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インドネシアにおける腐敗防止法

はじめに

 

インドネシア共和国(以下、「インドネシア」という。)では公務員への贈賄が日常化していると言われて久しい。Transparency Internationalの発表したCorruption Perceptions Index 2022では、インドネシアの腐敗度数は180か国中110位であった。また、現在、公務員による賄賂の収受は、1965年から1998年まで続いたスハルト政権下より悪化していると言う。

 

スハルトの時代

スハルトがインドネシアにおける事実上の権力者となったのは1965年の9月30日事件以降である。この事件は、陸軍の青年将校が陸軍の将軍ら5名を殺害したというクーデター未遂事件であるが、事件後、速やかに青年将校らを鎮圧したスハルトは、これは共産党によるクーデター未遂であるとして、インドネシア全国での共産党員の排除に乗り出した。この時、正式な裁判を経ることなく殺害された人々の数は正確には不明であるが、一説によれば50万人に及ぶとも言われる。

他方で、スハルトは公務員に対して政党ゴルカルへの入党を義務付けた。そして、公務員の数は増えていったが、公務員の給与は依然として低いままであった。そのような公務員がどのようにして生活していくか。そのために、公共サービスを受けるために必要となる書類は多種作用になり、それぞれの書類にサインをもらうために手数料と称して賄賂が発生するようになったと言われている[1]。また、時には理由なく公共サービスの提供は遅滞され、速やかにサービスの提供を受けたければ賄賂を支払うよう、明示又は黙示的に要求されるようになった。その結果、鶏が盗まれたことを警察に通報するにはヤギ1羽分の賄賂が必要で、ヤギが盗まれたことを警察に通報するには牛1頭分の賄賂が必要だと言われるようになったと言われる。

 

 

スハルト以後

 

インドネシア第三代大統領であるユスフ・ハビビは、1999年に腐敗防止法第31号(2001年に改正。以下「腐敗防止法」という。)を制定した。腐敗防止法では、自分自身や他者、企業を儲けさせる目的で、その権限や機会、あるいはその職責に起因する手段を悪用し、それによって国家の財政や経済に損害を与えた者には、無期懲役、1年以上20年以下の懲役又は5,000万ルピア以上10億ルピア以下の罰金を科される(第3条)。

また、国家公務員や裁判官が、公務の過程で何かをするために贈り物をしたり、報酬を受け取ったりした場合、無期懲役、4年以上20年以下の懲役又は2億ルピア以上10億ルピア以下の罰金に処せられる(第12条)。かかる規定には域外適用があるため、インドネシア国外からでも贈賄に加担した者にはこれらの処罰が下される可能性がある。

また、2002年のKPK法第30号(以下「KPK法」という。)により、汚職撲滅委員会が組織された。汚職撲滅委員会は、大統領から提出されたリストから議会が任命する議長1名と委員5名で構成される。大統領に報告し、国民に説明責任を負う独立した国家機関であって、これは、特に、腐敗で悪名高い警察組織からの独立性を確保することが意図されている。

 

汚職撲滅委員会の権限

 

KPK法においては、警察や検察が事件の追及を怠ったり、真犯人を保護したりしたことに関する報告や苦情を汚職撲滅委員会が受けた場合等には、汚職撲滅委員会は現在進行中の汚職の捜査と起訴を実施することができ、KPK法では、警察や検察が入手した証拠や関連文書を、汚職撲滅委員会が要求してから14日以内に汚職撲滅委員会に引き渡すことが求められている。

KPK法は、汚職撲滅委員会に汚職捜査を開始または引き継ぐための非常に広い権限を与えているが、その結果、警察と汚職撲滅委員会の間の管轄権の衝突は非常に多く発生することになった。

例えば、2012年には、警察における汚職を追及するという汚職撲滅委員会の決定をめぐり、汚職撲滅委員会と国家警察の双方が、警察用運転シミュレーターの高額販売をめぐり、前交通警察署長ジョコ・スシロ氏を拘束する権限を主張した。汚職撲滅委員会の捜査員が捜査のための証拠を得るために南ジャカルタの国家警察交通隊本部を訪問したところ、警察は捜査権が警察にあるとして捜査員を拘束し、翌朝まで釈放しなかったと言う。これは、警察が管轄権を主張することで、捜査を中止するか、汚職撲滅委員会よりはるかに軽い罪状でジョコ・スシロを送検することで、警察組織を守ることを狙ったものと推測されている。

もちろん、前述のように、KPK法では、汚職撲滅委員会が警察関係の汚職事件を処理する権限を持ち、警察は汚職撲滅委員会が捜査に着手していることを知った時点で身を引かなければならないとされている。警察と汚職撲滅委員会が並行して捜査を進めていると主張し、数ヶ月間膠着状態が続いた後、当時のスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は、最終的に警察が汚職撲滅委員会に事件を委ね、捜査に全面的に協力するよう勧告した。結局、2013年9月、ジャカルタ反汚職裁判所でジョコ・スシロは有罪となり懲役10年の判決を受けた。

なお、腐敗防止法では、「逆証明責任」(pembuktian terbalik)と呼ばれるものが定められている点も興味深い[2]。すなわち、被告が特定された資産の出所を説明できない場合、裁判官はこの説明できないという事実を利用して、被告が汚職で有罪であるとの疑いを強めることができる。

 

汚職の広がり

 

このようなKPKの活躍にも関わらず、スハルト政権の崩壊以降、むしろ贈収賄は増加していると言われている。これは、スハルト時代にはスハルト一家及びその周辺の者達に独占されていた賄賂を受け取る者達が、地方自治の名のもとに各地の公務員に権限が分散され、その結果、それらの公務員が収賄を行うようになったためであると言われている。

 

日系企業との関係

 

このような贈収賄に関与すれば、刑法上、コンプライアンス上の問題が生じることは明らかであるが、時にこれらの贈収賄は、正当な手数料であるとカモフラージュされることもあるので注意が必要である。特にインドネシアには日本人の駐在員が1名しかおらず、複数のインドネシア人職員を採用している場合は、日本人や日本本社の知らぬところで贈収賄が行われていることがある。具体的な対策としては、以下の三点が挙げられる。

 

①  就業規則において贈収賄に関与した場合の罰則を明記し、それを周知徹底する。一般的には日系企業で勤務することは現地インドネシア人にとっては給与面、福利厚生面でも得難いものであり、贈収賄への関与により解雇の可能性があることを事あるごとに伝えることには効果がある。

②  取引先の選定に日本人駐在員が関与する。贈収賄は、社外からの働きかけを端緒とする場合があるため、ライセンス等の許認可はもとより、取引先の選定に当たっても駐在員による関与が強ければ強いほど、不当な金銭の支払いを抑止できる可能性が高い。

③  会計面の監査。インドネシアでは、時にインドネシア人従業員同士の懇親会等のために取引先等を利用したキックバックによって裏金が作られるという事例がある。そのような裏金が贈収賄に用いられることも多いため、このような裏金作り自体が違法であることの周知徹底を行うことが肝要である。



[1] 『インドネシア 国家と政治』66頁・白石隆著・リブロポート

[2] 『INDONESIAN LAW』288頁・Simon Butt and Tim Lindsey著・Oxford University Press

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