仕事と育児と当事者意識
会社でリーダーというかマネージャーというか、そういうことをするようになって、人間関係というのは本当に難しいなと実感しまくっている。人間関係というと御幣があるかもしれないが、『人と人が何かをする』というのが本当に難しい。
少し話は変わるが、オドオド×ハラハラというテレビ番組がある。
この前、この番組で夫婦における妻から夫への文句をクイズとして出題していた。それを観ていて、仕事でのマネジメントの難しさと同じようなことを凄く感じた。
また更に話は変わるのだが、コンカフェに行って話すとか、そうじゃなくてプライベートで誰かと話すという場面においても同じようなことを考えていた。
それらの共通点は『当事者意識の差』である。(ちなみに自分は育児の経験も知識もゼロです。)
当事者意識とは
当事者意識とは、書いて字のごとくではあるが『当事者』である意識で、何か物事が存在している時に、その物事を『当事者』として意識しているかどうか、という話だ。
会社であれば、目の前の仕事についてとか、チームの問題について、会社の未来について、業界や世界の未来について、『当事者』としてどこまで意識しているか、という話になる。基本的には経営者やマネージャーの方がメンバーに比べて高いことが多く、その差が問題になる。
夫婦間では多くの場合、妻の方が家事や子供についての当事者意識が高く、夫の方が当事者意識が低いため、妻から夫への文句が大量に出てくるという話だと感じている。結婚したことないから想像だけど。
人と人が話す時にも、最初に話題を振ったり、何かを話始める人がいる。その人はただただ話したいだけの性格というのもあるかもしれないが、多くの場合には「話す」ということに対して当事者意識が高いから、その場の雰囲気をいち早く察し、いち早く話題を考え、話し始めるのかもしれない。コンカフェなど接客業の店に行くと、店員と客では店員の方が当事者意識が基本的には高いため、客が話す場合は聞き役に回るとか、客が話さない場合は話題を提供したり一人で話し始めたりするのではないか。
そんなことを考えている。
同じくらい”思っている”は世界には無い
さて、当事者意識の差が色々な問題やストレスを生んでいて難しいな~と色々考えているのだが、まず『当事者意識の差をなくす』というのは不可能だと思った。それは、当事者意識だけでなく、何においてもきっとそうだ。人と人がいた時に、その人の間で何かを”思っている”場合、その熱量は絶対に違う。
例えば、人Aと人Bが両想いだったとする。付き合っているとする。さて、このAとBが相手を好きだと思う気持ちが同じということがあるだろうか。何が強くて弱いのか等々詳細は難しいけれど、基本的にはどっちかの方が思っているはずだ。お互いが全く同じだけ思っている、ということはおそらくない。
例えば、人Aと人Bが同じ音楽のアーティストを好きでライブを観に行って友達になったとする。さて、このAとBが以下略。
何が言いたいかと言うと、基本的に人と人が生活する場合、絶対に意識や認識に差があるのだ。なので、当事者意識であれ違う何かであれ、高い方が低い方にイライラしたり、低い方が高い方にイライラすることは絶対に発生してしまう。その差が絶対に発生してしまうこと自体が難しいと思う1つの理由である。
当事者意識の話に絞るが、その違いを思って「同じくらい当事者意識を持ってくれたら助かるのに」という考えを真っ先に思ってしまう場合もあるが、それは無理なのだ。絶対にどっちかの方が高くなり、高い方が低い方より何かを想い、感じ、行動することになる。
夫婦の話を想像してみる
オドオド×ハラハラを観ていて思ったが、あらゆる妻の怒りやストレスの根本はこの当事者意識の差にある気がする。
子供がおなかの中にいる時、夫より妻の方が当事者意識が絶対に高い。それはきっとほぼほぼそうだろう。そもそも当事者が過ぎる。現実的にも物理的にも。そして、その差は子供が生まれてからも、基本的にはずっと埋まらないのだ。妻だけが妻としてママとして成長を強いられ、夫は何も分からないまま時が過ぎていく。
