結婚について調べたけれど、一旦「結婚」という文字は俺の辞書から消しても良いかもしれない

(この記事は2023年2月末頃に書いて、ずっと下書きになっていたものに加筆修正したものです)

結婚とは何なのか。
最近色々考えていたし、ドラマ『今夜すきやきだよ』を最近観ているのだが、それでもそんな話があって改めて色々思うことがあったので適当に書いてみる。


wikipedia で結婚について初めてちゃんと読んだ。なんだか、色々書いてあって興味深い。

日本における結婚についても面白い。近年、未婚が増えてきている理由についてまで記載されている。時代かね。

なんか、書こうと思っていたことや最近ふんわり考えていたことが、割と wiki に書いてあるものだから、今更何を書こうかね、、という気持ちになってくるw

ちなみに今の自分の状況は、結婚ってことを一応する可能性があるのであれば少しでも早めに考えなければ!って言うのが一応ここ1,2年くらいな気がする。元は絶対にしないと考えていたし、その結論だけ出して考えることも全くしていなかった。本当にしないつもりだったし、今も割とそれに近い状態ではある。

で、結婚ってのは何なんだっけと。まずね。そもそも”結婚”ってのは何だっけと。どういう契約のことで、何のためにいつ定義されて、結婚をしている人達は何を求めているのか、とか気になっているので調べてみたわけです。

結婚とは何なのか

「日本における結婚」に記載されている「婚姻の効力」を見て思うのは、日本における結婚の大きな特徴は下記の 2つかなと思う。
『同居・協力・扶助義務』と『貞操義務』だ。

自分の視点で考えて分かりやすく書けばこういうことだ。

  • 誰かと一緒に住みたい

  • 誰かを助けたい助け続けたい

  • 誰かに助けられたい

  • 結婚したい誰かに貞操義務を守ってもらいたい

婚姻という手続きを経て得られると考えられるメリット、手に入れられると誰かが望んでいる何かはきっとこういうことなのだろう。

さて、じゃあ自分はどうだろうか。契約を結んで、上記の全てを、または一部を生涯手に入れたいと思うか。ま、今は特に思わん。きっとそれは、そういう具体的な対象がいないからということもあるのだろう。所謂恋愛をしている人にとって、上記はきっとどれも叶えたい夢みたいなことなのだろう。恋愛をしていない人でも、上記のどれかを求めて結婚する人はきっといるのだろうが、今のところ俺はあまり思わない。

何のためにいつ定義されたか

例えば日本の場合は下記のような歴史がある、らしい。本当かどうかは知らん。

これを読んで思うこととしては、きっと昔は貴族の権力争いなどのために定義された契約なんだろうな、ということだ。貴族が貴族であり続けるために、より大きな権力を得られるように、そんな背景だったように感じる。民間の人にとっての結婚も、貴族としては社会の秩序を保つためだったんじゃなかろうか、という気がする。

昔の方が、男が仕事をして、女が子育てや家事をする、という文化になっていたのだろうと思う。まあ力仕事ばかりだったろうし、武士とかそういう争いの時代であれば尚更な気もする。

それが徐々に平和になり、より秩序が求められ、所謂貴族的な権力がきっと減って平等みたいなことが言われ始め、貴族にだけ認められていた一夫多妻制も徐々になくなっていったんじゃなかろうか。

秩序を保つために婚約という定義が出来た、というのは何とも動物らしいというか人間らしいというか。。結局そういう欲が強い人が多く、それによる争いやトラブルが多かったのを減らすための方法だったのだろう。

あとは、子供を増やすため、という理由もあったのかもしれない。子供をちゃんと作って、ちゃんと育てるための仕組み的な意味合い。

最近結婚をしている人達は何を求めているのか

これについてが色々勝手に考えて書こうとしていたことなのだけれど、下記に割とほとんど書いてあって俺が新たに書きたいことはあまりない。

本当に書いてあるままだが、好きな人がいてその人と暮らしたい!ってことがない場合、誰かと一緒に暮らすことのメリットはかなり少なく1人で十分に暮らしていけるわけで。「結婚してないの!?」って台詞も年々減ってきた。そういう雰囲気も年々減ってきているのだろう。

今でも「結婚」という実績だけが欲しい人はきっと山ほど居るだろうし、金を目的に結婚したい人も沢山いるのだろうけれども。

俺はどうするか

結局今の段階では別にはっきりと答えは出していない。
自分のために生きるのに飽きてきた感は若干はあるので、子供は作らないにしても誰かを扶助するために生きてみるのも良いのかもしれないと思わんでもない。

