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佐野尚

 「監獄の改造に就き或る人の問に答ふ」
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   大日本監獄協会雑誌6号(1巻6号)明治21年10月

 佐野尚(嘉永4(1851)年―大正13(1924)年)は大日本監獄協会の創設者の一人で、長く「大日本監獄協会雑誌」の編集を担当、自ら多くの記事を執筆して同誌の内容の充実に努めた。不平等条約の改正に向けた我が国の監獄改良のために差し当たり欧米の監獄制度についての知識が求められる中、フランス語を学んだ佐野は多くの海外文献を紹介したが、この文は佐野自身の考え方を述べたもので、監獄改良の目下の重要事として、監獄建築の改造よりむしろ「司獄官を養成すること」と「(広い意味での)教誨法を完全ならしむること」を挙げている。 

  明治32年に大日本監獄協会と警察監獄学会との関係が整理され、大日本監獄協会雑誌(いわゆる赤雑誌)と監獄雑誌(いわゆる青雑誌)が統合された際、赤雑誌の編集者であった佐野は協会を去った(注1)が、その後も茶話会に出席するなど協会との交流は続いていた模様で、佐野が亡くなった際には遺族から所蔵図書と寄付金が協会に寄せられ、これに対し協会は感謝状を贈呈した。(注2)

(注1)第二十六回全国更生保護大会事務局編「更生保護史の人びと」のうち、佐野尚(佐々木繁典執筆)1977年7月P120~126(矯正協会「矯正協会百周年記念論文集別巻」平成2年8月P494~498にも収録)
(注2)「佐野尚氏逝く」刑政第37巻第7号(大正13年7月)


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