仕事でも同じようなことを感じることが非常に多い。新人が入って、1年経って2年経って、結局ずっと指示待ち人間で、詳細なマニュアルがないと分からない、分からないことを言いすらしない。何もしない。出勤して、業務時間の間そこにいて、退勤することが仕事と考えているのではないか、という次元で。そんなことが多々ある。(少し過言ではあるが)
こちらとしては、仮に仕事のレベルが0~10まであって、入社時に1で、1年後に2になって、2年後には5になってくれるだろうことを想定して教育して経験を積ませている。レベルが上がってくれたら、マネージャーはレベル2や3,4,5の事をメンバーに任せて、6,7,8の事が出来るし、そのうち一緒に6,7のことを考えたり、将来的には9,10を考えたりしていきたい、少しでも早く!と考えている訳だ。だが、何年経ってもレベル1,2のことを教えないと出来ないし、それ以外何もしない。そうなってくると、マネージャーは3,4,5のことを結局自分がやらなきゃいけないし、6,7,8のことを考えるなんて時間も暇も労力も無い。
きっとそういうことが育児でも起こっているのだ。子供を着替えさせるとか、おむつを替えるとか、ちょっとした何か1つでも夫が覚えて、それを1つずつ覚えていって実行してくれたら妻は徐々に出来ることが増えて休む時間も増えて、休めるから他の事も出来るし考えられるようになる。そう思ってたまに育児を任せたり1つだけやってみてもらうが、結局全然出来るようにならないし自発的にはしてくれない。だったら結局全部自分がやった方が楽だし、結局何もやってくれないとストレスが溜まるばかりになる。みたいな。
何度でも言っておくが、私は何も経験してないし知らないので想像である。
解決策なんてあるのだろうか
こんな漫画があった。
「自分ができなくても誰かがやるって」どうせ思ってるんでしょ?っていう。本当にそうなのだろう。
そして、この漫画を見ていて1つ勘違いがあると思ったのがこのセリフ。
どう違うかと言うと、これはね、きっと仕事でもやってないのだ。仕事はちゃんとやっていると思うかもしれないが、全然そうじゃない。家で出来ていないように、仕事もきっとやれていないのだ。誰かに全部何もかも細かく指示をされて、それでどうにかやっているのだ。しかも文句とか言いながら。知らんけど。
そういう人を大量に見ていると、世の中の夫婦が基本的に全部妻が家事や育児全般をマネジメントして夫を尻に敷いている、という状況がめちゃくちゃ理解しやすい。そりゃほぼほぼ全員夫にイライラして文句も言いたくなるだろうさ。器がバカでかい人だけがどうにか出来るんだろうさ。凄い世界だね、、ほんと凄いわ。
俺も別に当事者意識が高い方じゃない
こんだけ文句みたいな言い草をしておいて、きっと俺も当事者意識が高い方ではないのだ。俺より低い人もいるだろうけれど。それは、結局すべて相対的な話だから、人と人がいたらどっちかが高いよね、って話なのだ。
そして、高い方は苦労するよね、って話になる。より高い人、少しでも高い人が一緒に居てくれると嬉しいよね、って話だ。きっと。
でも人の性格を2つに無理やり分けると「自分より当事者意識が高い人がいて、その人が全部いい感じに考えてくれて、自分はそれについていけば良いだけの方が楽」ってタイプと「人に決められた支持を守るのは苦手で、自分で考えて決めて行動したい」ってタイプがいるのだろう。
0, 100ではないので程度の差はあるだろうが、きっと相性が良いのはその違うもの同士なのだろう。そうすると、当たり前だが当事者意識の差は莫大なのだ。そして、「料理くらいはそっちが決めてよ」って思っても何も決めてくれない!みたいなことが発生する。全部決めなきゃいけなくなる。しかも毎日。何となく決める側になってしまうと、全部がそうなっていくのだろう。
そういう風に考えたらさ、やっぱ人と人の共同生活って大変過ぎじゃね?と思うのだ。
そして、例えば俺が仕事でマネジメントするのはもうこりごりだから辞めるぞ!って思ってやめるのは可能だし勝手にすりゃ良い話だが、妻が夫にいくらイライラしても「だから別れる!」と決断するのは非常に難しいはずだ。そう考えたら本当に大変だ。とんでもない話だ。想像しただけでしんどい。結婚したこともないしする予定も無いし、そもそも男だからそういう状況にはなりにくいはずだけれど。
改善策・予防策?の糸口、、?
