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人生をいい感じにするために考えてること

人生どうしたらいいのか、どうやったらいい感じになるのか、そんな話をしているポッドキャストがあった。その感想を少し書く。というか、それについての自分の見解を書く。ポッドキャストには色々な話題があったので、結構沢山書きたいことがあるが、今回は「人生どうしたらいい感じになるのか」みたいな話についてだけ書く。

人生どうしたらいいのか問題

この話は複雑だな~と思う。俺も今でもずっと悩んでいるし、多分一生悩むんだろうという気もしている。悩んだり情報収集したりしていて、今の自分が思いつくのは 3つの問題だ。

  1. 精神的な満足

  2. 人間と退屈

  3. 理想と現実

精神的な満足

よくある解決策だが、「今のままで良い!という考えになる」という話。ちょっと前にラジオ屋さんごっこでもそんな話をしていた。考え方を変える、というよくあるやつ。自分や世界や何もかも、物理的な何かから人間関係から、何から何まで最高の状態になろうとそうじゃなかろうと、その人が結局そう思えるか否かが問題にはなってくる。

でも、それがとっても難しい。「へーそうなんだ。じゃあ今からそう思うぞ!幸せだ!やった解決だ!」となる人はきっといない。じゃあ、自分がどう思えたら満足するか、いい感じだと思えるか、その為に情報収集したり、悩んだり、行動したり、そういうことが必要になる。

詳細は割愛するが、考える情報を増やすってのは、他人はどうなのかって情報や一般的なことや概念、考え方について、とかとかの情報を得るって話。自分はそういう本とか色々読みながら考えを進めている。自分を説得するための情報が必要だな〜という気がしている。

人間と退屈

多分、メンタル最強で何をしてても大丈夫みたいな人もいるのだろうが、「人生どうしよう」と悩むタイプの人はきっとそうはならない。そうすると「退屈」というものとどう対峙するのか、が問題になるという気がする。

人は退屈には耐えられない、とよく言われる。そして、退屈と対峙した時に「もうちょっといい感じにならないかな」と思うのだ。そして、この「退屈」というのも凄く厄介である。そういう話をこの本で読んだ。

先に、暇と退屈の倫理学の話を少しだけする。

(個人的には「人生どうしたらいい感じになるか」という事を書いている本でもある気がしていて、そもそもこの本を読んでみてもらいたい気もする。要約とかもネットにはあるので、一旦それでも良いかもしれない。)

まず、本の中では「暇」と「退屈」を区別している。インタビュー記事から少しだけ引用する。

暇とは、何もする必要のない時間で、これはその人のあり方には関係のない客観的な条件です。それに対して、退屈は何もすることがなくて不快だという主観的な感情や状態を指します。

この違いに気づいて、いろんなことが見えてきた。組み合わさると、「暇である・退屈している」「暇である・退屈していない」「暇でない・退屈している」「暇でない・退屈していない」と4つあるわけですよね。

國分先生、人間は「暇」とどう向き合うべきなんでしょう?【前編】~BranCo!2019~

詳細までは書かないし、そのせいで少しずれたことを言ってしまうので、詳細は本を読んでもらえると良い気がするし、今度その要約も記事にしようかな、、という気はするのだが、一旦話を進める。

本の中では「暇で退屈している」「暇でないが退屈している」という話をしていて、「暇だと退屈で何かしたくなる。退屈は辛いから。そして、例えば何か目標などを決めてそれを実施するようになると、その暇な退屈からは逃れられる。ただし、しばらくすると暇ではないが退屈だと感じるようになって、また暇な状態を求めるようになったりする。または、目標が達成して、また暇になる。そういうことの繰り返しになる」みたいな話が出てくる。

人は、何もすることがなくても、何かをしていても、結局退屈になるのだ、というような話。

つまり、「今は何もすることがない気がして、何をすれば良いのか分からなくて、そのせいで生活が微妙な気がしている。何かをしたら、少しはいい感じになると思っている。だが、実際に何かを始めてみても、そのうち微妙な気がしてくる。そして、その何かをやめた方が良い感じになるという気がしてくる」みたいな話だと思う。無いものねだりってことかもしれない。

(本では 3種の退屈のパターンがあって、、みたいな話になっていて、全然違う話をしているので本を読むのをオススメする)

やりたいことをやる、みたいな話

だいぶ話がそれてしまったが、無いものねだりだとしても、結局何かをしないと退屈で辛すぎて辛いので、何かはすることになる。その時に何をするか、という選択で「やりたいことをやる」みたいな話が出てくると思う。

でも、別にやりたいことをやらなくても生きてはいけるのだ。その時に、人によって色々な理由で何かをする。

  • やりたいことだから

  • 楽だから

  • 人に言われたから

  • 世間がそれを良いと言っていたから

  • 何となく

何にせよ、多分だけれど言語化できていないだけで、一応その人的には最適解が選ばれて、何かの行動をしているんだろうという気もする。

ちなみに、暇と退屈の以下略で出てくる話に下記のような話がある。

退屈する人は「どこかに楽しいことがないかな」としばしば口にする。だが、彼は実は楽しいことなどもとめていない。彼がもとめているのは自分を興奮させてくれる事件である。

