見出し画像

新しい国に赴任すると、この国の人たち、少し頭がおかしいのでは?と感じるが、1年くらいすると、変なのは自分の方だったとなる話し

私は、今までに、アメリカ、香港、中国、台湾、ベトナム、オーストラリアと6ヵ国に、のべ29年間住んだことがあるが、だいたい新し国に住み始めると、この国の人は頭少しおかしいのではないか?と感じることが出てくる。
そして、1年くらいたって、その国に馴染みだすと、頭がおかしかったのはその国の人でなく、自分の方だったということに気づくこになる。

もう何度もそういう経験をしている。
世間は広く、自分が見えているものはその全てでないということが重々分かっているつもりでも、デジヤブーのように同じ経験をして楽しんでいる。
それは、海外、異なった文化背景や環境で生活することの醍醐味でもあると思う。

例えば、オーストラリアでの話し。
15-17時予定の会議で、17時になっても結論がでない。今日中に結論を出さないと、後のオペレーションに支障がでるような状況。
日本の場合、会議に参加している一番偉い人がそのまま議論を続行、会議参加者も基本そのまま会議継続参加となる。
中には、次のmeetingが入っている人や、また、プライベートの用事のある人などもいたりするが、基本そちらを犠牲にして、会議続行となる。

オーストラリアの場合は、会議は17時で終了となる。
議論が結着しておらず、仕事に支障がでるであろうことは、皆分かっているが、それでも、会議は時間通りに終了する。
各々は、次の用事に向けて会議室を後にする。それは次の業務かもしれないし、または、プライベートな用事かもしれない。
そう、夕方17時だと、きっと多くの人はジムに行くためかもしれない。

では、仕事に支障がでることの責任は誰が取ることになるのか。
それは、会議に出ていた一番偉い人である。
社員からしてみると、その一番偉い人のmeetingの設定や議論の進め方が悪かったという理解である。

最初、私はオーストラリア人は、責任感がない、とか、会社への忠誠心がないと感じたものだ。
今では、それが、日本の労働習慣と比べて、そう感じたということが分かる。
更には、オーストラリアの考え方の方が、会社と社員の力関係のバランスがとれていて、よりよいのではないかと、今では感じている。

日本だと、会議に遅れて来たりすると、すぐさま、不真面目、仕事できない、と非難されるイメージがるが、会議が時間通りに終わらず延長される事には極めて鈍感である。

就業時間に関してもそうだ。
日本だと就業開始に5分遅れても、遅刻と非難される雰囲気があるが、就業終了時間を越えて働くことに関しては極めて鈍感である。

そう、会議や就業時間の終了に関して、日本では会社の力が強すぎて、社員が弱すぎるということになっているのだと思う。
いろんな国で生活してみて感じるのは、日本は自分を犠牲にし過ぎな感じである。きっとそのように教育れてきたからもしれない。

オーストラリアをはじめ、海外で働いて、生活してみて、感じるのは、日本の場合、会社にプライオリティがおかれすぎて、自己犠牲の度合いが他国より多い分、何か個人がハッピーになりきれていない感じがする。

いずれにせよ、異なる文化圏で働いて、違和感を感じるとき、それは、自分の視座や価値観を広くするよい機会だと思う。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?