まな

2024年3月に大きな転機を迎えて、この転機を最大限に活かす為に「いつもと違うことをやってみよう」と決め、その一環としてnoteを新たに始めました。

まな

2024年3月に大きな転機を迎えて、この転機を最大限に活かす為に「いつもと違うことをやってみよう」と決め、その一環としてnoteを新たに始めました。

最近の記事

PTSDならぬ、PTG(心的外傷後成長)

つい先日、ポスト・トラウマティック・グロウス(Post Traumatic Growth, 心的外傷後成長)と言う言葉に遭遇した。 ひとつ前置きをしておくと、私は過去記事でも触れた通り、この半年弱の間に、健診→再検査→生検→がん発覚→手術という経験をした。 今後の治療についての決断を迫られ、再発の不安や治療の副作用等の不安とどう付き合っていけばいいのかを模索する中、私の住む街(日本国外です)のがんセンターがカウンセリングを無料で提供していると言うので、受けてみたのだ。

    • 不安との付き合い方

      先日、がんの摘出手術を受けてきた。 生検を受けることが決まってからその日まで、不安の連続だった。とは言え、自分が思っていた以上に面白おかしく乗り切ったと思っている。 不安の原因は、注射等に対する恐怖心とそれによって起きる迷走神経反射が辛いと言うところが大きい。基本的に医療行為の全てが苦手なので、生検が決まってから手術まで、約1ヶ月の日々の精神的なアップダウンはローラーコースター並みに目まぐるしかった。 けれど、その目まぐるしさは私が思っていたのとは少し違った。 不安と

      • 迷走神経反射対策のお助けグッズ

        世界一苦手なこと 以前の記事でもお話した様に、私はありとあらゆる医療行為が苦手だ。 採血、注射、点滴…ましてや生検や手術なんて、考えたり、またネットで調べるだけでも迷走神経反射を起こすほど苦手だ。注射針を刺された痕すら直視できないし、場合によっては医療系の話題でも倒れる。こんな人間は、生きることそのものがとても大変だ。 そんな私が、生検、そして手術を受けた。 生検の結果がんと診断され、手術を免れない状況になり、人生最大の危機を迎えた。病気そのものよりも生検や手術の方

        • 願望の言語化

          私ががんと診断されて以来、私がフォーカスするべきことは病気(illness)ではなくウェルネス(wellness)だと考えた。 自分が病気だと知った途端、それを恐れたり忌み嫌ったりと病気に意識が向くのは自然だし、仕方のないことだと思う。 でも、そんな時こそ私はウェルネスにフォーカスしたいと思った。 これは昔、マザーテレサが言ったとされる「戦争反対運動には参加しないが、平和運動になら参加する」と言った主旨の発言をよく憶えているから。 こんな話を聞いたことがないだろうか。

          生まれ直しの儀式

          3月の下旬にがんが確定し、先日手術が済んだ。 注射や医療関係の全てが苦手で、採血ですら大騒ぎしていた私にとって、手術は人生最大の危機。がんと言う危機以前に、手術の危機を乗り越えるメンタルが備わっていなかった。 中学の理科で心臓や動脈・静脈の授業があった日も迷走神経反射を起こし倒れた程、絹ごし豆腐メンタルなのに、手術なんて! そんな私のことを熟知している友人達は、生検の時も手術前にもそれぞれ祈っているよ、大丈夫だよとメッセージを送ってくれた。 手術の日の朝、そのメッセー

          生まれ直しの儀式

          言われて嬉しかった言葉

          がん発覚直前の生検を受ける辺りから、極僅かな信頼できる友人達にがんの可能性を話した。 その時から手術に至るまでの間にかけてもらって嬉しかった言葉を書き留めておきたい。 「大丈夫だよ」 これがやっぱり最強だった。 何がどう大丈夫になるかわからない中でも、最終的に何とかなるとどこかで思ていたのもあって、この言葉がとてもありがたかった。 ひとつ言っておかなければならないのは、私にとって「大丈夫」の定義が広いのが功を奏したかもしれないと言うこと。 語弊を恐れずに言うならば、

          言われて嬉しかった言葉

          情報の最適化の弊害

          いつからだろうか、テレビを観なくなったのは。 情報の全てをネットに頼るようになり、ニュースもネットから拾う。 私のがんが発覚して以来、検査や治療、体験談などを様々な媒体で読みあさった。 そのせいでとある有名ニュースサイトでも、写真や動画を共有できるあのSNSでも、がん関連の記事ばかりをお薦めされるようになってしまった。 重くのしかかるがんの検査や治療のストレスから解放されたくて、ほっこりできるネタを求めてネット徘徊を試みるも、ご丁寧に各所に顔を出してくるがん関連の情報

          情報の最適化の弊害

          人に頼る

          私は人に頼るのが苦手だ。 周りでも割と多くの人が頼り下手なのは、迷惑をかけてはいけないと刷り込まれている日本人の特性なのか。 そんな私でも、がん発覚少し前から家族や友達に助けてもらうことが増えた。 生検の経験談を話してくれて大丈夫だったよと安心させてくれたり、実際私が生検を受けた日には、1日中メッセージのやり取りをしてくれた友達も居た。 あまり多くの人に自分の現状を話していないとは言え、伝えた友人達はそれぞれ手伝いを申し出てくれたり、事あるごとに様子を訊ねてくれる。

