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嫌いな台詞や言葉には自分の地雷が反応しているという考察とその対処法の検討

最近、ポッドキャストを聞いてて色々考えていることは「コミュニケーション」についてだ。そのうち、「コミュニケーションとは」みたいな本をいくつか読んでみたいという気もしている。

まだ、そういう知識が足りていないが、素人ながら考えたことをメモしておく。そのうち、知識が増えてきたらまたいい感じにまとめられるかもしれない。素人意見というのもある意味では良かったりするものだ、と未来の自分が思ってくれたら幸いである。

今回は特に「言われて嫌な台詞や言葉」に関して考えてみたことと、それに関するコミュニケーションについて書いてみます。


意味のない台詞

かまいたちさんの漫才のネタで「この世で、一番意味のない質問って知ってる?」という話で始まるものがある。そのネタでは、「その恰好、寒ない?」が一番意味ない、みたいな話を繰り広げている。その他にも「昨日の晩、何食べた?」とかは?みたいな話もしている。

この「意味のない質問」と言う話は大抵「質問された側にとって意味がない」みたいな話で、これは「こういうこと言う人いるけど、あれ意味ないよな?なんなんあれ」みたいなたまに雑談としても話される話題な気がする。「『今日寒いね』って、言う必要ある?」みたいな。

かまいたちさんのネタでは「意味あるやろ」「ないやろ」みたいな言い合いでネタが進むのだが、「今日寒いね」という台詞も、誰かにとっては意味があって誰かにとっては意味がなかったりする。場合によっては意味があったり、なかったりする。

言ってしまえば、全ての台詞や質問に意味があるかどうかは場合による。一番つまらない、何の意味も無い結論ではあるが、実際そう。

もう1つ、その「意味なくね?」と思う感情にはいくつかの原因があるはずで、それは例えば「その話をしたくない」とか「その話つまんない」とか、何らかの拒否反応じゃないか、という結論。

つまり、「その発言意味なくね?なんで言うの?」っていう話題を進めるにあたって、「意味がない」という単語の意味を元に、その台詞が論理的に意味があるとか無いとか、そんな話をするのは話が本質からずれてしまうんじゃないか、というのが個人的な見解である。そうではなくてそれに対しての拒否反応こそが本質じゃないか、という話。

その拒否反応とどう向き合うか

人と人が話していれば、何らかの拒否反応が出ることは多々ある。言われた台詞にムカついたりイライラしたり、意味が分からなかったり、返答する気も起きなかったり。それに対して、向き合い方は色々ある。

  1. 拒否反応を我慢して、相手に合わせて発言する

  2. 拒否反応を我慢して、相手には合わせず別の話にすり替える

  3. 拒否反応を我慢せず、返答しない、無視する

  4. 拒否反応を我慢せず、感情のまま反論する

4つ程例を挙げたが、二分すれば「拒否反応を我慢するか、否か」という話で、それの濃度や割合みたいなものがあって、どのへんで対応するか、という話になるのではないか、と思う。人によって、性格によって、我慢しやすい人と、我慢せずどんどん感情のままに話す人が世の中にはいる。どっちが多いかは良く分からん。

ちなみに我慢しないことは悪いことではないと考える言い訳として、そもそもこちらの拒否反応が出るような発言を相手がしているのであり、相手が故意にせよ過失にせよこちらを刺してしまっているのだから、拒否反応を我慢しないでこちらが相手にとってダメージがあるような反応や発言をしても、喧嘩両成敗的な、場合によっては正当防衛にもなりうる話ではないか、と考えている。

それが例えばセクハラまがいな発言など、大衆が悪いと思っているものであっても、そうではなく特定の誰かの地雷であり大衆が悪いとは思えないものであっても、である。

そして、やはり大衆が悪いと思っていないものは世に溢れており、それに刺さりやすい少数派はそういう台詞を日々浴びて、ダメージを抱えてしんどい想いをしながら生きていたりする。拒否反応を我慢してもしなくても面倒な想いをすることになる。それをどれだけコストを下げられるか、みたいなことが悩みだったりする。それをどう解消するかの話の前に、少しだけ前提みたいな話をする。

話のイメージの違い

人と話す時、『話』のイメージは人によって違いがある気がする。例えば、話を「道」の様にイメージする人がいる。スタートがあってゴールがあって、話がわき道にそれたり行ったり来たりしながら、ゴールについて、補足もしたりして、また別の何かがスタートする、みたいな。自分はどちらかと言うとそういうイメージ。

