ラジオ屋さんごっこ#200の感想

久々にこのポッドキャストを聞いたので、感想を書く。

消費とは何か

このポッドキャストの中で、「消費」という単語は悪い意味で使われているように思う。カルチャーを消費し過ぎることは良くない、逆に消費していない人とはどういう人なのか、アイデンティティにまでなっている人はそうじゃないかもしれない、という話。

聞いてて感じた印象は、「消費」をライトユーザ、その逆をヘビーユーザ、とイメージしているかもしれない、ということだ。古参が新規を揶揄するような、原作ファンが実写化映画を揶揄するような、そんな印象を感じた。

完全にそうという話では無くて、そういう話が混じっている気がする。

同じアーティストを長年応援している人が、たった 3か月応援している人や 1曲しか好きじゃない人より偉い、みたいな風潮がある気がする。それはきっと、そのアーティストを好きな人だけが住んでいる星においてはそうなんだろう。そのアーティストを大好きな人間しかいない星において、そのアーティストの事をどれくらい知っているか、どれくらい金を時間を労力を使っているか、が大事なステータスになり、尊敬すらされうる何かになったりする。

ただそれを、別の星の住人が観た時にはその価値観は理解できない。しかし、その別の星から来て適当にそのアーティストを消費してどこかの星に戻って行ったらそのアーティストが大好きな星にいる住人に「なんだあいつら!」と思う人がいるというのは当然な気はする。

また、色んな星を飛び回っている人がいて、そんなに色々な星に移動しない人がいた場合に、飛び回っている人に対して「好きな星を見つけて長く住んだらいいのに」と言うような事を言う人がいたりする。それが何かを消費しがちな人とカテゴライズされている気がする。それが良い悪いってのは、客観的には違う。だが、そう思ってしまう人がいるのは当然な気はする。

とはいえ、ポッドキャスト内ではそういう話から、また少しずれていって消費の何がダメなのかって事よりも、理解できるか否かって話に移っていた印象。

エンタメと恋愛と色々と

誰かにとってエンタメは生きる源であり、誰かにとっては人生にエンタメは無駄なことであったりする。

例えば自分の場合、学生の頃はゲームをよくやっていた。今はあまりしない。しかし、大人になってもゲームをし続けている人もいる。それに対して「なんか勿体ないね。本とか読んで勉強したら?」と思ってしまうことは確かにある。あるのだが、最近思うのは「人生に意味なんてない。そしたら、どういう人生にも意味はないかも」ということだ。ゲームもゲーム以外も、同じ様に意味なんてない気がしてきた。

また、酒やギャンブルにのめり込んで人生の全てをつぎ込む人がたまにいるけれど、人によって遺伝子の影響でなりやすかったりするらしい。そう言われると、何が好きとか嫌いとか、趣味があるとかないとかも遺伝子によって結構影響を受けている気がする。

何が言いたいかと言うと、人と人との差を育った環境などで説明を付けて納得したくなる気持ちは凄く分かるし自分もすぐしてしまうのだが、遺伝子による影響だとそんな説明は出来ないケースが多々ある、という話だ。つまり「他人の行動を理解できないということはよくある。また、それは説明すらしようがないケースがある」ということ。育った環境による違いと、生まれながらの遺伝子による違いと、その両方が複雑に組み合わさってその人を形作っている。それ以外の何かも影響している。そして、他人の何か(趣味嗜好や行動など)が理解できないことが多々ある。

そして、その理解できない行動が自分の理解では「無駄なこと」だったりするとイライラしてしまったり、見下したりしてしまうことがある。

例えば今回話に出てくる「自分が理解できない人たちに対して(なに無駄なことしてるのさ)と思ってしまう」と言う話は、そういう事なんだろうという気がする。

ちなみにこれを解決、改善する方法を考える場合、前半部分の「理解できない人たち」の部分を解決するには世界の全てを理解しなければいけないので無理なはず。そうすると「(なに無駄なことしてるのさ)と思ってしまう」のを直すか、諦めてそう思い続けて生きる、ただしそういう諸々の状況を客観的に理解した上で、みたいになるか、という話な気がする。

途中、リー子さんが「豊かだね」と言われてたのは、理解できている世界が広いからなのか、理解できない何かに対してイライラすることが少ないからなのか、そのどちらか両方か、などなどは良く分からないけれど、そういう話な気はする。

