教誨師として接した監獄を改良し、犯罪者を改過遷善する方途を求めて渡米し、ゼブロン・ブロックウェイ(Zebulon Reed Brockway 1827–1920)のエルマイラ監獄で学んで明治28年4月に帰国した留岡幸助(元治元年(1864)年―昭和9(1934))は、非行少年の感化事業を「一路白頭に至る」仕事(This one thing I do.)とすることを決意した。この文では、「悪少年」を教育する感化院が確立されず、監獄に収容するほかない刑法の一大欠点を指摘し、成人の犯罪者と「犯罪の未だ其形を成さざる」非行少年を改良することを比較して、犯罪傾向が固まった者を改良するのは難しく、犯罪の始まった初期に防止するのはやさしいとして、未成年の感化事業による犯罪の減少を図ることが急務と主張している。(注)