そうではない人がいるな~と思う。音とバイブスだけを共有する、みたいな。そこには道も始まりも終わりもない、みたいな。

一旦適当な例を考えてみる。

「おはよ」
「おはよ」

「今日暑くね?」
「ね。てか昨日のクセスゴ見た?」

「見たwジャルジャルやばくねw」
「いつも面白過ぎるよねw」

「今日の課題やった?」
「やってないw出さなくてよくね?」

「あいつ(先生)うるせーけど、その時だけ我慢すれば忘れちゃうからなw」
「『まーーーたお前か!!』ってねw」(先生のモノマネ)

「『まーーーーーーーたお前か!!ww』
「『まーーーーーーーーー』」

「まーーーーーーーーーーーーwwww」
「まーーーーーーーーーーーーwwww」

想像力が乏しくて出来があれだけども、、wまあでも、この会話には意味とかスタートとかゴールとかそういう事じゃなくて、何かを話していること自体や共有することなど言葉の意味以外に意味があったりする。言葉に意味は必要なかったりする。

何が言いたいかって言うと、「質問されたら答えなきゃいけない」とか「何か言われたら返さなきゃいけない」ってことは無い。「質問に質問で返しちゃいけない」ってことも無い。究極、何をしても良い。発言してもしなくても、そこに意味があっても無くても。そして、どういうケースだとしても、極論TPOによってプラスにもマイナスにも、何にもならないこともある。そういうことな気がする。道みたいにイメージするとあり得ない選択肢が現実には十二分にあり得る。

自分は割と相手の発言に返しちゃいがちなタイプなので、line とかで話題が増えたりすると、全部の話題に対して一言同意している相槌を最低限添えつつ、話したいこと書きつつ、みたいなことをしてしまうことがある。でも、それは人によっては全無視で別の話を返してくることもある。それはそういうイメージや文化の違いだ。ただそれだけ。

上で書いてた悩み改善に繋げることを言うのであれば、「拒否反応が出る発言をされた時に、その発言を完全に無視して全く別の話をし始めたとしても、その”無視”自体が意味を持つか否かはその後の話の展開や状況次第であり、状況によっては”無視”に気付きすらしない人もいるので、そういう話の展開方法もあるよね」みたいな話。無視は悪いことではないケースが多々ある、みたいな話。

意味のない台詞を言っている発言者視点を考えてみる

聞き手が「意味ないなー、なんだそれ」って思う台詞を言っている発言者視点を考えてみる。

「寒いなー」っていう人がいる。この時、この「寒いなー」と発言する人には色々なパターンがあると思う。

  • 寒いことを共感したい

  • 寒いとは自分しか思っていないだろうから伝えたい

  • 無言よりは何か適当に話したい

  • 全く何も考えてない

  • 独りごと

他にも色々あるかもしれないが、とりあえず意味があるパターンもないパターンもあるよね、っていうのが結論の1つ。

そして、「無言よりは何か適当に話したいな」と言う人の場合には何でも良いから何かを返してあげた方がきっとよくて、「全く何も考えてない」場合には無視をしても全く問題が無い。

また、「無言よりは何か適当に話したいな」と言う場合を考えた時には、「誰に対してもマイナスにはならないだろう無難な一言」を言うケースがある。それが例えば天気の話であったりする。例えばそれが、彼氏の写真を見て「優しそうだね」という発言だったりするし、何かを見た女子がいう「可愛いね」だったりする気がする。

あとは、コンカフェに行っていて思うのは「何か見えるものの話をする」というのは常套手段だなと思う。それは、客も店員も。そのために、客も店員も分かりやすいグッズを付けていたり、スマホでゲームをしていたらその話をしたりする。それが、服装だったり見た目だったりもする。「若いね!」「背低いね」みたいなことを俺みたいなおっさんが店員に言ってしまうのも、(何か話さなきゃ!)と思って目に見える何かから意識的に、または無意識的に発言をしてしまうからだろう。

そういうパターンで、自分は意識的に言わない様にしている台詞の1つは「○○に似てるね!」という台詞だ。これは、結構思う事があるのだ。俳優だったりアイドルだったり、そういう誰かに似ていると思うととっさに発言してしまったり、発言したくなったりすることがある。また、世間にも溢れかえっている台詞だろうと言う気はする。そして、別にこれに対して言われた側が嬉しいケースもあるだろうし、何も思わないケースもあるだろうし、嫌なケースもあるだろうとは思うので、絶対にダメなものではないとは思う。思うのだが、個人的にはこの台詞から続く話が面白かったことが無い気がするし、大抵続かない。数ターンで終わって、何も残らない。

