原胤昭
「東京出獄人保護事業創立半年報」
大日本監獄協会雑誌111号(10巻8号)・112号(10巻9号)
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明治30年8・9月
(監獄雑誌8巻7号 明治30年7月は同内容)
この時代に生きた人の中でも際立って波乱に富んだ生涯を送った原胤昭(嘉永6(1853)年―昭和17(1942)年)は、教誨師としての経験を踏まえ、出獄人保護に取り組み、明治30年、1万人に近いとされた英照皇太后崩御大赦による釈放者保護の必要性の高まりを受けて、東京神田区猿楽町(現神保町)に東京出獄人保護所「原寄宿舎」を創設した。
この文は、その創立半年の報告であり、事業費会計、寄宿者の貯金の扱い、炊事の担当、亡くなった者で身寄りがない場合は原家墓地に埋葬したことなど詳しく記述している。この事業により原は「更生保護の父」と呼ばれることになる。
事業の対象者の範囲は広く、15年報(監獄協会雑誌25巻2号76~77頁)によれば、「益々事業を敏活に有効に社会を益せん事を思ひ餘力試る處の二保護事業」として、被虐待児童保護及び浮浪者保護についても報告している。
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