けど、それはそれでやはりハードルが高い訳で。なんていうか、俺は不可逆なものが苦手だなと思う。元には戻れないものは苦手だ。
誰かと同棲なり婚約なりしたとして、「やっぱやめよっか」と気軽に言えない状態が容易に想像できる。相手が俺の金を目的としている場合は余計にそうだ。俺との契約が解消されたら相手はどうやって生きていけば良いのか?と言われたらどうしようもない。

例えば相手が20代後半で、気付いたら30,40で、その時に契約を解消して「他の誰かと契約してくれ」なんて台詞は無責任だと思ってしまう。それが20代後半に解消したいって話をしても俺にとっては似たような感覚なのである。

それに、契約解消しなくても、何が高いハードルになっているかと考えるとやはり、俺が自分勝手で自由が好き過ぎること、な気がする。

例えば俺が「子供は絶対に作りたくない」と考えているが、これは俺が独身である限りは大した問題にはならない。だが、パートナーがいたらその人との問題にもなるし、その親族にまで関係してくる。俺1人の意見だけで多数派の反対意見を説得または無視しなきゃいけない、みたいな状況までありうる。そんな面倒なことがあるだろうか。

しかもこれは、気分や時期によって変わる可能性がある。俺も相手も。相手が30直前になって「一度も思ったことなかったんだけど、子供欲しいかも」と言い出したら、もう大事件じゃないか。相手のために生きると思って、でも子供は絶対に嫌だと思っていたら、はっきりくっきりした矛盾がそこにポッと生まれて。。仮にそれが逆の立場でもとんでもないことだ。

そういう色々な未確定で不安定な未来を一緒に歩んで行こうと決断することが、不可逆な何かを受け入れて未来を受け入れて今決断をすることが結婚なのだ。なんてこった。

とある人が昔言っていた。
「結婚なんて考えてたら出来ないさ」
そうなんだろう。考えてたら出来ない決断だと俺は思う。俺の性格的には余計にそう思う。考えて、しっかり考えてその決断をしている人はとんでもない。いや、子供が欲しい人は考えた結果その選択肢を選ばざるを得ないのか。前提が違うね、色々と。

とまあ、そんな色々を考えていると、結婚という形にこだわる理由が分からなくなってくる。今後未婚者が増えたら、未婚者ばかり住む町に住めば良いんじゃないかとか、未婚者ばかりのマンションに住めば良いんじゃないかとか、求めるものやことによってはそういう次元で良い気がするわけで。話し相手でも、家事手伝いでも、身体的な関係でも、金を払えば手に入ることは多く、それだけでも良いんじゃないか、知り合いや友達とでも手に入るものは多く、それだけでも良いんじゃないか、って気はしてくる。

ほんと、同棲も結婚も、ハードルが非常に高いなってことを改めて思い知らされたかな。しかも俺ももう年齢も年齢だ。色んな理由で困難になっていくわけで、メリット少なくてデメリットばかり考えるネガティブな俺が結婚するなんて、今の俺には全く想像できないし、20歳の俺にもきっと想像できないし、もしかしたら想像できない40歳の俺が結婚しようと思っているかもしれないのだから、未来のことは本当に分からないね。

追記(2024年5月19日)

さて、上までが 2023年2月に書いていた内容だ。この前書いた本の感想とか最近の記事でも書いているようなことがここにも書いてある。多分、ずっと前からそういうことを考えているのだろう。20代の頃から。それが変わらない部分はずっとそのままで、少しずつ変わっている部分(結婚に対しての姿勢とか)も少しあって、それのせいでより悩んだりするわけですね。人間と言うのは矛盾によって作られていると言っても過言ではないもんね。

結婚の理由に「老後が心配」という話がたまに上がる。そういうもんなんだろうとは思う。思うが、結局離婚したらどうすんの?と思う。離婚するなら独身のまま色々と生きて活動して、何らかの人との関わりが何となくある方が安心なような気すらしてくるわけで。しぬまで人は、誰かと出会って別れていくんじゃなかろうか、という気すらしてくるわけで。

そう思った上で、離婚すらも想定して結婚するか、結婚はせずに色々な人と向き合うか、結局未だに答えは出ておらず、飽きっぽい俺は色んなところに行ったり行かなかったりして、適当に過ごしている状況で。まあでも、「結婚」という物にしばられるのは違う気が改めてする。