きっと、そういう台詞って世の中には沢山あるのだ。「綺麗ですね」という台詞も場合によってはそれになるのだろう、という気がする。

発言者視点で、言いやすい台詞や、言いたくなる台詞という物が世の中にはある。ダジャレとかも。言いたくなる。でも、言いたくなるだけで、それだけで言って、その後の事なんか何も考えていない。そういうケースも人も多分大量にある。応援電波とかもそういう類。「ライブあります!」のツイートに行く時は「行きます!」って言うし行かない時は「行けないけど応援してるね!」って言う、言う側はそれが言いやすい、それだけ。言われた側が「行く人だけ行くってリプくれた方が嬉しい」みたいな状況になっていることはあるらしいが、言う側視点は多分そんなもん。クソリプも多分そんな感じ。

一番意味のないのは挨拶?

挨拶、という物がある。おはよう、どうも、こんにちは、などなど。

「こんにちは」の語源は、「今日はご機嫌いかがですか?」や「今日はよいお天気です」などで、 「今日は」以下を略すようになり「こんにちは」となった、みたいな話がある。

会った時に言う「いい天気ですね」とか「元気ですか?」「元気だよ、そっちは?」「元気にやってるよ」という、無難なある意味で意味のないやり取りを略しているのだ。天気の話なんて意味がないと思った人が「こんにちは」だけで良いだろ!と決めたのだ。これは、発明だと思う。実に面白いw

でも、それでも何か言葉をやり取りすることには別に意味があって、それはコミュニケーションをとる意思表明だったり何かだったりして、その結果「こんにちは」だけ残って、それが使われている。意味はないけれど、意味がある、みたいな。

この文化は割と学べる話じゃなかろうかと思う。

まず、大昔から「その発言意味ないだろ」と色んな人が思っているのだ。それが、誰かが変えて流行って文化になることで略される。例えば「了解!」とメールで打つのが面倒で「り」だけ打つ文化がある程度広がってきているように思う。つまり、不要な台詞はなくしてしまって良いのだ。面倒な返答はしなくても良いのだ、と言っても良い気がする。仮にそれが世間に根付いていなかろうとも。

次に、その言葉にどこまで「意味」を意識するか、という話がある。「こんにちは」という言葉の意味を意識したことはあるだろうか。「いらっしゃいませー」という言葉に意味を意識したことはあるだろうか。意識したことがある人は(バイトしてるだけだし、客なんていない方が良いのになんで「いらっしゃいませー」って言わなきゃいけないんだよ。っていうか、「来てください」的な意味じゃねぇか、もう来てんじゃねぇか!客寄せじゃないのに「いらっしゃいませ」じゃねぇわ!)と思って言いたくなかったりするのだろう。

なので、その言葉の意味を自分の中で消してしまうと、言いやすくなることがある。「すみません」という言葉も意味なんて気にせず使う。そういう何かを作る、または見つけることで返答が楽になることはあるかもしれない。「すみません」という言葉を返答で多様する人がいるように「ありがとう」という言葉を多様する人がいる。その意味を意識するか否かは自分が決めれば良い。

「あけおめ」もそう。年明けた時に呪文のようにいう言葉。俺は一時期言いたくないことがあった。喪中の時は言わない、みたいなルールを聞いて(別にそうじゃなくたってめでたくもなんでもねーだろ)と思ったのかもしれない。「ことよろー」は言える。今年もよろしくとは思う。でも、別に何もおめでたくはない、年が明けたことは。と思っていた。最近は呪文のように言うようになったが、そういうことはきっとある。

ただ、自分の地雷だとそうも行かないケースがある。自分の場合「誕生日おめでとう」が地雷だったりする。これは俺は未だに「ありがとう」と返すのが苦手だ。なので、誕生日は無いことにしている。知人に聞かれても「いや、俺生まれたことないわ」と言って突き通す。誕生日おめでとうイベントが発生することを意図的に消している。だって、誕生したことも、生き延びて誕生日をまた迎えたことも、何もめでたくない。全然ありがたくもない。なんだそれ。そう思っているので、他人に「誕生日おめでとう」という事もたまに躊躇する。「この人ももしかして俺と同じ様に言われたくないかもしれない」と思ってしまうことまである。そもそも女性は年齢気にするとかめでたくない、みたいな話まであるし。そんなん言い出したら全部面倒なので言うのも苦手。自分は台詞だけじゃなくて目立つのも嫌なので、全部嫌なので誕生日は消した。要らない。