改善策、という話とはちょっと違うかもしれないが、予防策みたいなことはある。結局、いい感じの人をそもそも選ばなきゃいけない、ってことだと思う。
会社の話に戻すと、入社時以上に当事者意識が高くなっていく人を見ることはかなり少ない。私の教育が間違えまくっている可能性は大いにあるのだが。
もし、私の教育の影響はあるにせよ、一般的にそういう傾向があるとしたら、教育によって後から当事者意識を高めるというのはめちゃくちゃ難しいということだと思う。つまり、夫婦間の話で言えば、結婚して子供出来て夫が当事者意識が低い、と気付いた時に「どうにか当事者意識を高めてもらわなきゃ!」というのは、多分かなり難しいし、不可能な場合が多いのだ。少しでも、ほんの少しでも上げられるように頑張る、というのは気持ちは分かるが、仕事ですらそれは本当にめちゃくちゃ難しい。仕事と育児どっちが難しくてどっちが忙しいのかは仕事によるだろうけれど、育児をしながらそんなことをする余裕はきっと全然ない気がする。しらんけど。
なので、ちゃんと当事者意識高そうな人と結婚すること、が予防策かな、、と、、、w
また仕事の話に戻ると、「絶対にマネジメントはやりたくないです。絶対に下っ端として働きたいです」みたいなことを言いながら、めっちゃ当事者意識が高い人がいる。当事者意識が高いからこそ、マネジメントの難しさを理解していて、もう自分はそうなりたくない、と考えている人だ。そういう人は、ちゃんと自分の中で線は引きつつ、結局無意識で当事者意識は高いから色々な物が見えていて、分かった上で色々判断し行動している。そういう人で責任感も強いと、結局ピンチの時には「自分がやれるのはこれくらいだと思いますけど、今一番やばいのこれですよね。」みたいに助けてくれたりする。すごい。えぐい。
なので、何が言いたいかっていうと、「当事者意識が高い人っているには居て、そういう人と一緒だとやっぱ良いから選べるといいね」って話と、「当事者意識が高いかどうかは、そもそもそういう世界が見えてるか否かが前提としてありそう」って話かな。
恋愛や結婚みたいな世界の話は経験値も知識も足りなさ過ぎるけれど、想像だけで考えると「子供好き?子育てはどれくらいしたい?」って質問をした時に、その解像度の高さとか見ると分かるかもしれないね、とか何となく思う。あと、それが当事者意識が高いかどうか。「言ってくれたら」は危険。「言ってくれたら」≒「全部詳細に言ってくれないとやらない」だと思う。「手伝う」とか「助ける」とか、そういうのも全部一緒か。夫への文句で良く聞く「手伝うじゃなくて、あなたも一緒に子育てするんだよ」みたいな話。当事者意識が低いと、誰かメインで子育てする人がいて、自分はサポート!みたいなことになる。当事者じゃなくて、サポーター。サポートするんじゃねぇよ、お前も一緒に子育てするんだろうが、みたいな。
おわり
解決策とか改善策とか、考えるみたいなことも思ったけど、既に中々な文字数なので今回はこれで終わり。
いやー、ほんと世のマネージャーたち、子持ちのお母さま方、その他当事者意識の高い方々。大変ですね、凄いですわ。本当に尊敬する。俺には出来なかったな。しんど過ぎた。無理過ぎた。うんw
補足、書けなかったことなど色々
夜泣きした時に妻は起きるけど夫は起きない問題ってのは、何か遺伝子的な差とか生物的な差もあるかもしれないし無いかもしれないが、きっと当事者意識の差ってのがあるんだろう、という気がしてくる。
