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谷田三郎

「<論説> 少年法に就て」
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監獄協会雑誌33巻10号~11号 34巻1号~4号(大正9年10月~10年4月)(「少年法に就て」法曹記事30巻11号~31巻3号(大正9年11月~10年3月)は同一の講演会における講演記録の体裁をとっており、ほぼ同内容)

  谷田三郎(明治4(1871)年―昭和13(1938)年)は、明治38年8月から検事兼司法省参事官、41年3月改正刑法及び監獄法実施準備委員として監獄法施行規則の起草に従事した後、明治44年11月から大正10年6月まで司法省監獄局長として、(1)監獄協会内の中央保護会創立、次いで財団法人輔成会としての独立、(2)収容分類、累進制、自治制の試行、(3)高等文官試験合格者の採用等の人材育成、(4)監獄衛生の改良等の業績を残した。 

 この文は、大正11年4月の旧少年法公布以前に、立案に関与した谷田が同法案について概説したもので、宗教家に対する時局講演という体裁は取っているが、講演原稿に加筆して完成させたものと思われる。国会に上程されていた少年法案(成立した少年法と内容に大きな変わりはないもの)について、少年法の歴史と理論に始まり、反対意見にも触れつつ矯正院及び少年審判所まで網羅的に説明しているので、近く迎える少年院100年を考えるに当たっても基本文献の一つと思われる。

 旧少年法は、大正3年3月から国会で法案審議され、4度目の上程で大正11年2月に成立、施行に当たっても難航し、当初は東京、大阪等の大都市を中心に保護処分を施行、漸次施行区域を拡張し、昭和17年1月から全国施行に至った。(注) 

(注)その経緯は、矯正協会編「少年矯正の近代的展開」(矯正協会 昭和59年)第2編第3章「非行関係諸法令の公布」272頁~340頁及び第4章「大正11年少年法による保護処分の展開」364頁~に詳しい。


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