自分の地雷の把握とコントロール

誕生日の話を書いて思ったが、その人にとっての所謂「地雷」があって、それが世間の常識とズレてると、基本的にその人はしんどいんだろうね。俺の場合の誕生日おめでとうの様に、それが誰かにとって「今日暇?」という質問であったり「綺麗ですね」という台詞であったりする。

地雷を踏まれて心が暴走すると、それを制御するので手一杯で何かを返答することすらも余裕がなくなったりするのだ。

社会で生きていくために出来ることを考えると、そういう自分の地雷をしっかり把握することと、それに対しての社会からの発言に対しての自分の考えを整理して、感情のコントロールを事前に完了しておくことな気がする。

例えば、今日ここに書いたような色々を元にして、想定される台詞に対しては考えを構築しておき、何も気にせず何も考えずに定型文を言えるようにしておく、等の対策はあるかもしれない。「この台詞には意味なんてない、誰も何も考えていないのだから、俺も何も考えずに一般人ロールプレイすればいいさ。モブとして」とか。

そして、もう一つはやはりそういう発言から逃げる何かの手を打つ。例えば誕生日をなくす、みたいな。

見た目に関する発言を浴びることが多ければ、何か見た目で分かる別のアイコンを付けておく、というのは改善策になるかもしれない。餌を用意しておく。好きなキャラクターとか、話しても良いと思う何かとか。そうすることで「背低いですね」と言われる確率は「そのキャラなんですか?」「その漫画俺も好きです!」という台詞が増えるお陰で減るはずだ。タトゥーももしかしたらそういう効果もあるかもしれないし、そういう理由で掘ってる人もいそうかも、、とふと思った。知らんけど。

餌を撒く、という意味では twitter とかもその 1つにはなるかもしれない。「この人に今度あったらこの話してみよ!」と思われてたら、それで数分は過ごせるはずで、外れの台詞を聞く確率は減る。食べたものでも好きな物でも何でも。

雑談かマジレスか

ちょっと別の話。

言葉に意味があるかとか、それを意識するか、みたいな話に少し似ているが、その台詞が「雑談」的な何かであって意味は厳密でないケースと、「マジレス」的な何かであって文章の意味が重要なケースがある。

世間に溢れている会話の多くはほとんどが雑談であり、そこに意味は関係ない。それは、イメージが道か否かみたいな話でも少し話したことと重なる話ではある。ただ、道のイメージだとしても意味の厳密さが変わるケースがある。それを分かりやすく言うと「雑談」か「マジレス」か、みたいな言い方が出来る気がしている。

例えば、「男は全員こうすべき」みたいな話をした時に最近「主語がでかいだろ」みたいな反応がある。確かに発言者が本当に本気でその言葉の意味のまま考え行動しているケースも多々ある。多々あるが、意図的に主語を大きく発言することはネットでも現実でも良くあることだ。それは笑いを狙ったり、その反論を意図的に狙って、コミュニケーションを面白くするためだったり、円滑にするためだったりする。「そんな訳ないだろ!!w」とツッコミや反論を誘発することでコミュニケーションは持続しやすくなったりする。それに対しての「主語でかすぎ」は「マジレス乙」と言われてもしょうがないケースがある。

例えば「俺、スマブラ世界一強いよ!」という発言に「世界大会で優勝したことあんの?」と返すのは面白楽しい雰囲気だけを求めている雑談においては悪手になる。ここで言う”世界一”はただのフリであり、起爆剤であり、餌であり、いじりしろだったり、言葉としての厳密な意味はあまり重要ではない。「俺、スマブラ世界一強いよ!」という話に対して、スマブラの話を広げたり、世界一という単語から「俺は○○が世界一強いよ!」みたいに広げたり、そもそも強いという自信過剰な性格を拾って広げたり、別にこの発言を全無視して別の話をしても良い。

何が言いたいかと言うと、相手の発言を受けて、そこから意味を考えずに話を広げる方法と、全無視で広げる方法があると思っていて、それは雑談においては常套手段で、嫌いな話題から逃げる方法としては使いやすいかなという話だ。嫌いな話題や単語を食らって拒否反応が出た場合に、そこから抜け出すにはそうするしかない。(別に反論して論破して相手を返り討ちにしても良いのだが)

話題を広げるなら、適当に単語を拾って連想ゲームをすれば良い。

  • 「世界一って沢山いますよね。世界一美味しいラーメンとか沢山ありそう」

  • 「自分もゲーム好きなんですよ」

  • 「自分握力強いですよ」

仮に「綺麗ですね」と言われた場合にはこんな感じ?

