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もののはずみ

はじめに。

"山口あい"だった

ステージで歌う活動をやめたのは2021年5月のこと。
理由は挙げれば色々あるし、日によって変わる。全部本当。中に【時間をプライベートに全振りしたい】というのもあったけれど、そもそもアマチュアのミュージシャンが何を言う。全部プライベートだ。限界だった。

28歳で阿佐ヶ谷のライブハウスに出演、もがき始めた。そもそも遅い。で、売れる道はないなと開き直ってからの数年は、ほかの箱に出るのをやめた。

友人はいない

お声がけいただく→出演→「悪くないね。でも、集客がないなら友人に声をかけてでも最初のうちは…云々」どこに呼んでもらっても終演後はこれ。お決まりのパターン。
やがて「そもそも良いとも思ってないんだろうな」と気づく。各ライブハウスのブッキング担当のあの人やあの人やあの人の言葉が信用できなくなっていった。

「友人は、いないので」どんどん断った。

注)誤解がないよう明記すると、僕の能力の問題。営業スキル、対人スキル、生活力、当時の僕には全て足りていなかった。

明確になった目標と、引き際

ノルマを払ってでも盛り上げたいところにだけ出るようになった。結果論だけど、そこからは本当に楽しかった。自分のお客さんじゃないとしても、目の前の人には楽しんで帰ってもらわねば。目標が明確だった。ノルマはたまに達成できるようになった。
最終的に残ったレギュラーは男装ライブの"女装MC"と、2ヶ月に一度の枠をもらっていたアコースティックライブ。女装は音楽より先に限界を感じて辞退してしまったけれど、どちらも大好きなレギュラーイベントだった。引き際をいつにするか、いつも念頭に置いていた。それが2021年の春だった、それだけのこと。

3,000円で

2023年11月12日。アコースティックライブの主催者からLINEが届く。主催を勇退されるにあたり、過去の出演者である僕にも声をかけてくださったのだ。
「年明けは仕事がどうなっているか…」と返事を先延ばしにしつつ、正直迷っていた。恩はひとときも忘れたことはないけれど、ステージを離れたことに悔いはなかったし、もう以前のようなステージはできないんじゃないかと思ったから。
そこへ、KANさんの訃報が届いた

奇しくも、命日は2023年11月12日。
ずっと憧れていた。あんな風に音楽を届けたかった。いつか僕の音楽も聴いてもらいたかった。

何度かライブでカヴァーした曲がある。
自分は占術師、3,000円で背中を押す役目だと始まる。
ところがなんやかやあって

御免なさい
本当のぼくは小さい小さい音楽家です

KAN「Happy Time Happy Song」(1999年)

と歌う。そして続ける

でもどっち道
憂う背中を3,000円で押す役目です

KAN「Happy Time Happy Song」(1999年)

3000円で買ったアルバムを、初めて通して聴く時の高鳴り。途中で止めないでくれと家族に宣言し、それなのにご飯が出来ただの電話だのと階下から呼びかけられた時のあの苛立ち。勝手過ぎるのは当時も理解していたが、アルバム作品ってそのくらいの大ごとだった。
今はどうだろう。配信によって音楽の受け取り方は変わった。

だから、今しかないタイミングで、感謝を込めて、歌わねば。恩人に、目の前の人に。僕の音楽は役目を果たせているのだろうか?考えた途端、涙が溢れた。またKANさんに教わってしまった。

チケットは2,000円。ビールなら2杯飲めただろう。

これは備忘録だ

そのような経緯があった2024年2月27日のステージ、感謝が伝わっていれば良いのだけれど。準備期間含め3ヶ月の音楽活動、自宅にこもっての音源制作以外は久しぶりで。
その中で思い出せたこと、ライブ前後の友人たちとの交流で考えたこと、そんな僕の音楽にまつわること…気まぐれに文章化する作業がしたくなった。
歳を重ねれば変化することも、忘れてしまうこともあるだろう。興味を持つ人などいないだろうけれど、これは備忘録だ。

きっかけは?「もののはずみ」

KANさんなら、そんなことを言うんじゃないかな。分からないけれど。

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