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原爆投下の免罪符として利用されるパールハーバーと広島平和記念公園との姉妹『公園』協定

「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」の岸直人さんに寄稿していただきました。情報公開請求によって広島市が開示した公文書や広島市との交渉をもとにした論考です。JCJ広島は、教科書ネットひろしまと協力して、この問題に取り組んでいます。


はじめに


 私たちは姉妹公園協定に係る開示資料の分析をすることによって、米国政府の意図を実現するために結ばれた不平等で不公平で欺瞞に満ちた協定だということがわかってきた。
 「不平等」というのは、米国政府から広島市への「姉妹公園協定を結びたい」という一方的な要請を受けた広島市は協定文書作成を米国政府に丸投げして結んだ協定だからだ。
 「不公平」というのは、原爆投下の人道的責任を不問にしておきながら「お互い許し合い和解」しようという米国政府の都合の良い利益を実現するために結んだものだからだ。
 「欺瞞」というのは、松井市長のいう「和解と未来志向のための」という協定の目的が核廃絶とは真逆の、米国の原爆投下責任を隠し、今後も核兵器の使用を容認にする「免罪符」の役割として使われていることだ。ロシアによる米国政府の原爆投下への批判に対して、米国政府は「ヒロシマは許してくれたのだから正義のための原爆投下だった」として、今後も「正義の核」を使用することの正当性を世界にアピールするための材料としてヒロシマを免罪符にしたのである。
 重要なことはアメリカの原爆投下責任の問題である。被爆者と被爆者を支援する市民がずっと求めてきたのは、子どもを含む十数万人の市民がなぜ大量虐殺されなければならなかったのか、市民の無差別虐殺は許されるのかという疑問への回答である。米国の原爆投下責任を棚上げした「和解と未来志向」の協定は、実は米国政府の利益に誘導するための非常に不平等で不公平で欺瞞に満ちた協定だということである。 
なぜ私たちがこのように考えたのか、その論拠を具体的な事実に基づいて以下説明する。

1.米国政府の強い「意向」で結ばれた不平等な姉妹公園協定であること


 私たちは姉妹公園協定の締結に係る公文書を開示請求によって広島市から入手した。それによると、協定締結は、4月6日に米国総領事館から広島市に「米国政府の意向で、G7で平和記念公園とパールハーバーがシスターパーク(姉妹公園)の署名ができるよう話を進めたい」との電話から始まった。

 4月14日の米国総領事館と広島市担当者との協議では「広島側で協議が必要なことは理解している。残り1か月だ。広島側で市長に迅速に話を上げ、内部で協議し、進捗状況を教えていただきたい。G7サミットが広島で開催されることはもうないであろうし、次に米国大統領が広島を訪問する機会はいつになるかわからない。もしこの姉妹公園協定はよいアイデアだと思っていただけるのであれば、サミットはまたとない好機である。」と米国側は広島市に約1か月で締結を進めることを要求していることがわかる。

これに対して広島市は「協定の中身をパールハーバーや広島市民が納得できるもの」にしたい旨を伝えているものの、6月29日締結日までの75日の間、当時開かれていた6月議会で松井市長は議会に説明して理解を得ることはしなかった。
 不可解なのは日米が対等であるならば対等に協議をして協定書を作成するところ、広島市は米国側に対して「協定書の内容を事前に見ることは可能か。」「協定書の日本語版はアメリカ側で準備してもらえないか。本市はそれを確認する形にさせてもらいたい。」と協定書作成を米国側にほぼ丸投げしているという、米国政府の一方的な要求によって結ばれた不平等な姉妹公園協定であるといえる。

2.「パールハーバー国立記念『公園』」の名称は広島市が作った欺瞞の「造語」であること


 この協定書で広島市が使う「パールハーバー国立記念『公園』」の原語はPearl Harbor National Memorialだ。これまで広島市は「パールハーバー国立記念碑」ないし「パールハーバー国立記念館」と翻訳してきた。ところが今回広島市は公園どうしの協定だという印象づけを市民にするために訳を、「公園協定」だからと言う理由で「国立記念『公園』」との造語をあてたのである。これは市民に対する大きな背信行為である。なぜならば、市はこの「国立記念公園」内にある「ユタ記念碑」「オクラホマ記念碑」は国立公園局の管理下にあるので軍の施設ではないと説明するが、「ユタ記念碑」「オクラホマ記念碑」は米軍基地内に存在して軍の厳しい管理下にあり、真珠湾攻撃で戦死した兵士を慰霊し顕彰することが設置目的の施設(memorial)であるから一般的な公園ではない。広島市は米国政府の強い「意図」を受けて、市民に疑問を持たせないためにNational Memorialを「公園」と訳したのだ。
 相手方施設の軍事的性質と設置目的を説明せずに隠したままにして協定が「平和と和解の架け橋の役割を果たしていく」などと言葉を取り繕って協定を結ぶことは両国の市民の信頼を失うことにつながる。

3.設置目的と歴史認識が異なる2つの施設を対等に見せかけた欺瞞の協定であること


 
(1)設置目的の違い
 「パールハーバー国立記念碑(館)」にある「アリゾナ記念館(碑)」「ユタ記念碑」「オクラホマ記念碑」は全て戦艦の名前を付けられた施設であり、旧日本軍による真珠湾攻撃のために亡くなった兵士の慰霊と顕彰をすることが設置目的の施設だ。
 一方、広島平和記念公園(または「広島市の平和記念公園」)は「広島平和記念都市建設法」に基づき、1955年に原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された都市公園とされている。
 兵士の慰霊と顕彰と、無差別大量殺戮された市民の慰霊とではその設置目的が全く異なる。
 
