どうでも良い話

ちょっとどうでも良い話を書く。

自分がなんでこんなに疲れるのか、ストレスが溜まるのか、ちょっと今日改めて思ったので書いておく。

自分が何か行動をした時に、その行動に対して100%納得出来ていないことがあったり、自分の中のもう1人の自分がそれに文句を言っている時がある。厳密には「この人にはこう思われているかもしれない」という想像上の他人なのだが。

例えば、会社である判断に悩んで、悩みに悩んで A という選択肢を取ったとする。B も C もあったし、もっと色々あったし、本当に難しい判断だったとする。その時に、 A を選んだ自分に X さんが文句を言ってくる想像を凄いしてしまう。そして、その X さんに対しての言い訳をずっとしている。文句を言ってくる想像の X さんにイライラしつつ、「こっちだってその意見も分かってる!分かってるけど、こう考えてこう考えて、こう考えたら A だろ?そうじゃないのかよ?」ってずっとイライラしている。

プライベートでも、何となく自分としては A だけど、Y さん的には B の方が良いと思うだろうな、という選択肢があった時に、A か B かを凄く迷う。B の時には B の時で後悔するし、A の時には Y さんが文句や批判をしてくる想像をしてしまって、それに対して言い訳を頭の中で何度もしている。イライラしなくても、B の方が Y さんには良かったんじゃないかと勝手に考えて罪悪感に苛まれる。

世の中にある行動で、全員が幸せなことなんて少ない。誰かが少し得をして誰かが少し損をすることが沢山ある。全員そんなことは分かっているし、少し損をしても、それを気にしない人もきっといる。それも分かってはいる。分かってはいるけれど、本当に気にしてしまう。

これが、人といると疲れる原因なのかもな。。今日改めて思った。金を挟んだ関係でも、そうじゃなくても、それはそう思う。

所謂鈍感力ってやつで、自分の好きに生きる確率が多い人がいて、そうじゃなくて人に嫌われない様に我慢してしまう確率が多い人がいる。(何かが噛み合う人間関係だと、そういう機会自体が少ないということもあるのだろう。)

我慢して我慢して、結局疲れて離れちゃう。そんな事ばっかだ。自分を優先したらしたで気疲れして、相手を優先したらしたで気疲れする。

自分を優先して、その言い訳を相手に伝えたくなる。けど、そんなの相手にとってはマイナスでしかないなとか、カッコつけたいとか、色んな理由でそれも言わずに我慢する。

そこんとこ、どうしてんだろうね。世の中の人たちは。win-win なんてのが、本当にあるのかね。

考えてて書いてて思ったけれど、完璧主義的なところがあるのかもしれない。

自分にとって +10 で相手にとって -3 の選択肢がある。
自分にとって +8 で相手にとって  +2 の選択肢がある。
自分にとって +5 で相手にとって  +5 の選択肢がある。
自分にとって -3 で相手にとって +10 の選択肢がある。

例えばそういう時に、流石に 1つ目と4つ目はなるべく避ける。それを選ぶ時もあるだろうが。でも、2つ目と3つ目は、一応ある意味では win-win なのかもしれない。なのかもしれないが、この時に凄く悩むのだ。実際に数字はない訳だし、全てが妄想で答えはないのだけれど、凄く悩んでしまうのだ。行動した前にも後にも。それはきっと完璧主義的なところがあるせいだろう。相手にとって +2 より +5 の方が +3 も良いのだ。それを減らして自分の +8 を取るのか!?という時に、取るぞ!今日は俺はそうするんだ!!!と思って行動した後に、ずっと罪悪感に苛まれる。それで良いじゃないかと思えたら良いのだろう。うん、そうだね。

理論値最強、みたいなものを求めすぎちゃだめだね。うん、そういうことかもしれない。結局実際にはそんなこと少ないのだ。実測値はそんななのだ。理論通りに現実は動かない。うん、それを言い聞かせたら良いのかもしれない。

なんか言い訳だけ書いて楽になれたらと思ってたけれど、整理できた気がする。実際にそう思えるかは分からないけれど。いやー、しんどいね。そりゃしんどいな、理論値ばかり気にして実測値がそれに満たないことを永遠に悩んでたら。現実を見なきゃいけないよ。現実は現実、理想は理想だ。うん。

語尾に「うん」ってつけるのは自分に言い聞かせている時になりやすい、って聞いたことがある。とあるコメディドラマで言ってた。

うし、もうちょっと現実見るか。現実に向き合うか。もっと世界を知らなきゃな。現実を知らなきゃだ。机上の空論ばかり眺めて楽しんで部屋に閉じこもってたらダメだ。多分そういうことだ。知らんけどな。

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