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有馬四郎助

「在監者の日曜日休役論」
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監獄協会雑誌34巻6号 大正10年6月


 有馬四郎助(元治元(1864)年―昭和9(1934)年)は、「愛の行刑」の実践者として名高いが、特に関東大震災の折、被災した小菅監獄から一人の逃走者も出さなかったことで、名典獄とされた。
この当時は日曜には教誨を行うとの規定はあったものの、(注1)日曜日も就業させる刑務所が多かった。有馬は、この文で、祝日のほかに安息の日がないことによって精神は衰え、元気は失せ、体力も減ぜざるを得ないとし、看守の長時間勤務や民間の主な工場でも月4回の休日を与えていることも理由に挙げ、日曜日の就役全廃を望むとした。
 この問題は5月4日から12日まで開かれた典獄会議で議題の一つとされており、その概況を報告した寺崎勝治(当時豊多摩監獄の典獄)も日曜休役に意義があるとしており(注2)、有馬の意見は必ずしも突出したものではなかったと思われるが、次々号で監獄医打田義芳は、行刑の目的は受刑者の改過遷善にあるのだから、適当な日曜生活法の立案のない限り日曜休役は有害無益と批判している。(注3)
 この後、大正11年10月に毎月2回免業が加わり、戦後昭和22年9月に至り毎日曜免業とされた。

(注1)明治41年監獄法施行規則80条「教誨ハ休業日又ハ日曜日ニ於イテ之ヲ為ス可シ」(それ以前―明治14年監獄則93条「教誨ハ免役日又ハ日曜日ノ午後ニ於イテ其ノ講席ヲ開クモノトス」 明治22年監獄則施行細則93条は14年監獄則を継承。同32年年監獄則施行細則90条「教誨ハ免役日日曜日又ハ休役間ニ於イテ之ヲ為ス可シ」)
(注2)寺崎生「典獄会議見聞録」監獄協会雑誌34巻6号46~48頁 なお、会議全体については「典獄会議状況」同34巻5号84~86頁 
(注3)打田義芳「日曜日休役に関する考察」監獄協会雑誌34巻8号9~14頁

(参考)免業日(遭喪免業を除く)の経緯

明治41年監獄法施行規則➢大祭 祝日 1月1日2日 12月31日のみ
大正11年10月大臣訓令➢上記のほか 毎月2回免業
昭和22年9月行刑局長電信➢毎日曜日を免業として差支えない。
昭和38年12月大臣訓令➢1月3日免業
昭和48年3月大臣訓令➢土曜日半日免業
平成3年6月大臣訓令➢夏季免業3日 12月30日も免業
平成4年4月大臣訓令➢土曜、日曜全日免業
平成12年7月大臣訓令➢ 夏季の免業 冬季の免業3日ずつ
平成18年5月刑事施設法施行規則➢矯正処遇等のうち専ら作業以外のものを行う日として定める日」(19条2項4号)

(参考)作業時間の経緯

明治5年監獄則 ➢8時間
14年監獄則 ➢各月による(最短6時間12分 最長9時間5分)
22年監獄則 ➢各月による(最短7時間 最長10時間30分)
32年監獄則 ➢同上(ただし、月ごとの作業時間に変更あり)
明治41年監獄法施行規則➢ 最短7時間 最長11時間
大正10年10月司法省訓令 ➢最短12時間 最長13時間
昭和6年11月行刑局長通達➢ 上の各月作業時間を1時間短縮試行 最短11時間 最長12時間
昭和20年11月行刑局長通達➢ 上の各月作業時間を1時間短縮試行 最短10時間 最長11時間
昭和21年8月行刑局長通達 ➢1日8時間に短縮して差支えない。
昭和28年11月矯正局長通達 ➢1日につき8時間 1週間につき48時間
昭和46年9月大臣訓令 ➢1日につき合計30分に限り作業時間の一部として休息可
昭和48年3月大臣訓令 ➢土曜日半日免業 1週間につき44時間
平成4年4月大臣訓令 ➢土曜、日曜全日免業1週間につき40時間
平成16年3月大臣訓令 ➢作業時間の短縮可
平成18年5月刑事施設法施行規則➢ 原則「矯正指導及び作業を行う時間は、1日につき8時間を超えない範囲内で定める」(47条1項


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