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【第22回】JATO 日本人ATC リレー形式紹介企画:岸邦彦さん

さて、先月は、JATOの発展にも貢献され経験豊富な木村通宏さんに貴重なお話をうかがいました。

今回も、オリンピック・メダリストへのサポートなど、経験豊富な岸邦彦さんにインタビューさせていただきました。岸さんのエピソードをお楽しみください!

アスレティックトレーナー(ATC)になろうとしたきっかけを教えて下さい。

卒業 copy

鹿屋体育大学大学院で運動生化学について研究を始めていた頃に、TVのモーニングショーで紹介されていたトレーニングに関する書籍を大学図書館にて偶然に見つけて読んだことからです。

そのコピーを大学柔道部の学生へ紹介をしていると、学生達から栄養学やトレーニングについて質問を受けるようになり、独学でテーピングを巻くようになり、試合帯同するようになり、日頃のトレーニング指導を始め、研究テーマを生化学系からコンディショニング系に変更しました。

その時期に永田幸雄さんが大学へ講演に来られ、話す機会がありました。ATCの存在を実感した瞬間です。

決定的だったのは、現役を続けながら共に大学院へ進学し、柔道部で同期だった山部という男からの依頼でした。国際大会に出場するが、今までになく増量してしまい減量が苦しい。手伝って貰いたいとのこと。

栄養学の教授、全日本柔連連盟の栄養アドバイザー、大学食堂の栄養士の方々にも助けて貰いながら、1か月の減量をスタート。食事データをすべて入力し、グラフを見ながら足りない栄養素を把握し、食事内容の改善に役立てる。

最後は、時差を考えて睡眠時間を現地に合わせながら生活を共にし、食事まで私が作っていました。夜中にジョギングをしてもらう為に車でライトを照らしながら伴走していると、不審がったパトカーが数分間並走していました。我々は当然、パトカーなど意に介さず継続でした。

仕上げは、国際便の食事を低カロリー食に切り替えてもらうように航空会社へ手配。減量は成功し、優勝した友人から国際電話が入って「やったよ! 凄く体が動くし、全くバテなかった。食べながら減量するなんて初めて!本当ありがとう!」でした。これで決めました。

過去2

アメリカでの学生トレーナー時代に苦労したことや大変だったことはありますか?

高校で実習を始めましたが、まだ会話力が乏しい時期でした。しかも実習を始めてまだ間もない頃です。

そんな中、女子バレーボールで地域のチャンピオンを決める試合が実習先の高校であったんです。ヘッドトレーナーは、「バレーの試合は頼むね!」と言葉を残してアメフトの練習を見に行ってしまいました。そんな時に事は起こるんです!

エースの選手が足関節捻挫で倒れ、ベンチに戻してアイシングしていました。ヘッドコーチに受傷の状況も話していなかったのです・・・

数分後・・・「No! She got to play!」すごい剣幕でした。以降、そのヘッドコーチからは無視され続けました。実習だけは率先して始めていたので・・・会話が出来ないって情けなかったですね。

良い思い出です。

その他、アメリカで印象に残っている出来事がありましたら、教えてください。

柔道の練習をする為に町道場に出向き、寝技の乱取りをしていました。相手は90㎏程の18歳男性です。締め技や関節技で何度も「参った」をさせながら練習を進めていた時です。

相手の背中を取って自身の脚を相手の胴体に巻き付けて攻めようとした瞬間、相手が私の下腿を抱き抱えながら勢いよく横回転して転がりました。私の体、特に脚は・・なすすべもなく相手の体と共に横方向へ倒れ込んで行きました。ポーン!とナイスな音が道場に響き渡り、数メートル先に居るチームメイトが「ウーッ!」と顔を顰めました。左膝のLCLを重度損傷です。

「アスレティックトレーナー居ないかぁ? あ、俺だ・・・」、痛みを堪えながら、みんなで大爆笑しました。それから数週間は、実習先でも話題の負傷した学生ATとなり、負傷モデルとしても活躍でした・・・何かと話題を振りまく日本人留学生の誕生。

帰国後から現在の仕事に至るまでの過程を教えてください。

帰国直前から山梨学院大学と業務提携の交渉を始めました。山梨学院大学とは縁も所縁もない私でしたが、

①鹿屋体育大学時代の柔道部監督が山梨学院大学へ移籍していた
②トレーナーになるきっかけになった柔道部の友人も山梨学院大学へコーチとして赴任していた
③留学前からの仲間がレスリング・ナショナルチームのトレーナーをしていまして、その彼が山梨学院大学レスリング部出身だったんです。

彼がトレーナーとして独立し、山梨学院大学と業務提携の話を始めている時に、私が帰国することになった訳です。それからは、彼と共に準備を進めて行きました。以上のことから山梨との接点が出来上がって行きました。

帰国直後の2001年4月から都内でアルバイト(約4か月)をし、週末は山梨へ出向いている生活をしていました。すると、全日本柔道連盟の方から、「パンパシフィックの柔道選手権に帯同してみないか?」との連絡が入り、トレーナー兼チームの世話役としてロスへ帯同することが出来ました。

2001年8月からは山梨学院大学柔道部と専属トレーナー契約し山梨へ移住しました。

2002年7月より山梨学院大学と提携し、キャンパス内にて鍼灸整骨院を開設(大学とは独立経営)します。2003年頃から山梨学院大学水泳部とトレーナー契約を結び、サポートを始めます。すると大学ホッケー部やラグビー部からも合宿・試合への帯同依頼が舞い込み始めます。必死に対応していました。