暇と退屈の倫理学

この話の前提として『人は退屈で苦しむのだったら、苦しさを与えてくれる何かをもとめる』という話がある。例えば、何もない部屋に長時間何もすることがない状態にさせられ、めちゃくちゃ痛い電気ショックを食らえるスイッチが 1つだけある状態の時に、多くの人はこのめちゃくちゃ痛い電気ショックを受けることを選ぶ、それくらい退屈には抗えない、みたいな話がある。

なので、人が何かをする時、それが退屈よりましなら何でも良い、というケースは存在しうる。

なので、まあ色々な理由で人は何かをするのだが、その時にやりたいことがあればやりたいことやればいいじゃん、みたいな話はきっと出てくる。やりたくないことがある時に、それをしたくない理由としてやりたいことをやる、という話になるケースもある。

結論分かりにくくなっちゃったけれども、やりたいことをやらなければならないということは無いし、やりたいことをやった方が良いかどうかも、今のところ個人的には何とも言えないな~という気もしている。これがコメントの1つ。

やりたいことリストや目標

やることリストがあったら良いかも、という話には色々な背景があるが、一旦退屈、という話の観点でコメントする。

暇と退屈の、、で述べられている話として「暇で退屈な状態にずっとはいられないので、人はやることリストや目標などを作り、そのための行動をすることでその退屈から逃げることがある」みたいな話がある。

変な言い方をすると「考えると辛いから、考えないで行動だけしてればよい状況を作る」みたいな。それは確かに効果はある。が、本の中ではそれによって人生のすべての時間を過ごすのは流石にどうなの?という話が書いてある。極論だが、何かにとりつかれたみたいに何かをし続ける人間を傍から見たらどう見えるか。狂人じゃないか、と。人は、考えられる生き物だから悩むし退屈を感じるのだ、みたいな。

なので、有効な手段ではあるが、絶対的な解決策ではないよね、みたいな感じ。

他人にリストを作ってもらう

あともう一つ。「やることリストを誰かが作ってくれたら、それをやればいいだけだから楽」みたいな話も、少しは上記と関連している部分がある。やることリストじゃなくても、日々必要に迫られて何かをしなければいけなくて、それをし続ける状況、も同じことだ。人を巻き込むことで行動が生まれる、みたいな話もそういうことだと思う。

「自分でリストを考えて生きる」のが良いか「誰かにリストを作ってもらって考えずに生きる」のが良いか。自由に生きたい場合は前者で、そうでもなければ後者になる。当然全員その間のグレーゾーンにいて、何となくどっちより、みたいな性格の問題と、結局現実がどっちなのか問題と、によって更に色々な問題が発生する。

例えば、結婚して子供を育てて、という人生は「誰かにリストを作ってもらう」よりの状況になる。自分がしたいことじゃなくてパートナーがしたいことをしたり、子供のために時間を使うことが増える。自分のための時間は下手したらなくなる。それが良いという人や、それでも良いという人はそういう人生を生きて多分問題が無い。それに耐えられない人は、自分がしたいことをし続けたい人は、きっとそれが無理で、結婚しても子供が出来ても自分のしたいことをし続けてパートナーがその分は頑張って生活しているのだろう。それでもどうにでもなるのだろうとは思うが。

これが直前に書いた「やりたいことリストや目標」の話と合わさると「何となく退屈でしんどい状況が続くと、何でも良いからやること見つけてそれをするぞ!という方が辛いとしても選びたくなって、その行動を開始することで何となく退屈でしんどい状況からは脱出できる」みたいな話になる。ただし、それが自分に合わなかったり、忙しいけど退屈で逃げ出したい、、みたいになる可能性はある、という話。それでも結婚とかは色んな理由で継続されることが多々あって、それも含めてそれで良いかという人は多分沢山いるのだ。文句を言いながらも、それを続けていくことの方がある意味では楽だったりするのだろう。

自分でリストを考える、目標を考える

自分でやることリストを考える場合、何したらいいかね、みたいな話になる。「好きなことをするか」「嫌いなことをしないか」みたいな話もその 1つ。やりたくないリストを作って、そのやりたくないリストを参考にしてやりたいリストを作る、とか。リストじゃなくても良い。目標も同じような効果がある。

そういう観点でこの問題に向き合う時に、色々な方法論があるようで、その一つは上に書いた通り。好きなこととかを参考にする。それは所謂「自己分析」的な取り組み方だ。自分は何が好きなのか、過去や今の自分を参考にして考える。

もう一つの方法として「物語思考」というのがある。

『どんな自分かを考えるんじゃなくて、どうなりたいかを考えて行動すれば良い』みたいな話。

過去の自分も今の自分も全部置いといて、どんな自分になりたいか、を考えて、そこから逆算する、みたいな方法。

他にもきっと色んな方法があるし、詳細を書けばもっと色んな話になるのだが、もう文字数が既にいっぱいなので割愛する。

理想と現実

上に書いたことは、全部ある意味で「どう考えるか」みたいな話だけだ。自分の中だけの話。

その後で発生する問題は理想と現実、ってことな気がする。「これがこうなったら自分は幸せだ!」という理想が出来上がったとする。が、それが現実にはなりそうにない。「じゃあ俺は幸せになれない」と終わってしまうか、「ならば少し理想を変えなければ」となるか。

