見出し画像

「何もしない日」は大切なことを教えてくれた

 大雪で電車が止まってしまったので急遽会社が休みになった。特に予定もないし、外は猛吹雪だ。

今までの私だったらこの休みを利用して自分のスキルアップのために自己啓発本の内容を実践してみたり、仕事の勉強をしたり、自分の役に立ちそうな情報収集をすることに情熱を燃やしていた。

 だけど私はなりたい自分なんてものがなくて(過去記事「仕事が好きじゃなくて、ただすごい人になりたかった。」参照)、承認欲求にかられて何となくすごい人になりたかっただけだったことに気が付いてから急に燃え尽き症候群がやってきた。どんなに仕事を頑張っても、自分を磨いて綺麗になっても私は「すごい人」にはなれない。自分は特別だと思いたい、ありふれた一般人なのだ。そう思うとせっかくの休みもだらだらとツイッターを眺めて過ごしたり、顔にニキビができたり体に脂肪がつくことにも頓着しなくなってしまっている。

 だけど生意気なことにまだ私の中に輝きたい欲望が残っているのだ。この何となくダラダラと年齢だけを重ねる日々をどうにかしたくて休みの日にあれこれ挑戦しようと試みるが、頭と体がリンクしてくれない。でも何もしない日を過ごしてしまうのが怖くて中途半端に何かに手を付ける日々。

じゃあ敢えて「何もしない日」を過ごしてみるのはどうか?そういえば完全に何もしない日を過ごしたことがここ数年ほとんどない気がする。いつも何かしていないと落ち着かないからこそ、敢えて1日を何もせずに過ごすことによってその反動で自分の中に行動するパワーが生まれるのではないか?自分の中の仮説を検証するために急遽できた休日を「何もしない日」として過ごすことにした。

「何もしない日」のルール

・ネットやテレビは極力見ない、家事もしない
・考え事もせずできるだけボーッとして過ごす

 こうして「何もしない日」を過ごして1番分かったこと。それは「本当に何もしないと永遠に寝てしまい、結果滅茶苦茶頭が痛くなる」ということだった。いやマジで。冷静に考えたら1日中何もせずに無心でいるなんて冬眠でもしない限り無理だ。寒いのも相まって自然と体は羽毛布団の中に向かう。そして寝て起きてを繰り返していくのだが、朝からずっとそんなことをしているとさすがに1日の許容できる睡眠時間を超えてしまい夕方頃から頭痛に苦しめられることになる。頭痛の時は薬を飲んで寝るしかないが、寝すぎで頭が痛くなっているためそう簡単には眠れない。

 こうして私の「何もしない日」はわりと意識高めに取り組んだにも関わらず、頭痛と吐き気に苦しめられるという何ともまぬけな結果に終わってしまった。今回学んだことは以下の3つだ。

・リフレッシュのために何もしないのなら、時間帯を決めてやること
・寝すぎは体調を崩す
・同じ何もしない日を過ごすならスマホをダラダラ見る時間が少ない方が充実度が上がる

 今なら確実に言える。明日は今日よりマシな日が過ごせるわ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?