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記憶は生きてる

ある日


ステキな文具店に行きました

久しぶりにウズウズ楽しい感覚

地元京都のステキな文具&本屋さんに

少し似ていた

ここ東北にも 似た空気のお店があることに
うれしいさが込み上げてきた

記憶が
こんにちは

過去の

私は

めっちゃくちゃ

お喋りです

「は〜 この雰囲気
 まったり
 モラトリアム的な
 何かを目指して もがいてる人を
 静かに肯定する空気
 今の流行りと戦わずして得ている
 好きという椅子に君臨している
 安心感
 まさに
 京都のまったり ロックンロール🎸
 
 記憶の奥底に閉じ込めていた
 思い出すと何かしないと
 いけない気持ちになりそうで
 
 昔の私
 現実は クシャクシャの新聞紙
 うまくいって!と願いながらも
 どこかで小さな破滅も
 望んでいたりして
 葛藤のお茶🍵を自分で淹れて
 恍惚の表情で 飲んでみたり
 自意識過剰なのに顔がない感じ
 
 しかし
 書いていた 
 傷ついていた
 涙で頬を濡らしいた
 
 書いていた
 机の上で拳を握り
 思い出し憤怒していた
 
 肥やしだ
 全て
 書く
 肥やしだ ネタ帳だ
 

 底辺の女は
 歯切れ悪く
 諦め悪く
 這いずり回っていた」
 

そんな昔の私が
蘇ってきた

最近

やっぱり
書くことが以外に
やることないな

そんな言葉が

身体にひったりとハマる

結婚して、子育てして
約10年

過去の説明書を解読したくて

自分を知りたくて

分析、向き合いしてきた

一般的には
自分探しとでも言うのかな

40周くらい

ぐるぐる🌀と

自分の過去、記憶
上手くいったこと
嘆き、怒りたくなる事

巡ってきたけど

やっぱり
書く事以外に
やる事ないな

禅語や名言みたいな重厚感はないけど
当たり前に毎日歯磨きするやん!
気持ち悪いや〜んみたいに
羽根の様に軽く
そぎ落としたら
残った感覚

鳥は鳥
人間は人間

人間やのに
空に飛ぼうとしてた?

二本のカラフルな足があるのに
地上の楽園で
瑞々しい絵を描けるのに?


お世辞にも
器用とは言えない

私の感性と情熱

再び


小さな足音を響かせながら

歩き直してる


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