人生は妥協の連続だ、みたいな考え方もある。ただ、それが本当に今個人的には難しい問題だと感じている。

色んなことを考えて人生どうしたらいいか悩み続けているのだが、実際の現実が、、本当に現実が、、、うん。現実を受け止めきれてない。理想が高くなる、どうしても高くなる。それを現実と向き合った時に、理想を下げる、みたいな発想になってしまう。それが本当にツライ。現実も受け入れた上で「私は今のこの生活で良い感じだな」と思うというのが、本当に難しい。

やることリストや目標を作って、退屈から脱しても、実際に現実というのは本当に現実で、中々にうまく行かない。

どうしたらいい感じになるのか、という元の話に戻ると、色々考える方法についてはさっきまでに書いた通りで、それに行動が伴ってくると現実というものと向き合うことになり、それを含めてまた考えて行動して、それを「いい感じだな~」と思えるようにしていかなきゃいけないね、、って話しな気がする。考えてばっかじゃなくて行動もしていかないといけないね、って話な気がする。自戒。

漫画『罪と罰』の台詞でも、もっと世界に触れろ的な、考えてばかりじゃなくて社会に出て行動しろ的な、そんな台詞があった気がする。そもそもこの感想を書いているきっかけのポッドキャストの第3回で名前が出てた「書を捨てよ、町へ出よう」もタイトル的にはそんな話なのかもしれない気がしていて、読んでみたい気はする。まあ読んでないで町へ出ろよ、って話だけれどもw

あと、そもそも退屈の話で「退屈はしんどいが、人は退屈になるものだ。それを受け入れろ」みたいな話がある。それが現実らしいのだ。なんだそれは。しんどいのを受け入れて頑張れって、もうそれがそもそも理想とのギャップえぐ過ぎて、、ねw

おわり

はい、文字数多過ぎ問題w

減らすぞ!と思って上から読み直して、多少削除して、更に加筆して、何してんねん、、、ってなってますが、、、w

俺個人としてはね、割と自分の中の理想みたいなものは 20歳くらいで考えてたものは、ある程度達成しちゃった気もしていて、それに退屈していて、新たな何かを考えているところで、それが以前の自分の目標とちょっと違うことをしようとしているので、考え方も行動も経験も、色々が足りて無くて本当にツライしんどい何だこれ、、みたいなことがあったりするけれど、それでも退屈よりは良いんだろうね。

とりあえず、自分的には色々考える部分が多分好きで悩むのが好きで、その為の情報収集みたいなことを色々していてそのうちまとめたいなとも思っていたので良い機会でしたw

幸せ、って単語だけから情報収集スタートすると「他人のために金を使うのが幸せだ!」みたいな話ばっか出てきてね、(もういいよその話は。そういうことじゃないよ俺が知りたいのは。)ってなるんだけれど、なんかいい感じに色んな情報に辿り着いて、更に色々調べたり行動したりしてみるか、って感じになっているのは良かったなと思う。(今日全然書いていない話とかも含めて)

今日書いていて思ったのは、理想と現実とか、妥協とか、なんかそういう面での考え方とか何かについてもうちょっと自分の中で整理できると、よりよい感じになりそうな気はするね。

というわけで、感想っていうより自分の考えまとめただけの文章が出来上がりましたが、以上ですw

雑記

自分は、自己分析的な方法ばっかしてた時期があって、物語思考的なのは自分に合わない気がしてまだあまり出来ていない。

自己分析的なやつはね、マインドマップ的なフォーマットで、自分の小さい頃から今までをその時単位とかで割と区切って「小学生」「中学生」とか、何年、とかで自分の好きなものまとめたりとかしてた。ってか、してる。

ドラマ、アニメ、音楽、ゲーム、その他、とかが割と自分の中では昔から触れてた好きな物だったので、そのあたりはそれはそれで書いてたりするし、そもそも小学生の頃は何が好きだったか、中学生の頃は何が好きだったか、みたいなのもざっくり書いてまとめてみたり。

そういう中で「一人で勝手に好きでやってたこと」と「女の子と話せる、みたいな理由でやってたこと」と、とかとかなんか見えてきたりして、俺は女の子と何かするの好きなんだなやっぱ、みたいなことを思ったり、それとはまったく別軸で、自分一人で楽しむ系のはこういうのってことは、こういうタイプは一人でも楽しめそうだねとか、なんか考えたりしてる。

そういう自己分析自体が好き、ってのもあるけれども。

そんなこと、一度もやったことない人は大量にいるだろうし、色んな生き方があるよね、って気はするね。そもそも、この記事で書いたようなことを考える人も少ないのかもしれないし。知らんけどねw

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