          人に頼る

          書くことで得られた癒し

          このnoteを始めてまだ日が浅いが、書くことが癒しになっている実感がある。 はじめのnoteでも書いたが、誰かの為に書いている訳でも、同じ境遇の方のお役に立つことも目指していない。 闘病記にするつもりもないので、病気の詳細も書く気もない。 ただただ日々湧き上がる思いを書き留めているだけのメモだが、書き出すことでスッキリできる感触がある。 あえてパブリックな場所に書き綴る必要があったかと言えば、必要はない。 けれど誰かに読まれるかもしれないと言う少しの緊張感が、程よく思考

          書くことで得られた癒し

          逆境と共に訪れた幸せ

          この1ヶ月で、私史上最多の褒め言葉をもらっている。 少し前に病気が見つかり、生検や術前の準備処置の際に、絶妙なタイミングで医療従事者の方々が "You are doing really well!!" "Good job!" などと声がけしてくれる。 (英語圏で生活している為、すべて英語なのだ。) 私の現状を伝えてある家族や友人達も、私が医療行為の数々が苦手だと熟知しているので、それぞれのやり方で伴走してくれたり、励ましてくれたり、褒めてくれたりしている。 本当にありがた

          逆境と共に訪れた幸せ

          迷走神経反射を回避する為にしていること

          定期検診から再検査→採血&生検→初期の初期とは言えがん判明と、採血でも迷走神経反射を起こしていた私にとって、試練の日々が続いている。 早期発見でラッキーだ!とポジティブ全開で穏やかな日もあれば、どーんと気持ちが重たく苦しい日もあって、心の中はジェットコースターの様な毎日だ。 そんな中、いちばんしんどいのは病院やドクターのところに行く日で、特にその前日は、緊張してしまいついつい悪ノリに拍車がかかる。 心臓とか静脈・動脈のことを学んだ理科の授業でさえ迷走神経反射を起こして倒

          迷走神経反射を回避する為にしていること

          体験談がくれる勇気

          著名人がブログ等でご自身の病気や経験について書いたり、語ったりするのを目にすることがある。 立場上プライバシーを放棄して公表せざるを得ない方も多いと思うが、そう言う方々のお陰で勇気づけられる人も多いと思う。 そう言う私も、今回のがん発覚において、著名な方の治療や検査の体験談に勇気づけられた人間のひとりだ。 以前お話しした通り、医療関係のあらゆることが苦手な私にとって、一連の検査等はとても辛いものだった。 そんな時、大好きな芸人さんもがんサバイバーとなり、数ヶ月毎に辛い

          体験談がくれる勇気

          病とは闘わない

          私にはいつの頃からか漠然と決めていたことがある。 万が一病気になっても「闘病」はしない、と。 これは治療をしないと言う意味ではない。 必要な治療はするけれど、闘いという位置付けにはしないと決めていた。 これは飽くまで今日現在の私の個人的な見解で、お勧めしている訳でも確証を得ている訳でもなく、今後変わる可能性もあることをご理解頂きたい。 私は「病は気から」だと思っていて、病気は敵視するものではないと思っている。 孫氏の兵法ではないが、むしろ味方につけることで自分に必要な

          病とは闘わない

          愛おしき不完全体

          昨日ふと、“Love your imperfection (自らの不完全さを愛しなさい)”と言うフレーズが降ってきた。 (英語圏に暮らしており、脳内は日英のごちゃ混ぜ状態ナノデス…) 「もうすぐ手術だなぁ、きっと案ずるより産むが易しだよなぁ、でも嫌だなぁ、傷は目立つかなぁ、手術は人生でこの一回きりにしたいなぁ」などと、ひとり運転しながら考えていた時のことだ。 不完全さを愛す… これまでの私は、自分という存在を認められずにいた。 不完全も不完全で、これと言った特徴も無け

          愛おしき不完全体

          逆境を味わう

          「逆境」と言うと、その後に 「乗り越える」 「負けない」 「立ち向かう」 「耐える」 「這い上がる」 …などのことばが続くことが多い。 どれも力強く、頼もしい響きだ。 私自身、「乗り越える」は使いがちだが、このところ心掛けているのは逆境を「味わう」こと。 それがどう言うことかと言うと… 逆境が見せてくれるのは、自分の本質だと私は思っている。 逆境においてどんな心情になるのか、どんな振る舞いをするのか、何を大切と感じるのか… それらを俯瞰で観察してみると、逆境にあ

          逆境を味わう

          願いごとは慎重に

          私には小さい頃から恐れているものがあった。 注射や点滴、手術などなど、医療系全般が苦手だった。中学の時の理科の授業で、静脈や動脈のことを習った時もワゴった(迷走神経反射を起こした)し、他者が注射されるのを見るのもダメ。 そんな自分の弱さが嫌で、注射でもなんでも平気な人になりたいなぁと思っていた。 これがなければ生きるのが数倍楽になると思っていたから。 恐怖心は「怖いものに徐々に慣れていくことで克服できる」と言う話もある中、がんが見つかり、様々な検査や治療等を通して徐々に慣

          願いごとは慎重に