色鮮やかな妄想

「どういう町をつくりたいと考えていますか?」という質問が苦手です。久しぶりに出演した講演会で、この質問があり、体がムズムズしました。聞かれたので答えたいけど、答えたくないような。何気ない質問なのですが、どうして苦手なのかをイチから考えてみると、今は亡き人たちの言葉が関係していることがわかりました。 ちょうど10年前に大阪から鳥取へ来て、湯梨浜で出会ったおかあさんたちの中に、毎朝植木に水やりをする姿が印象的な方がいました。たみがオープンして、たみの住人やスタッフが増え始めた頃、愚痴をこぼしにいったら、「私は植物をみているとき、こちらが思わぬ方向に枝が伸びるけど、それを摘み取らずに伸びた方を伸ばしてあげるのよ。人も同じじゃないかしら。」と言って、その方は若者の私たちの活動をいつも優しく見守ってくれていました。 鳥取大学に所属していた社会学者と読書会をしていたとき、「データや数値で社会全体を見るのではなく、人々の営みから社会を捉えることができるんですよ。」と、たくさんの事例と言葉を教えてくれました。「学生は大学を4年間で卒業するけど、代謝がよくなりますね。」という言葉の意味は、当初はわからなかったけど、今なら理解ができます。 こうして与えられた言葉が、私の血となっています。だから、一人一人の営みの向こう側にある「町」を想像することはできても、人をなくして「町」全体をイメージすることができない思考になっているようです。 では、現在の私が願うソレはどうでしょう? 想像してみます。一人一人の営みが多種多様にあって、いろんな価値観を持った人たちが、手の届く範囲にいるのがいい。物理的な距離じゃなくて、離れていても、全員がそうでなくていい。ふとしたときにお互いが安心して相談し合える関係が在ってほしいです。重要なのは関係性で、そうした関係性によってつくられる町はどんな姿をしているのでしょう? やっぱりイメージがありませんが、例えばファッションみたいに個性豊かなバラバラな風景。みんな同じスタイルじゃなくて、思い思いの家やお店があって、その人の世界観がわかるような…。 コロナ禍で大きな移動ができなくなったとき、私のライフラインは、湯梨浜、鳥取、倉吉、米子と、鳥取県全体にあることがわかりました。この10年間、紆余曲折しながらつくってきた関係をもっと大切にしていきたいです。

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