補足(生まれながらの違い)

人は、遺伝子によって差異がある。当たり前のはずで、身長が高いとか低いとか外見については遺伝子の差というか、生まれながらの差というのを分かりやすく理解している。しかし、性格や能力にもそれがあるはずなのに、それが少し直観的じゃないからか想像しにくく忘れてしまうことが多々ある気がする。

また、人はストーリーが好きだ。ストーリーがある方が理解できるし、覚えられる。そういう脳になっているらしい。

なので、例えば今回のポッドキャストの中で「ツライ時に文化に助けてもらったから、文化がどうのこうの」みたいな発言があり、確かにそういうケースはあるだろうとは思うのだけれど、それとはまったく関係なく遺伝子によって文化への興味関心が強い人もいるはずなのだ。それが、どうしてもストーリーを気にしてしまい「こういう生い立ちだからこうなんだね」と思いたくなってしまう。そう思いすぎる。それが人の特徴だなと改めて思った。

カルチャー消費がカルチャーを支えている?

最後には、「とはいえ、ライトユーザーは幸せそうだし、ライトユーザーに対してうるさい人が世界を不幸にしているかもしれない」という話の流れになっていた。

そういう面はあるかもとは思いつつ、とはいえライトユーザーが良くて、全員そうなればいいじゃんって話にはならないだろと個人的には思う。

マーケティングの世界で有名な「イノベーター理論」ってのがある。新商品や新サービスというものがあった時、それに対してユーザがどのようにアクションを起こすか、みたいな話。ざっくり書くとこう。

  1. 最初はとにかく新商品が好きな人が買う

  2. その後で流行に敏感かつ自分の判断で取捨選択する人たちがそれを見つけて買ったり買わなかったりする

  3. その後に、もう少し情報を加味した上で買う人たちが買う

  4. 色々な人たちが買ったりした結果「皆使ってるなら買う!」という人たちが買うようになる

ライトユーザーと今回のポッドキャストで言われているような人は、きっと4のあたりの人々なのだ。それが支えている部分は確かにある。だが、その前の人たちもいないとライトユーザーには届かない。

古参と言われるような人たちが何かを見つけて、それで人気がちゃんと出るとライトユーザーに知れ渡っていって、古参が減って、ライトユーザばかりになる、というのはこの世の仕組みでは仕方のないことで、これはきっと人間と言う生物の仕組みや遺伝子とも関係がある話なのだ、多分。ある程度は新しい環境に飛び込むファーストペンギンみたいなのがいないと一度に全人類が滅ぶ恐れがあるし、そういう人が多過ぎたら生き残れない。そういうのと同じようにカルチャーも生まれて消費されていく気がする。

なので何の解決にもならない個人的な見解は「全部しょうがないから、しょうがないと分かった上で生きていこう!何か変えたいなら、それはその人自身で考え方を変えて、より幸せに近づけるようになればいいし、ならなくてもいいさ」ってことな気がする。ライトユーザーにイライラするのを辞めれたらイライラは減るかもしれないけれど、そんなに簡単に辞めれない人もいるはずで、分かったって変われないことは山ほどある。でも、分かることで、分かること自体がイライラを少し減らせることはある気がする。ので、「しょうがない」ってことが分かっただけでも一歩前進じゃなかろうか。

おわり

そもそもこういうブログを書くのも誰かにとっては理解できないことであり、例えばこういう何かについて語ること自体やポッドキャストというものも誰かにとっては最高であり、誰かにとっては理解できない無駄なものなのだろうなと思う。そのように価値観が違う場合でも、人と人は一緒にいられるし幸せだったりするのだから不思議だね。

でもなんか、そういう価値観がなるべくあった人と一緒にいれた方が幸せな気がしてしまうのは、まだ俺が何も知らないからかもしれないし、本当にそうかもしれない。そこらへんはまだ良く分からないですね。

そこら辺の価値観が色々違う3人のポッドキャストがここまで続いていること自体が、自分には少し勇気を貰えることな気がしていたり、なんか最近そんな感じですねwたまにしか聴いていないライトユーザーなのでごめんなさいという感じだけれども、、、w

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