依存についての本を読んだ感想

僕らはそれに抵抗できない(アダム・オルター, 上原 裕美子 著)を読んだ。メモを書いておく、忘れちゃうからw

前提として、自分は自分の行動をいい感じに改善したいと思い、例えば運動をもっといい感じに実施して健康になるぞ!と思っていて、そういうのもあってこれを読んでみた。色々な行動をゲーミフィケーションとやらを活用していい感じにできないかな、と。将来的にはそんなゲームかアプリを開発出来ないかなと。

本の感想はいくつか書いておく

  • 運動し過ぎがウェアラブルデバイスや目標によって引き起こされていることを問題視する話が書いてあって、そんなことも問題視するんだな〜

  • 運動しなきゃ!と思ってるけど、そこまではならないように気をつけるぞ!という気持ち

  • スマホやゲームの依存性が思ったより騒がれているかもしれない。そういう本だからかもだが。

  • 企業が利益のためにユーザを依存症にさせるような、ハックするようなことをあらゆる業界で行われている気がして、何が正義か悪か分からんね、と改めて思ってしまう

  • 有名で大企業で大好きだとしても、それが正義か悪かは分からない

  • だけど、あくまで手段であり、よく使うか悪く使うかはやっぱ使い手次第かな、という結論はまあその通り。でも悪すぎたらきっと世界が規制する。それもその通り。

  • 現実が微妙でネット世界に逃げて依存する、という話は(結構現実が悲しいことの解消が難しすぎて解決できないんじゃないか)と思ってしまう

  • 自分も趣味が全部デジタル依存になっちゃいそうなのでアナログな行動は増やしたいね、って気持ちになった

  • 人とのコミュニケーションで、自分の発言で相手がどういう表情をするかのフィードバックは重要でネットではそれがムズい、って話はマジでそれで、俺は経験不足をもうちょっと改善していきたい

  • でもきっと世界はどんどんデジタルにまみれて、アナログがどうとか言ってる場合じゃなくなる気もしてデジタルに染まるのも良くないかい?って思わんでもない。むずい。

  • 近けりゃ、合う回数が多けりゃ親友になりやすい、って話がまじでそうな気がして気まずいっていうか、会う回数は俺が割と普段から意識的に無意識的に調整しているな〜と思ってて、それは近づきすぎないようにっていう防衛反応な気がしてて、なんか違う何かを解決しないと俺は一歩前に薦めない気がするが、これはなんて言う領域の何ていう問題か分かんないとぐぐれないw

  • 負荷に意味があるって話は少し救われた。例えば読書はテレビより負荷が高い。高い負荷をたまに経験して耐えられるようになっていないと、そういう何かに向き合えないという話。本を読む負荷に耐えられない人が増えてるとか。負荷を耐えた結果、行動の選択肢や楽しみが増えてるかもと思える。

  • とはいえ、結局不可なんて感じない好きなものだけやって生きていける人生があるならそれがいいかもとも思わんでもない

  • が、一人暮らしなら必要な能力だな。結婚して全部他人に任せられるのもある意味で才能だけどね

書きすぎ!wおわり!wてかスマホは書きにくい!w普段はパソコン

あと次はこれ読む。これ読んだら一旦依存とかの本は終わり。なんか別の読む。


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