。すると自分が恥ずかしいと思ったことに共通点があることに気が付く。私の例はこうだ。

・隣の部の人が気さくに話かけてくれたのに咄嗟に言葉が出ずに上手く会話ができなかった。
・電話の相手が威圧的な人で聞かなければいけないことを聞けなかった。
・同じ部署の人から仕事の応援を頼まれたけれど自分のスキルに自信がなくてもごもごしている内に「もういいから!」と言われた。
・自分が電話で別の会社に質問している時、受け答えが上手くいかず相手に「何が聞きたいんですか?」と言われた。

「何故自分が恥ずかしいと思ったのか」という視点で考えると上二つは「自分が堂々とした態度の人間に対して恐怖を感じるから」だと思うし、下二つは「自分に知識がないことがばれるのが怖いから」だと思う。目的は自分が何を恥に感じているかを把握して、それに対しての対策を考えること。何となくネットで同じような人を検索したり自己啓発本を読み漁って良い方法を探そすことは、自分が何の病気かも分からずに手当たり次第薬を飲みまくるようなものだ。自分の状態を把握してこそ適切な対処法が見えてくる。

②自分の「恥ずかしい話」を誰かに話す

家族、友達、仕事仲間、話しやすい人に自分が恥に感じたことを話す。話相手がいないならペットやぬいぐるみでもいい。SNSに吐き出すのも良いけれどやはり実際に言葉に出した方が良い。「恥」を感じている時私たちは自分だけが舞台の上で強烈なスポットライトを浴びているような錯覚に陥っている。自分の中では重大事件のように感じるけれど、一旦外に出してみると人から共感や励ましをもらえたり、自分でも「あれ?実際口に出してみると大したことないのかな?」と思えたりする。逆に自分の中に溜め込むと自意識がどんどん肥大化していってますます深刻に考えてしまう。①が「恥」の根本的な解決だとしたら②は「恥」に直面した時の対処法だ。 







 

 これが私の「恥」との戦い方です。私はどこにでもいる平凡な人間だから、私と同じようなことを考えている人って案外いると思うんですよね。なにか大きな感情に飲み込まれそうになっている人、書いて観察してみてください。誰かに話してみてください。もしこれが何かの手助けになれば幸いです。

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