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野間真さんインタビュー#01~水野あおいさんがソロデビューに至るまで~

デビュー曲『恋なのかな???』秘話

「水野あおいのコンセプトだって? また難しい質問を…」と野間さんは急に聞き返して、こちらの席に戻りおもむろに語り始めました。
「ヤギハシカンペ―さんが多くの曲に携わってくれてね、水野あおいの音楽性には欠かせない存在でしたね」
「それと、沢田聖子さんが初期のシングル曲を作ってくれたのも大きかった。きちんとしたシンガーソングライターの方に作ってもらい、あおいちゃんのコンセプトを固めるのにとてもよかったと思う…」
突然、語りだしたことに少し戸惑いながら、作詞・作曲の話から始めたところは、やはり歌を大事にしていた野間さんらしい回答だな、と。

――沢田聖子さんはどのようなつながりで作曲してくれたんですか?
「センチュリーレコードの佐藤さん、片岡さんから紹介されて、水野あおいって子がいるんですが作ってくださいってこちらから依頼しました」
――一方、デビュー曲は、70年代風歌謡曲のイメージでしたが…
「あれは、センチュリーレコードのおじいちゃん、年寄りの専務か部長だったかの人が大々的にオーケストラを呼んで作って、ずいぶんお金もかかったと思うんだけどね…
 あれはおかしい。変ですよね、コンセプトを完全に外していた。『恋なのかな???』『妹からはじめたい』の2曲は、センチュリーの完全主導だったんです。あおいちゃんには申し訳ないことをしたと思います。もうライブでは歌ってないんじゃないかな」
――いえ、昨年の復活ライブでも大切そうに歌ってましたよ。
「へえ… センチュリーの若い人たちと話をして、こんなんじゃだめだ、だめだと言って『春の輝き』を作ったんです。これは、きちっと定番アイドルの曲として仕上げたので、CoCoのコア層とかを惹きつけるような楽曲になったんじゃないかな」
――意外でした。いろんな人に聞くと、野間さんの好みで70年代風歌謡曲でデビューさせたんじゃないか、なんて言っている人もいました。やはりきちんと聞いてみるものです。

なぜ、Fairy Tale(フェアリー・テール)は解散に?

そこで無謀ながら、とりわけ聞いておきたい話を……つい伺ってみた。
――Fairy Tale(フェアリー・テール)解散からソロデビューするまでの間、何があったんでしょうか。桃井はるこさんのイベント(桃井はるこトークライブ『はるこの秘密Vol.28』@ロフトプラスワン、2024年2月24日)のとき、本人は「この頃のあおいちゃんはホントにかわいそうだったんです…」と言いながら、あまり話したがろうとしなくて、ファンもあまり触れたくないといった感じだったのですが…
 すると飄々と「そうなんだ、語ればいいのに。これは結果的に損して得とれになったんだから…」

――ええ?(意味が読みとれず…)
「損して得とれの発想です。あのときはセンチュリーレコードで3人組をやってみようという話になり、センチュリー主体で人を探して、浅山(美月)、菊池(奏衣)の2人はすんなり決まった。彼女たちは乙女塾メンバーだったからね。あとはどうしようかと言っていたときに、当時、僕と三木プロダクションの間でつながりがあって(メリーゴーランドと三木プロの事務所が赤坂通りの向かい同士だった)、水野あおいはどうですかって薦めたんだけど、三木プロの方では最初は渋っていた。最終的に3人目に抜擢されたんだけど、そういういきさつもあって最初から2対1だったんですね。
 それでシングルを1枚出した(『不思議の国のフェアリー・テール』)。センチュリーレコードの佐藤さん、三木プロの三木さんの預かりとして始まることになって、あおいちゃんには3人組だよと伝えて、とりあえず頑張ろうと。そのとき僕は、あおいちゃんとは距離を置くことにしました。佐藤さんの預かりだったからいったん距離を置こうと」

