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2021/01/06 衝動

こんにちは。ヒデです。

stand.fmでお世話になってるおゆうさんが素敵な文章を書いていたので、思わず釣られて書き始めてしまいました。

これからは経済合理性の外側にある問題に取り組んでいく必要があり、その行動を起こす源泉となるのが「衝動」。すなわち「リスクとかコストとか採算合わないけど、度外視してでも放って置けない。俺がやらねば誰がやる!」という感情。(だと解釈している。)

僕にとっての「衝動」

僕にとっての「衝動」は

誰かのやりたい、挑戦したいということの一歩を一緒に踏み出して応援する

自分がやりたいこと、よりも誰かがやりたいことがどうやったら実現できるか、自分に何ができるか、どうなったらみんな笑顔になるのか、そんなことを考え抜いて最初の一歩を一緒に踏み出す、そんな瞬間に立ち会えた時、幸せを感じている。

そしてその幸せを感じたい、という衝動が常にある。

僕は僕の好きな人が挑戦するのが好きで、その「好き」を実現するためにたくさんのスキルや情報や知識のためのアンテナを張り続けているところがある。

逆にいうと自分には一つ筋の通った人生のゴールみたいなものがない。好きな人が事業を始めたいとなればそのための準備を頑張って考えるし、全力で遊びたいとなればその熱量を行動に変えるお手伝いをする。

行動すれば見えてくる。そのサイクルさえ動き出せば次のステップが見える。自転車を漕ぎ始める時に支えてあげるというのに近い。

利他的なのか、利己的なのか?

果たしてこのアプローチは表面的に見えている通り利他的なんだろうか。

いつもこの問いを考えると、最終的には「自分のため」だよなぁと思う。(つまり利己的)

僕みたいに「一つのスペシャルなものがない」人間がこの世界で生きていくための解釈であるとも言えるが、何より一緒に一歩を踏み出すことは自分の人生の経験としても大きなプラスになっている。

IT企業に勤めて、英語が話せて、エンジニアリングできる、だけではなく、演劇の制作やカフェの企画、展示物や冊子の制作、ものづくり教育などいろんな側面を持つ人間はなかなか他にいないと思う。そして今後関わる多くの方のお手伝いをする中で、その掛け算が増えていく。

挑戦の数だけチャンスがある

いろんな人の挑戦の数だけチャンスがある。

そう考えれば誰かと一緒にあたらしい世界に飛び込めば飛び込むほど、自分にとってのチャンスも増えることになる。

それはきっと一生尽きることがない。

やりたいことが一生尽きることないってすごく幸せだと思うのです。

そんな「衝動」が生み出すエネルギーは自分の人生を支えてくれる気がするのです。(自分のバイタリティはここから来ていると信じたい。)


みなさんの「衝動」も聞いてみたいなと思います。きっといろんな世界がそこにはあると思います。ではまた。

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