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成功は成功の母である:新しいことをマスターするただ一つの最短距離

クレジットカードについて「どれだけ使ったかわからなくので危険」とか「明細が届くからどれだけ使ったかわかるから便利」とか支出把握目線での意見がある。

それはたしかにクレカの持つ特徴だけど、クレカ利用の有無で無駄遣いがどうこうなると思ってる人は、多分クレカ使っても使わなくても早晩同じ結果になると思う。

何かを買うときに財布の中身を参照しながら購入可否の判断をしていいのは高校生までだ。財布は一時的な入れ物に過ぎず、もし参照するなら資産の置き場所が銀行口座であれ証券口座であれそこを参照するのが道理だろう。とはいえ資産なんてそう大きくは動かないものなので、参照せずとも有効数字2桁くらいでは把握している方がいい。

だから無駄遣いをやめたいならクレカや財布と相談する習慣をやめて、自分の資産なり貯金なりを思い出すのがずっと近道だ。

でもこれはちょっといじわるなトートロジーみたいなところがある。そもそもこの道理がわかる人は早々にこの行動に至るし、財布の残額だけでものを買うかどうか迷ってる人はいつまで経ってもその行動を続ける。だって財布と相談しながら浪費をコントロールすれば、節約している気分になれるから。

「わかった人には当たり前だが、わからない人はわかっていない事にすら気づかないから、ずっとわからない状態が続く」という構造がある。

ここまで考えると恐ろしい事に気づく。財布残額を参照しながらの買い物や、単語帳の全文にマーカーを引くと言った、わかる人からしたら愚かしくみえる、完全に間違ったやり方を当事者には真面目にやってるということは、今我々が真面目にやってる習慣も実はとんだ見当違いの可能性があるということだ。

楽器でもスポーツでも勉強でも、1度でも新しいものを出来るようになったら、そのうち成功確率がどんどん上がり、やがて安定して出来るようになる。もちろんプラトーに達したり伸び悩むのはある。しかし、それが出来なかった頃にまで「退行」することはまずない。たとえば水泳選手のスランプとは自己ベストが切れなくなる事で、25mを連続して泳げなくなる事ではない。

だから何事であれ、1度何かをできた人間と1度もできなかった人間の差は、ほっておけばどんどん開いていく。どんな事であっても出来ない事があるときは、失敗を精緻に分析し施行時間をかけるよりとにかく施行回数をかけて、まぐれ当たりの成功から再現性あるやり方を学ぶ方が早いときがあるのだろう。トライ・アンド・エラーこそ正義。

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