『不思議の国のフェアリー・テール』1993年3月19日リリース

「そうしたら、浅山、菊池が2人でやりたいと言い出した。実は、SレーベルのMさんが2人に声をかけていたんですね。以前Tレコードにいたディレクターも加わって、うちで2人でやらないかと声をかけていたようです」

――引き抜きじゃないですか、そんなことがあったんですね。
「7月にアルバムでおニャン子メドレーなんかを出した時は、センチュリーとSレーベルでまさにバチバチやっていたころです。夏にはもう、Tiara(ティアラ)でデビューする段取りになっていて、あおいちゃんは宙に浮くかたちになってしまった…
 それで、Tiaraの発表―Tiaraでデビューするというお披露目を8月か9月だったかな、それを『歌姫伝説』でやったんです。「歌姫」というのは、アイドルの卵たちがライブハウスで80年代の曲を歌うというようなイベントが当時あったんですね。その『歌姫伝説』の主催は池野さんという人だったんだけど、ひとつ仕掛けたんだね。たしか大阪のライブハウスだった。
 そのライブの場で、これからTiaraでデビューします、2人でデビューしますって紹介をしたのが、なんと水野あおいだった。あおいちゃんが紹介役のMCをしたんです。2人を送り出す役回りをした・させられたということで、とにかくインパクトがすごかった。ファンの人からはかわいそうだ、かわいそうだって声が飛んで……
 僕も現場にいて、そのときはTiaraが悪役になってしまった、悪役になってもらったなというイメージでした」

逆に言えば、水野あおいにはその運があった

「だから、水野あおいデビューの起源として、11月にTiaraがSレーベルからデビューするということがあり、そうしたらセンチュリーとしては引き抜かれてしまったんだから、ソロでデビューさせないと体面が保てない。
 つまり(Sレーベルとセンチュリーが)ケンカしたからこそデビューが決まったんです。ソロデビューせざるを得ない、すぐにデビューさせないとで始まった。そしてソロでやるんだったら野間が担当すればいいじゃないかということになった」
「逆に言えば、水野あおいにはその運(ツキ)があったんですね。Fairy Taleの解散を仕掛けられて、その偶然がソロデビューにつながったということです」

――今となると、Tiaraの存在感はほとんどないし、ファンだったと言う人もあまり見かけません。
「それはそうだよ。Tiaraは悪役イメージだもの…」
――それもかわいそうな話ですね。
「結果として水野あおいは、計画していないことがいくつか重なったからデビューできたと言えます。
 93年11月にアルテミスを設立して、11月20日にファンの集いをやろうとなって、バースディミニライブ(ファンクラブ結成式)を開いた。会場はたしか新宿三丁目のライブハウスだったと思う。そうしたら70人集まった。こんなに集まるんだ、と驚きました。曲もいくつか歌ってソロデビュー曲も歌ったんじゃないかな。どういう内容でやったかはあまり詳しく憶えてないけれど… そういう細かいことはね、ファンの方が憶えてるんですよ」

――しかしそんな衝撃的ないきさつがあったとは。
「面白いものでね、浅山、菊池の間でも少し温度差があって、美月ちゃんの方はあおいちゃんと今でも仲がいいんです。奏衣ちゃんもいい子でしたけれど上昇志向の強い子だったから、いろいろストレスがあったかもしれないね、分からないけど…」
――それは結局、裏で解散を仕掛けた大人たちがいちばん悪いような気がします。でも解散がなかったらソロデビューもなかったかもという不思議な顛末で… いずれにしても、Fairy Taleが半年で解散してしまって、Tiaraが作られ、その直後に水野あおいさんがソロデビューするっていうのは何かあるんだろうな、と思ってました。
「そうですよね、そこはセンチュリーレコード側の体面というのがけっこう大きいわけです。そこがね、弱小レコード会社の事情でもあったんですよ」

インタビューはさらに続きます。


※このインタビュー内容をnoteに記載することについては、野間さんの許諾を得ています。なお、野間さんが語り始めた冒頭30分ほど(このページだけ)は録音する余裕がなく、詳細なメモを取りそのメモから構成しました。


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