  • 店長もこの店の人も全員綺麗ですよね

  • 新宿は綺麗な人多いですよね

  • お客さんも可愛いですね(おっさんでも。可愛くなくても)

  • お客さんは誰かに似てる気がしますね、誰かに似てるって言われますか?

  • この店も可愛いですよね(人ではない別の対象にずらす)

  • このネイル可愛いんですよ(自分が可愛いと思うものの話題にずらす)

別に「私はあなたを綺麗と思ってます」という意味でその台詞を捉えず、”綺麗”っていう単語をこの人は発言したな~くらいで受け止めて、そこから連想ゲームをする感じ?マジカルバナナで「バナナと言ったら綺麗」と言われた次に自分のターンで「綺麗と言ったら○○」という感じで会話を繋ぐだけで別に良い。

あとは、「全無視で別の話題を振る」パターン。これは、定型文をいくつか覚えておいて、誰かれ構わず困ったら聞く、という対策方法。日々自分の中で改善していけば、今後一生使える台詞にはなるかもしれない。

  • お酒好きなんですか?

  • よく東京(またはもっと狭い場所の範囲。池袋とかその話している時のその場所)は来るんですか?

  • 今日○○を食べたんですけど、美味しかったです(まずかったです。普通でした)

あまり思い浮かばないが、その人が普段話していること、よく無意識にも聞いてることとかで良い気はする。意外と、何か質問を突拍子もなく投げても、その前の質問を無視されたとは人は思わない。

しんどいのはしんどい

最後に悲しい結論だが、個人的に色々考えてはいるものの、結局「自分にとっての地雷が世間的には悪ではない。かつ、その発言を浴びる機会が多い」という場合には日々すり減ってしんどくなる。いくら上手く避けても自分を納得させてもすり減っていく。

そして、どっかのタイミングでそれが爆発したりする。「何なんだよ!!うるせーなもっと面白い話しろバカ!!」と言ってやりたくなる。

なので、途中で話した「見た目で分かる別の餌を用意しておく」とか、そういう人と関わりを減らす(環境を変える)とか、そもそも食らわない様にする対策が一番精神衛生上は良い気はする。そういう意味では、我慢せずにイライラしている感情をそのまま表情に出したり台詞に出すことも多少はすることで、そういう人たちから距離を取れたりする。そういうのも大事。

あとは、一応それなりの関係性になっている場合であれば、それを指摘することで改善されて、お互いに楽になるケースもありうるとは思う。

そんな感じで、どうにか生きながらえるしか無いんだろうね。。

おわり

そんな色々がある中で、無意識に適当に話して、それがお互いスムーズで心地よいって言うのは本当に恵まれているんだろうね、っていう気もする。そういう感覚は大切にしていきたい。

そもそも、悩みやイライラを話すこと自体も、別のその悩みが本当に悩みで解決したい訳では無く、イライラを話すことやコミュニケーションが楽しいというケースも多々あるだろう。それこそ、「悩んでるんだよね」という雑談であり、マジ悩みではないケース。

そして、女性にはそういうパターンが多い気がしていて、悩みっぽく話すけど別に解決したい訳じゃないパターンが多くて、男は逆に解決したくなってマジレスして話をしたくなる。それが楽しかったり、無意識でそういう思考になってしまうから。俺も結局、自分が楽しくて色々考えてまとめているだけではある。マジレス減らさなきゃね、って思っているはずなんだけどね。マジレスばっか考えちゃうね。

こういうところで書くのはある程度は許容されるかなと思っているが、会話におけるマジレス、特に相手のマジ悩みに対しての生半可な気持ちや知識での一般論マジレスみたいなのは本当にされるとイラつくので、自分もしない様にしなきゃね、と改めて思い出した。当事者が一番解像度も経験値も高いのに、解像度も経験値も低いアホが聞きかじった一般論とか占いレベルの訳分かんないアドバイスしてくんじゃねぇよ、って思っちゃうことは本当にあるからね。地雷ってことか。悩みは地雷の可能性が高いかもしれないね。

文字数多過ぎ!w終わり!

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