「赤ちゃんが夜中に泣いたって知らんわ」って思ってたら起きるわけないし、「赤ちゃんが夜中に泣いたらすぐ何かしてあげなきゃ!放っておけるわけがない!!」と思ってたら起きるに決まっている気がする。しらんけど。最近、睡眠の話で「次の日の朝、9時に起きるぞ!!」と思って寝るとその時間に起きれるようになっている、脳の仕組み的に、みたいな話を聞いた。多分そうなのだろう。そしてそれは「赤ちゃんが泣いたら起きる!」というのも同じように出来るのだ、しらんけど。例えば地震があったら起きちゃうって人とそうじゃない人がいるが、地震があったら起きなきゃ!って危機感が無意識か意識的かある人は起きるんだろう。俺は「寝てる時に地震が来て潰されて人生が終わっても別にいいや」と思っているから起きたことがない。
あと、人と話す時の話を全然書けてないけど、俺が自分が当事者意識が低いと思っている理由の1つが話の時だ。人と話す時に、プライベートで気が抜けていると相手が話始めることが多い気がするのだ。そして、その会話に楽しさを盛り込もうとか楽しいか判断しようとか考える思いが少ない気がする。だから、コンカフェみたいな「相手が絶対に会話において当事者意識が高い場所」が楽で居心地が良いと感じてしまうのだ。かつ、そういう場所じゃないと話し相手として自分がつまらな過ぎて誰も相手してくれないのだろう、と思うのだ。だから、俺みたいな人と結婚したら、毎日朝ごはんを一緒に食べたとしても、その会話に妻はきっと飽き飽きするしそのうちイライラしてくるのだろう、と思うのだ。飲み会などで、たまに自分も頑張らなきゃ!と思って当事者意識高めの時がある。当事者意識低めの人ばっかの飲み会だと自分が割と頑張れている時もある。そういう時は本当に疲れる、いつもこうしている人は本当にすごいな、、と思う。同じくらいの人と一緒にいて、互いに頑張ったり頑張らなかったりしたら良さそうだと思うけれど、きっとそれはそれで難しいんだろうと思う。上に書いたような理由で。高い人と低い人が相性良くなりやすそうだから。かつ、どっちかがいつも話す側になっているとどんどん常にずっとそうなってしまうのだ。きっとお互いが何となく無意識に。
前回の記事では能動的か受動的か、みたいな話をしたが、きっとそれも当事者意識の差が大いにある気がする。
ゲームやっててもバラエティ番組観てても仕事のこと思い出して色々考えちゃうんだから、何してんだか、って感じですねw
でもさ、最後にこういうこと書くのずるいけど、こういう「外野の一般論」みたいなのって、当事者が一番嫌いだよね。。。w
こういうの、俺もやめるようにしなきゃな~って思うけど、やっぱ人間って思っちゃうし考えちゃうし、言っちゃうんだね、、って改めて思った。
当事者が当事者として悪戦苦闘している時に「こうすれば?」と言うだけ言って何もしない他人事の人が本当に全員イライラするな~と思ってたのを思い出す。結局、他人事な人の意見は的外れが多い。途中でレベルが0~10としてみたいな話をしたが、そのレベル0みたいな事を言ってくる。んなこと全部検討済みなんだよとっくの昔に!!ってなる。当事者として考えて実行している人が到達しているレベルに、外野は気付くことすら出来ない。何も理解できない。そう思うことが多々あった。しかも、こっちがレベル1で躓いてて、そのアドバイスがレベル2のことだと思ってる感じで言ってきたりする。「え、そんなとこで詰まってんの?こうすりゃ良いだけじゃん」と、上から。内容も雰囲気も全部が全部間違いすぎてんだよあほかw
だから、なんか他人の悩みとか何かに一般論でアドバイスみたいなことしちゃうの減らさなきゃな~って反面教師的に思うことがマネージャーになってから本当に多々あったんだけど、それでも結局自分のそういうところもまだまだ治ってないな~って思うことがあるね。。ほんとね、、難しいね、人間って。
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