(2)2つの歴史的事件の事実認識の違い
米軍による広島への原爆攻撃は、最初から大都市を住民もろとも丸ごと破壊することを目的に、強烈な破壊力を持った核爆弾で都市を壊滅させ、多くは非戦闘員である16万人余の市民の命を奪うことを目的としていた。原爆投下は米軍による計画的な無差別大量殺戮であり、本来ならば「人道に対する罪」と「平和に対する罪」によって米国政府が裁かれるべきものだ。原爆攻撃は、必然的に無差別大量殺戮という重大な戦争犯罪行為になることを、米国の戦争指導者らは事前に理解しており、ソ連が対日戦を開始する前に、原爆の威力をソ連に見せつける形で戦争を終わらせるための戦略的な理由で原爆の使用を決定したことは公開されている歴史的資料で明らかだ。

 一方、日本軍による真珠湾攻撃は、宣戦布告なしの奇襲攻撃だが、軍事施設と艦船・戦闘機などの兵器と戦闘員だけを攻撃目標とした軍事攻撃であり、死傷者数は約3,500名、そのほとんどが兵員である通常の戦闘である。
あまりにも不釣り合いな歴史的事実をふまえれば、姉妹公園協定を「太平洋戦争は真珠湾攻撃で始まり、原爆投下で終焉した」という言葉のレトリックであたかも対等の協定に見せようとする欺瞞が見えてくる。

加えて、ここには「太平洋戦争」をあたかも日米間の戦争であるかのようにイメージさせるもう一つのレトリックがある。事実認識として真珠湾攻撃の直前に英領をねらうマレー半島への攻撃を行っている。その先頭に送られたのが広島の第五師団であることも周知の事実。日本軍によるアジア侵略こそが「太平洋戦争」の幹(みき)であって、真珠湾攻撃はその幹を助ける枝(えだ)であることは、看過してはならない歴史的事実である。

4.姉妹公園協定は「広島ビジョン」を支え、米国政府の原爆投下責任を不問にする


 
 松井市長は「姉妹公園協定は広島ビジョンを前進させる」と記者発表した。その広島ビジョンとは「安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争と威圧を防止すべきとの理解に基づく」として核保有と、核兵器の使用を正当化したものだ。市長がいくら「和解と未来志向」といっても、この姉妹公園協定は核廃絶を求めるヒロシマの市民の願いに逆行するものだ。

 市民局長が9月21日の広島市議会で市長の意思として「原爆投下に関わる米国の責任に係る議論を現時点では棚上げ」にすると述べ、記者会見で松井市長は事前にその事を米国政府と協議することなく「姉妹公園協定」を締結したことを認めた。
 従って、この議論をすることなく姉妹公園協定で広島市が米国政府を許す「和解」というメッセージを出すことは、逆にヒロシマの核廃絶の願いを遠ざけることになるだけで、決して核廃絶をめざす「未来志向」にはならないのである。
 

5.議会や市民の意見を聞かずに締結した協定はG7サミットを利用した米国政府の軍事戦略 に利用された協定であること


 
 姉妹公園協定締結の手順について広島市に問い合わせたところ、広島市職務権限規程に則り(市長が)事務決裁を行う、との回答だった。つまり、市長には議会に諮ったり報告したりする義務なく締結できるということだ。しかし、市長であれば市民の意見を聞かずにどの都市や公園とも協定を締結できる、ということではない。

 そこで広島市がかつて姉妹友好都市協定を締結したホノルル、ハノーバー、ボルゴグラード、重慶、大邱、モントリオールとの協定締結に係る議事録を入手して分析した。
 その結果、どの都市についても当時の市長は事前に全員協議会や総務委員会や各派代表者会議に対して締結目的の説明を行い、締結後には議会に報告し、議会は承認をして発効するという手続きを踏んでいたことがわかった。

 中でも第2次大戦でドイツ軍が敗北した最大の激戦地ボルゴグラードと人類初の被爆地広島市とは縁組みをすべきだという意見と、日ソ中立条約破棄やシベリヤ抑留の問題が今もあるからすべきではないという意見とが激しく対立した。しかし、既に1961年から始まっていた交流はソ連のチェコ侵入事件もあったが、この間8回市議会での激論が交わされた後に、両者が平等に協定書文案を出し、対等な協議により1968年に締結がされ1972年に市議会で協定書の承認が行われた。

 日韓の歴史問題を踏まえて反対の意見が出た大邱市との姉妹都市協定についても市長と議会との合意の末1997年に締結された。
 当時の市長は市議会議員に対して様々な場で協定の意義や目的を説明し、合意を図る努力をしたことがうかがえる。
 過去の姉妹友好「都市」協定と今回の姉妹「公園」協定とは協定の対象や大きさが異なるとは言え、核抑止を容認したG7サミットの地で、原爆を投下されたヒロシマと投下した米国との締結が世界に及ぼす影響は姉妹友好都市協定以上に大きいといえる。
 にもかかわらず、議会や市民の意思を一切無視し、原爆投下責任を「棚上げ」にして締結したこの協定は松井市長が米国政府に核使用の免罪符を与えた、核廃絶の対極の欺瞞に満ちた協定であると言わざるを得ないのである。


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