誰と生きたいか、みたいなことは仕事でもプライベートでも考えて選んでいく必要はあるかもしれない、と思う。今はそれくらい。それすらも俺にとっては新しくて、割と勇気のいる行動で、何かが変わると嬉しいなと言う状況ではあるけれどもね。

少し話は変わるけれども、「人といると我慢してしまう」という俺の性格は少しどうにかしないと、人と生きることがどうしても疲れてしまって難しい、というのはやっぱ大きいのかもしれない。そういう、人とどう向き合うか、って部分を良い感じにしていきたいなとは思っている。そうしないと結局独りに戻ったり戻らなかったりを繰り返すことになりそうで、進展が遅そうだなと。

更に追記(2024年6月16日)

この前、この動画を見た。

結婚について、この動画では子供を産む、みたいなことをやはり大きな目的として語られていた。見ていて思ったが、やはりそういう定義であれば自分にとっては結婚は不要なものだなと考えざるを得ない。

また、最後に改善案として語られる多対多の男女関係についての考察は自分もある意味では似た考えだなとは思っている。大きく違うのは、自分にとって子供は作らない予定の存在であり、かつそういう行為自体を求めていない側の人である、ということな気はする。そういう行為無しで子供なし、という前提に立つと多対多というのはまだ幾分可能性があるように思う。言ってしまえば、ただのちょっとした村とか集落とか、集団というだけではあるので。一部の少数派の人たちがそういうことを試してみたりしているらしい、みたいな噂も聞いたことはある。気になる。

ただやはり、恋愛や子供、そういう行為などを考慮すると人間関係というのはとても考えるのが大変だなと改めて思う。

関係ない話(動画の感想から、かなり未来の話について)

また、これを書く時にふと思ったことがあるのだが、この動画の主の主張は「人間の種を保つには少子化をどうにかすべき」みたいな話がある。少子化って本当にどうにかすべきなんだろうか、みたいな話があるかもしれないな~と漠然と思う。

まずこれは、自分がそもそも人間なんて絶滅すれば良いと考えてしまっているのもあるけれど、そもそも過去に立ち返るような、過去から想像できる何かの解決策を実施するという発想ではなく、未来の全く新しい世界を作り出す方が可能性としてあり得るんじゃないか、という気すらする。

例えば、最近言われていることに「医療の発達によって、実質的な不老不死が完成するかもしれない」みたいな話がある。実現可能性については不明だが、そこで言われている理屈は「10年の医療の進歩で寿命が1年長くなる、みたいなことが医療がAIなどを用いてより速い速度で進化を続けると1年の医療の進歩で寿命が1年長くなる日が来る。そうすると実質無限の寿命を得る」みたいな話。

こうなってくると、少子高齢化という問題は根本から変化する。

また、人口が多過ぎる問題というのがそもそもあって、それに無限の寿命が掛け合わさると「いかに人口を減らすか、保つか」みたいな話にズレてくる。その場合、「子供を産む」ということに制限がかかる可能性が大いにある。そしたら、少子化は問題ではない。もっと減らさなくては!という話にすらなりえる。そうすると、子供が出来ないための薬がもっと常識的に常用され、特定の決められた人だけが子供が出来る状態でそういう行為をするみたいな世界が生まれるかもしれない。行為だけは残るが子供は全員作らない世界になるかもしれない。また、そもそもVRやその他の技術の進化が続いた時に、そもそもそういう行為自体にも変化が生じたり、そういう行為よりももっとドーパミンが出る別の何かが流行すると行為自体の優先度も下がる。などなど。

そういう世界における人と人との関係性には、恋愛というものは残っても、子供やそういう行為というものの位置づけが変化し、共同生活は容易になるかもしれない。またそもそも、恋愛というものもコスパが悪くて多くの人はしない文化になっていくかもしれない。

あと、そもそも寿命が無限になった世界で、誰か1人と契約して無限の寿命を過ごすのか、本当にそれが現実的なのか、という話もある。30年単位くらいで代わり替わりパートナーがいた方が健全じゃないの?楽じゃない?みたいな話にもなりうるわけで。そう考えると、やっぱそもそも1対1が違うか、みたいな話も当然考えられる。

うん、なんか考えが発散し過ぎて意味分からん話しているけれど、とりあえず結婚ってものがもう古いものであり、今後どんどん古くなっていくんじゃなかろうか、と思えてならない!というのが個人的な感想である。20年後くらいには「結婚、って教科書で読んだことある!」と言われるくらいの文化になっている可能性もあるんじゃなかろうか。

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