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巡る季節 巡る友垣 移つろふ先の 芽吹と桜 我予祝に精を出す

 昨夜から今朝にかけて宮城県内は南岸低気圧の影響で、各地で湿った雪が積もりました。また、倒木などの影響で、列車に遅れや運休が出ているとのニュース速報がスマートフォンのニュースサイトのピックアップで流れてきます。南岸低気圧(なんがんていきあつ)とは、日本列島南岸を発達しながら東に進んでいく低気圧のことで、仙台の場合、概ね毎年1月から4月にかけてにかけてよく発生し、暖気を運んでくる日本海低気圧とは対照的に、日本に寒気を運ぶことが多いと言うそれは、日本列島の主に太平洋側に大雪や大雨を降らせることが多く、特に東京を含む関東平野から北の沿岸部、福島・宮城・岩手における大雪のほとんどは南岸低気圧によるものと言われている。
 今朝、第一報は突然の電話で入って来た。電話の主は仕事上、近年大いに小職の公の立場に関わって戴いており、数ヶ月ぶりの入電は、転職と引越しのお知らせで、それはそれでめでたい門出のご報告として受け止めていた。
 ただ、仙台市内および県内の自治体などの公の政策や事業に関わるジョイントベンチャーの中枢にいてくれた人物が仙台を離れる事となるのは、ある意味で「枠の一員」として担って戴いた核心の「剛力」の猛者の喪失を意味し、ともに同じ釜の飯を食らった仲間がこの地を去る事になる入電は、自分の行く道の先にある将来に対する覚悟を試されるもので、多少の不安感の増す報告となったのである。

 令和6年3月5日は啓蟄。昨日は小職が企画及び実施した講演会の講師が、時を経ずして再び仙台での講演に招聘され、講話を終え、仙台駅前のホテルのロビーで待ち合わせ、事務所への来訪を戴く事となり、1時間30分ほど懇談する機会を得て、講演会では聞きそびれた「秘話」を中心に「日の本」と「とつくに」との交渉の現場の逸話の数々を拝聴できる栄誉を得た。
応接間での質疑応答は続き、帰りの便は新幹線の最終に間に合えば良い、との言葉を頂戴し懇談の場所を移し、地階にある古民具に囲まれた異空間を得て、みちのくの「ごしゅ」と肴を得て、話はますます核心へと深まるのだった。
 国の消失と複数の国の並列となる彼の国の話に及び、領土奪還の絶好の機会を得た「日の本」の「まつりごと」の中枢の思惑と、省庁内の出世の手管としたい官吏とのやり取りや、核心の周辺に居た傍観者の一人であった当人の証言や想いから見えてきたのは「時」を逸する瞬間の、何とも言い難い、負の連鎖と「組織と個人の闇」の連続は、所謂「秘話」では無い、門外不出の失政だったことが浮き彫りになった。
 そのほか、北東アジアにおける「日の本」の将来に対する方向性の知見や想いは、時に熱く、時に失望した事、成し得なかった後悔が綯い交ぜとなり、みちのくの「ごしゅ」と共に外にちらつく南岸低気圧の影響の雪にも似て、淡く消える刹那の夜露となる、蜜なる懇談となったのである。

 親しい友人お親族や、長年共に活動して戴いた方々の訃報が続いた新年から現在に至るこの四半期は、移ろふ季節の中にあって、うつろふ友垣や仲間の存在自体が、常では無い、とあらためて言い聞かされている期間ともなった。
 「病に倒れ手術するための入院」と言う友垣や先達からの伝言がこの数週間続いた。先端医療に従事する友人からは、現在の医療は身体に及ぼす影響が一昔前から比べれば格段に軽減されているのだと言う。身体の表面にはメスを入れずにカテーテルや内視鏡での幹部の切除が普段ごととなり、切除後の入院も最小限で済むのだとも言う。
 入院や手術の経験が無い小職には確証となる知見が無い。だから余計に知人の医療人としての知見は素直に受け入れられるのだが、セカンドオピニオンも大切なんだと言う、医師である友垣の言葉にもまた、日々進み移ろふ技術に裏付けられた吐息の様な言葉もまた真実なのであろう。

 予祝という風習がある。
「お花見」は未来を先に祝ってしまう日本の「引き寄せ」の法則とも言われている。未来の姿を先に喜び、祝ってしまうことで現実を引き寄せることを「予祝(よしゅく)」と言います。
 ものの『辞書』には、次のように説明されています。

「豊作や多産を祈って一年間の農作業や秋の豊作を模擬実演する呪術行事。
農耕儀礼の一つとして〈予祝行事〉が行われることが多い。
あらかじめ期待する結果を模擬的に表現すると、そのとおりの結果が得られるという俗信にもとづいて行われる。
小正月に集中的に行われ,農耕開始の儀礼ともなっている。
一種の占いを伴うこともある。
庭田植(にわたうえ)、繭玉(まゆだま)、粟穂稗穂(あわほひえぼ)、
鳥追、成木(なりき)責めなど地方色豊かなものが多い」と書かれている。

 つまり、お花見とは秋の豊作を先に祝って、みなで祝杯をあげる、「予祝」という引き寄せの儀式として、農耕に従事する民の安寧を祈る長きにわたる風習の一つと言える。と結んでいる。

 日本人はこの予祝を昔から営み続ける事により、未来の「豊穣と多産」を引き寄せて来た歴史があるのではないか、もっと言えば「お祭り」や「まつりごと」の本質は「予祝」として次代へ繋いで来た「事実」そのものを成しているのかも知れない。との想いに至るのである。

 藤沢周平作の時代小説「三屋清左衛門残日録」の最後の台詞に
「日残リテ昏(く)ルルニ未(いま)ダ遠シ」とあり、真似事なれど
今日も、巡る季節 巡る友垣 移つろふ先に思いを馳せ
「芽吹と桜 我予祝に精を出す」日々は続く・・・。

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