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出会いと別れの季節に、出会いと別れについて考えたことを振り返ってみる

高校生の初めの頃、中学校の頃の仲良かった友達と遊ぶ機会が減り、その友達は高校の友達と遊んでいるというのを知ってこう思った。

「中学校の頃の仲良かった友達とは離れ離れになって、皆同じ高校の人と楽しくやっているようだ。小学校から中学校には多くの人が同じ学校に進学したからそういうことは無かったけれど、高校の場合は少ない。大学もきっとそうで、社会人になってもきっとそう。
毎回環境が変わればその環境で人間関係を作って、過去の人たちとは関係が薄くなっていくことが多いのだろう。自分の父親は家族以外との交流関係はほとんど無いように思える。結婚したら、よりそういう風になっていくのだろう。
つまり、高校で誰かと仲良くなっても、3年後にはまた別の誰かと仲良く成らなきゃダメだし、大人になって誰かと結婚する頃にはほとんどの人とは関わりなんて無いのだろう。人は一人で生きていくのだ。」

そんなことを考えて、友達は要らないかもと思い、部活もやめ、家で一人で出来る趣味を探して試していた高校時代だった。中学まではパリピではないもののどちらかと言えばリア充よりの生活をしていた気がするのだが、一気にボッチ街道まっしぐらである。

別の話だが、大学生の頃はアイドルを好きになって応援していた。好きになって応援していたら、突然卒業が発表されて、悲しみに暮れて涙を流す日もあった。何度かあった。そして思った。

「好きになっても、いつか卒業していくわけで、その卒業がこんなに辛い。こんな想いをするのなら、そんなに好きにならない様に卒業を想定して生きていこう。」

そして社会人になってこんな事も考えた。

「他人の生き死にというのと、連絡が取れる取れないというのは似ている。例え誰かが生きていたとしても、自分からは見えず、連絡も取れないとしたら関係ないのだ。もしかしたら街中で偶然会うこともあるのかもしれないけれど、そんなのは幽霊に会うような確率とさして変わらないのだ。」

そして、なんかの時にこんな事を考える。

「それでも、誰かと出会い、別れていく。そういう色んなことを分かった上で、別れが寂しかろうが、その寂しさを理由に関係を薄くすることで幸せは薄くなる。より幸せを求めるのであれば、別れの寂しさを覚悟して、誰かと楽しく生きていかなければいけないのだ。そうでなくとも、誰かと繋がるということを肯定するには、そういう風に考える必要がある。」

それは、俺にとってはとても大変なことのように思える。

別に結論は無い。引っ越しをしたら誰かと別れるという訳でもない。ただ、俺が過去に色々考えたことをざっとまとめてみた。ちなみに、中学の頃に仲良かった友達は 30歳を超えた今でもたまに飲みに行ったりするので、関係は薄くなったけれど意外と切れずに繋がっている。今思えばそれも良いことで、高校や大学でももうちょっと友達作っても良かったのかもしれないなと思わんでもない。いや、今はまだ良く分からないけれどね。

他にも色々書いたのだけれど、5,000文字くらいになっちゃったのでここだけ切り取って一旦投稿する。

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