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三四郎

三四郎とは

マセキ芸能社に所属する、小宮浩信と相田周二によるお笑いコンビ。
人力舎の養成所を卒業し、フリーで活動。
トリオになったりボケツッコミの役割を変えてみたり試行錯誤の末、独自の漫才とキャラクターを確立。
現在メディアの第一線で活躍する芸人である。


そんな彼らと、僕が始めて会ったのは2008年頃だったと思う。

お笑い界のガラパコスプロダクションこと、げんしじん事務所様の主催ライブ『P級サマンサ』が確か最初。
その後、『P級』そしてP級を観客投票で勝ち上がって出られるライブ『雑音フェティッシュ』この二本でしょっちゅう一緒になっていた。

今でこそP級は出演者10組ほどだが、当時は30組超えの芸人がおり、狭き門である雑音の若手コーナー出演枠を争っていた。
ありがたい事に、僕と三四郎はよく勝たせてもらっていた。

雑音の正規メンバーはげんしじん社長と自社の選抜芸人(虹の黄昏など)、そして他事務所からのゲスト芸人で構成される。これは今も変わりがない。
その時代は、オードリーさん、流れ星さん、バイきんぐさん、ザコシショウさんなどが普通に出ていた時期で、泥芸人たちはその方々との共演を目指して奮起した。

三四郎は当時フリーだったが、ライブに出るたび常に三四郎がいたので、こいつらははげんしじん事務所の芸人なんだと勝手に勘違いしてる時期があった。


お互いフリーで、ウケてはいたもののネタは粗かったし衣装も適当だったような気がする。自分も含め

記憶がおぼろげなので多少細かい部分は間違っているかもしれないが、

当時、小宮くんの衣装はよれよれのTシャツに、ヤンキーが家からコンビニ行く時に履いてそうなパジャマみたいな半ズボン、そして裸足という一歩間違えたら浮浪者みたいな格好だった。
メガネも掛けてなかったかもしれない。
目も鋭かったし、いつでも犯罪を犯しそうな雰囲気を身に纏っていた。
密かに、あ、この人半グレだなと思っていた。


一方、相田くんのほうは不思議なくらいに覚えていない。
やっぱり横の人のインパクトが強かったからか印象が薄くなってしまうのはやむなしか。


ネタは漫才が中心だった気はする。
でもコントもやっていたのも袖から見た覚えがある。
相田くんがオーディションの面接官で、小宮くんは面接を受ける人で支離滅裂な事をまくし立てていたような。また、役割は逆だったかもしれない。
でもその時から変わったワードを必ず使おう、他と違う見せ方をしようと意識していた気がする。


これがやりたい、という事は当初からはっきりしており、その姿勢は未だにブレていない。
こういうタイプの芸人は、技術と舞台経験をプラスする事でいずれは売れると誰かが言っていたが、何よりの証拠である。


私の持ちネタである小宮くんのものまねはこの段階で既に生まれていた。

ある時、私→三四郎という順番だったのにも関わらず、小宮くんが僕のものまねやってくださいよと言ってきた。
いやその時三四郎知名度0だったし、私普通に死ぬだけじゃんと思ったけど、もしかしたらウケるかもと不可解な自信から賭けに乗ってしまった。
で、本番。
当たり前のようにウケない。
その後三四郎が、「どーもー!さっきの本人でーす!」と登場すると爆笑。
結果的に得したのは三四郎だった。あいつは策士なのかもしれない。


あと小宮くんとは最寄り駅、バイト先、飲食店など偶然プライベートで会う数が多かった。


相田くんはmixiで自分のコンビのコミュニティを作って、ライブのお客を募ってました。
これはまだ残ってるので見れます。


いつかまた会えるといいな!

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