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ジョージア旅行ーめちゃくちゃうまくいったムツヘタ→ゴリ(スターリン博物館編)

 ゴリという街にあるスターリン博物館編です。末尾にアクセス情報を載せています。
 スターリンは実はジョージア人。だけどソ連の指導者になってからはジョージアの独立運動は抑圧する立場だったとか。どういう心情だったのだろう‥

スターリン博物館近くのインフォメーション。スターリン博物館は三角の公園の中にあるのだが、記載がな、、い、、?
大きな教会なのかなぁと思ったらスターリン博物館だった
厳かな入り口。チケットカウンターの女性にどこから来たか聞かれた。英語、フランス語、ジョージア語、ロシア語のガイドならあるらしいのだが、日本人ならつける必要がないと思ったのか、特に案内はなかった。
階段の踊り場にスターリン像。ステンドグラスから光が降り注ぎ、荘厳な雰囲気が漂う
愛用のパイプ
左はパイプなど愛用品の展示、右は執務室の再現
母と父にはさまれた少年時代のスターリン。成績が良かったので、母親は彼が司祭になることを望み、スターリンは神学校に通った。
神学校時代にマルクスにはまり、社会主義者として活動を始めたスターリン
ロシア革命の指導者レーニンとの仲を強調
英語のガイドを盗み聞き。「左からスターリン、彼の妻、親友です‥多分ね」と皮肉な調子。「親友」と紹介されていたのはおそらくヴォロシーロフ。おべっかづかいで有名な人物だとか
左下はスターリンの最初の妻、イェカチェリーナ・スワニーゼ。長男ヤーコフ(真ん中)を産んだが早くに病没。右下は2番目の妻、ナジェージダ・アリルーエワ。次男ヴァシーリーと長女スヴェトラーナをもうけたが、拳銃自殺
スターリンの子孫たち。ガイドによれば、長男の子孫はジョージアに、次男の子孫はロシアに、長女の子孫はアメリカにいるとのこと
さらっと雰囲気だけで済まされた第二次世界大戦。スターリンは戦略的失敗を重ねたはずだが‥
神殿のようなオブジェをぐるっと回ると
スターリンのデスマスクが。あまりのムードづくりにちょっと笑いが込み上げてくる
生家。本物をここに移築してきたらしい
犬はおかまいなく寝ています
生家は神殿のような建物が保護するかのように囲っている
ヤルタ会談に向かう時に使った特別列車。飛行機を好まなかったらしい
昔の寝台車ってこんな感じなのかしら
スターリンの居室。案外に質素
会議室。床に赤い絨毯があるくらいでやっぱり質素
右の箇所、明らかにホワイトで消されている人物が。ガイドは「ベリヤ」と言っていたと思う。歴史からの抹殺、、作業が雑すぎる

 数年前にスターリン博物館を訪れた方のブログでは、ガイドはスターリンの良い面だけを強調して話していた、とのことでした。
 しかし、私が英語のガイド(ジョージアなまりなのか聞き取りづらかった)を盗み聞きした限りでは、皮肉な調子だったかと。ウクライナ侵攻で風向きが変わっているのかもしれません。
 この博物館は閉鎖や別展示へのリニューアルの話が出たことがあるが、いずれも一部地元住民の反対などで立ち消えたとのこと。


【アクセス情報】
 Didube駅から地下道を通ってすぐ左手にシェアタクシー乗り場が。運転手のおじさんが「ゴリ!ゴリ!」と呼びかけているので、分かります。
 なぜマルシュルートカを使わないかと言えば、ゴリ中心部からかなり離れた新バスステーションで降ろされてしまうと聞いていたからです。料金はタクシーもマルシュルートカも同じ7ラリ(約385円)。
 というわけで、シェアタクシーに乗り込みます。ミニバンのような車ですがすでに満席ぎみ。ゴリへのタクシーは利用する人が多く、15分に1本くらいの頻度で出ているのだとか。
 1時間ほどでゴリに到着。この間、高速道路のようなところを走りますが、時速110キロでぶっ飛ばし続けるくせに誰もシートベルトしない、自分だけでもシートベルトしようと思っても壊れていてできないので命の危険を感じます。
 降車場所は自分で指定できるようで、私は乗り込む時に「スターリン!」と言っていたおかげか、スターリン博物館前のインフォメーションで降ろしてくれました。
 帰りは、シェアタクシーの発着所「ゴリパブリックサービスホール」へ。スターリン博物館から徒歩15分くらい。ホール前に着くと、おじさんが複数人溜まっていて、「トビリシ?」と聞かれたので頷く。乗り込んだら既に座席は8割がた埋まっていて、すぐ出発しました。

ゴリのシェアタクシー発着所、ゴリパブリックサービスホール


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