水泳部では、アテネからリオ五輪まで連続して選手を輩出(JOC強化スタッフとしても選手をサポート)することが出来た上に、ロンドン・リオ五輪とメダリストも誕生しました。高校時代は目立つ存在でもなかった選手を、コーチと二人三脚で育てて行き、オリンピック・メダリストが誕生した瞬間は感慨深かったですね。レース直後にロンドンから本人が電話でお礼を言って来た時は尚更でした。

北京五輪からロンドン五輪までの期間は、依頼があって始めた事業が1カ月で頓挫。部下を助ける為とは言え民事裁判を起こして争うなど問題が重なり、以降、自身が立ち直るまで4・5年掛かりました。人生の勉強をした時でした。

2016年から鍼灸整骨院を後進に全て譲渡しまして、私自身は山梨学院大学スポーツ科学部専任教員として教鞭を執っております。

過去1

現在の仕事内容を教えて下さい。

山梨学院大学スポーツ科学部専任教員としてスポーツ傷害系の授業を担当しています。スポーツ傷害に関わる研究と学生への教育がメインとなっています。

研究ではモーションキャプチャーを用いて空手の突き動作について3D画像解析を行うなど、これまででは出来なかった新しい分野にも挑戦しています。学生ATチームを育て、山梨学院大学でのカレッジスポーツに対する新しいサポート体制の構築を模索しています。

現在の1日の流れを教えて下さい。

平日は午前9時から午後6時までは授業とその準備、会議に追われる毎日です。昨年は、大学柔道部のコーチとして道着を着て道場に立つこともありましたし、毎日のトレーニング指導をしていましたが、それも今はままなりません。

新設学部で4年目に入りますので、カリキュラムの編成など教務に関わることが非常に多くなって来ました。教務課の方々に毎日助けて貰っています。

午後4時30分からは、週に数回程度ですがリハビリリテーション実習室にて学生ATへの指導を行っています。昨年からは学生トレーナーを強化育成クラブへ配置し始めています。

企業と提携し様々なデータを測定、運動に関するサービスコンテンツの作成も始まりました。治療院からの相談を受けることもあればやりますし、時間を問わず学生達が個人的な相談に良く来ますので、スケジュール管理をしっかりしながら出来る限り対応しています。

学生トレーナー

岸さんにとってJATOとはどのような存在でしょうか?

他のATCの方との繋がりを保てることでしょうか。

地理的なことを含め、日頃の生活では他のATCの方との接点も皆無に等しいです。

JATOがないと、定期的に出会えるATCの方々では水泳会場くらいでしょうか。

JATOに加入するメリットを教えて下さい。

ATCとして毎日を過ごす環境は様々ですが、皆さん同じような問題や悩みを抱えていることは多いのではないでしょうか。状況は好転してばかりではありません。いつか必ず問題が起こり、不安を抱える状況が生まれます。問題や不安ばかりと感じる方もいるかもしれません。

そんな時、言葉少なくとも状況や境遇を理解して、自然に語り合える、心の底に引っかかったものを打ち明けられる仲間が必要です。普段の仕事での繋がりではない、そんな仲間が必要ではないでしょうか。

JATOには世界や日本国内で経験を積んで来ている素晴らしい方々が多数おられます。そんな方々との接点が保てることが最大のメリットではないでしょうか。

そして、ATCが活動する状況を加速して好転していく為には組織力は不可欠です。様々な分野の方々と協力して、活動範囲をどんどん広げていく為にもJATOは必要です。より多くの方に会員となって頂き、組織として更に発展して行ければ幸いです。

これからATCを取得してアスレティックトレーナーを目指している学生にメッセージをお願いします。

是非、覚悟を持ってチャレンジし続けて下さい。

日本とは文化も考え方も違います。初めはビックリですが、郷に入れば郷に従うしかありません。私はやり過ぎて他の学生トレーナーと大喧嘩したこともありました。今では笑ってしまいますが。

そして気付いたのは、「私は日本人で、私自身の特徴は何だろうか」ということでした。周囲が私に示す興味と私が持つ特徴が合致していれば、どんどん表現しましたね。英語そんなに上手くないけど、何か面白い奴で毎日頑張っているなと思われていたようです。出来ないことが出来るようになる毎日だったので、実習が楽しくて仕方なかったです。

テーピングでは、この部位を通る時はこのくらいの引っ張り具合、角度はこのくらいはどうだろうか?を指先で感じながら巻いていると、自然に選手が集まって来るようになっていました。

実習中はもちろん毎日ですが、働き出してからもそうです。こちらが意図せずとも持っている力を試される時があります。その時にアスレティックトレーナーとしてのパフォーマンスをどれだけ当たり前に示すことが出来るかではないでしょうか。

知識も技術も持っていて当たり前で、そこに自身の強みは何なのかはっきりと示せる努力をしていれば、数少ないチャンスが巡って来た時に掴み取ることが出来る筈です。

困難を一緒に乗り越えて来た選手が、試合やレースで結果が出て、大喜びで目の前に駆け込んで来たら、もうたまらないです。辞められなくなっちゃいます!

卒業

【編集後記】岸さん、お忙しい中お時間を頂き誠にありがとうございました! 岸さんのお話からはアスレティックトレーニング愛を感じることができました。今度ともJATOの活動に積極的に参加、ご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。来月インタビューには、岸さんが“優しく、曲がった事が嫌いで、正義感が強く、男気あふれる性格の持ち主”とご紹介していただいた彼の方にインタビューいたします。楽しみにしていてください!


この記事は、3/15/2019にJATOウェブサイト、およびJATO公式フェイスブックページに掲載したブログ記事を再編集したものです。

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